非日常的クライシス

黒乃

プロローグ

魔法使いのここ最近

 2月の、まだ寒さが厳しい今日この頃。彼、立花聖は一人街中を歩く。目的は特にないが、学校に通っていない彼は時間をもてあましていた。つまりはただの暇潰しである。

 お気に入りのオレンジヨーグルトを飲みながら、何をするでもなくただ歩いている。北風が冷たい。雪が降る程度ではないが、動いていなければ確実に体が冷える。


 さて彼が日本に来て、今年で5年目になる。ここに来たばかりの頃は、彼は年端もいかない子供だった。それが今では多少の幼さは残るものの、纏う雰囲気や顔立ちは大人のそれに近付き、時間と言うものは早いということを感じさせる。


 季節もまたそれと同じく、寒さは厳しいがメディアでは春一番の予想をしているくらいだ。先日は大都市で雪が降って混乱していたと報道していたのに、もう春一番の予想をしていることを考えると、よほど忘れたいのか。はたまたただ暢気なだけか。

 どちらにしろ、彼にとっては大層なことではないということは確かだ。


 信号が赤に変わる。


 信号を待つ彼。後ろの大型家電量販店のショーウィンドウでは、新発売された薄型テレビがニュース番組を映していた。


『今日で、あの銀行強盗立て籠り事件からちょうど5年となります』


「……」


 報道キャスターの言葉に、かすかに彼は反応した。そのことを気にする筈もない彼らは事件の概要を事細かに説明している。

 おもむろにコートのポケットに財布があることを確認すると、彼は信号を待たずに進路を変える。


「何処に行くのー? 」


 自分の斜め後ろから聞こえる少女の声。その声を特に気にも止めずに、聖は歩を進める。それが気に食わなかったのか、声はまた彼に問いかけた。


「もう! 何処に行くのって聞いてるでしょ?! 」


 大通りで声を上げれば、少なくとも振り返ったりする人がいるはずだが、そんな素振りをする人は誰一人としていない。

 それもそのはず。声の主はある一部の人にしか見えない、所謂幽霊なのだ。街中で話そうものなら、自分が奇怪な目で見られてしまう