第四節 魔法使いと従者(2/2)

 香織の気迫に負けた聖は、観念したように話し出した。


「……実は、腕時計が止まっているんだが……」


 そう言って、聖は香織に腕時計を見せる。

 確かに腕時計は、9時の所で秒針が止まっていた。それを見て「電池が切れたんだねぇ」と香織は呟く。


「近くのホームセンターの中に時計屋があるから、そこ行って直してもらいな。お金は今渡すから」

「すまない……」


 いいんだよ、と明るく笑う香織。少し待つようにと聖に言い、一旦自分の部屋へ戻った。

 財布は持っていたのに、何故家に戻るんだ…?

 そう考えていたら、香織は手にあるものを持って戻ってくる。


「あと、帰りにでもいいから豆腐と片栗粉と小葱を買ってきてもらってもいいかい?」

「ああ……構わない」

「ありがとね。じゃあ、これ。今日の分のオレンジヨーグルト」


 はい、と手渡されたのは彼の大好物である飲むオレンジヨーグルト。渡されたとき、ほんの僅かだが彼の表情が弛んでいた。それほど好きなのだろう。


「あと、昼は用意できないから何処かで食べてきてくれるかい?時計直すのにも時間がかかるだろうし…」

「構わない」

「ごめんね。じゃあこれが修理代とお昼代と買い物代だし、鍵が閉まっているのは自分達の部屋以外だよ」

「承知した……」


 聖にお金が入った茶封筒を渡すと、香織はそのまま出掛けていく。

 あったか荘にいても、あとすることはないと考えた聖も出掛ける準備をする。


「うう、早く暖かくなればいいのにね」

「……焦る必要はないだろう」


 コートを羽織り、携帯も持った。自分と竜の部屋に鍵をかけて、聖は錆びて軋んでいる階段を降りる。


 確かに今日は寒いな…


 口の中で呟いて、彼はあったか荘を後にした。街は昨日のバレンタインモードが一気に消え去り、もう一ヶ月後に控えているホワイトデーに向けての準備が進められていた。

 季節のイベントに疎い聖でも、流石に呆れた様子であった。一部の店では、もう既に桃の節句の準備をしている。これには乾いた笑いをするしかなかった。

 暫く歩くと、香織が言っていたホームセンターが見えた。


「あれか……」

「ほぇー、大きいんだね」


 物珍しげにホームセンターを見るリリー。すると何かを発見したようだ。


「ねぇエル、あのホームセンターにペットもいるみたいだよ!」

「やめておけ……吠えられるぞ」

「やっぱし?あーあ、死んでなきゃじっくり見れたんだろうになぁ」


 諦めるかぁ、そう呟くリリーは何処か悔しそうであった。そんな様子を伺いながら、しかし何を言うでもなく聖はホームセンターに入った。

 ホームセンター自体は広い店内だったが、幸い時計屋は店内の入り口付近にあった。見つけるのに苦労せずに済んで良かったと、何処か安心している聖である。

 他に用事もないし、聖はまっすぐ時計屋に向かった。カウンター式の作りであるそこには、店員であろう初老の男性が立っていた。


「いらっしゃいませ」

「……修理を頼めるか?」

「ええ、構いませんよ。どちらの時計でしょうか?」


 くしゃりと笑う男性。

 聖はポケットに入れておいた腕時計を取り出し、カウンターに置いた。その時計を見た男性は、物珍しげに腕時計を吟味する。


「若いのに、随分凝った時計をお持ちで」

「直せるか?」

「勿論です。ただ、他にも商品がありますので時間はかかりますが……」

「別に構わない……」


 そうですか、と何処か安心した素振りを見せる男性。


「では、1時間程経ちましたらまたおいでください。料金はその時で構いませんから」

「承知した」

「ありがとうございます」


 携帯の時計はお昼の12時を表示している。それを確認して、聖は時計屋を後にした。

 外に出ると、これはまたタイミング良く彼の腹の虫が鳴く。そろそろお昼であることを思い出し、徐に何処かへ歩き出す。


「何処に行くの?」

「……昼食だ」

「ああ成程!」


 聖が何処に行こうとしているのかが、リリーにはわかったみたいだ。暫く歩いていると、小さなカフェレストランが見えてきた。

 そこは普段は行列が出来る人気店である。女性に人気のあるその店の名前は、カフェレストランフルール。行列がある時に一人で来るには度胸がいるが、今日は行列もないようだ。その事を確認した聖は、内心安心した様子である。

 店内に入ると、モダンな雰囲気が癒しとなっている。今日はお客があまり入ってないようだ。


「おお、いらっしゃい立花従兄弟」


 彼を出迎えてくれたのは、フルールの店員である川野修平。実に砕けた性格の持ち主で、とにかく明るかった。彼は主に、接客を担当しているようだ。聖が何度か店に来るうちに、顔馴染みとなってしまったのだ。

 修平は笑い、聖に言う。


「まぁ見ての通り空いているから、好きな席に座ればいいさ。あと、アイツ呼んでくるわ」


 座って待ってろ?そう言って修平は一度厨房の方に向かった。

 数分後、窓際に座った聖に男性が近づいた。


「エ……聖、いらっしゃいませ」

「レ……竜、邪魔している……」


 にこ、と笑う男性の正体は竜であったのだ。ここフルールは、竜の職場でもあったのだった。


「今日は何にしますか?」

「……日替わりランチは、何がある?」

「今日は鶏肉のクリームパスタになりますね」


 それにしますか。

 問う竜に頷く聖。それを確認すると、竜は微笑んでから厨房に戻る。

 一人になったところに、時間をもて余しているのだろう、修平がこちらに来た。正直なところ、聖は彼が少し苦手である。

 誰彼構わず明るく接し、自分のペースを作る修平。その持ち前である明るさが、どうも気に障る。


「立花従兄弟、昨日はチョコ貰ったか?」

「……」

「無視か」


 そう邪険にしなくてもいいじゃないか、そう項垂れる修平に、やっぱり愛想のない態度の聖。彼の近くでふわふわ浮いてたリリーは、暫く様子を見ると暇を持て余したのか店内を自由に動き回る。

 修平の話はまだ続くようであり、早くランチが出来ないかと、内心思う聖であった。

 いつの間にか、話題は昨日のバレンタインのことになっていた。


「それでさ、俺なんてチョコの一つも貰えなかったんだよなぁ。しかも、お客さんがチョコ渡していたんだぞ?竜に!昨日はカップルと竜目的の客がほとんどだったさ!」

「(ああ……だから昨日は紙袋なんて持って帰ってきたのか……)」


 昨晩、何か困った表情で帰ってきた竜を思い出し、その原因に苦笑しそうになったのは、秘密である。


「悔しいけど、竜も立花従兄弟も顔いいもんな。なぁ俺にもそんな要素くれよ」


 彼はそう言いながら、ちょっかいで聖の頬をつつく。それが聖の表情を険悪にするということも承知の上。

 案の定、聖は目を細めて修平を睨んで一言。


「……俺に触るな」


 いつもより怒りを込めて呟いたのであった。


「修平、あまり聖をからかわないでくれるか?」


 聖がそれはもう怒りを最大限に込めて呟いた時、竜が出来立てのランチセットを持ってきた。内心安心した聖である。

 少し憐れんだ視線を修平に向け、しかしすぐに聖にランチセットを渡す竜。


「お待たせしました、日替わりランチでございます」


 目の前に置かれたランチからは、食欲をそそる匂いが漂ってくる。中でもクリームパスタの濃厚なホワイトソースの匂いは、真冬のこの季節には安心感さえ与える。

 クリームの匂いで、苛立っていた聖の雰囲気は丸みを帯びた。顔には出ずとも、彼を纏う優しい雰囲気は、彼がリラックスした証拠である。


「冷めないうちにどうぞ」

「ああ……」


 頷き、食事前の礼をした聖は早速パスタを頂くことにした。丁寧にパスタをフォークで巻いて、口に運ぶ。

 鶏肉の旨味とホワイトソースの風味が舌に広がり、実に美味なパスタである。


「美味い……また、腕をあげたな……」

「ありがとうございます」


 聖のその言葉に、笑みを浮かべる竜。完全に二人の世界である。


「おーい、俺をのけ者にするなってーのー」


 追い出された修平が、ぼやきながら二人の間に割って入る。それを見た竜は、軽くため息をつく。


「修平、そんなに時間があるのなら洗い物でもしたらどうだ?」

「洗い物はバックヤードの仕事だろー」

「こんなに暇なんだ、バックヤードもホールもないだろう」

「竜さーん、俺バックヤードの仕事はやりたくないんですけど」

「そうか。まぁやらないなら、お前がこの間仕事中にも関わらず女性客を口説いていたことを店長に言いつけるが……」


 脅しを入れて言う彼に、流石に陽気な修平も青くなった。冷や汗をかきながら、修平はそそくさと厨房へ向かう。

 終始何処かに行ってくれないかと念じていた聖は、安心したように竜を見た。


「助かった……」

「いいんですよ、いつもの仕返しも含めてのことですから」


 ふふ、

 笑う竜の顔は黒かったとかそうでなかったとか。いずれにしろ、竜が味方で良かったとつくづく思った聖であった。

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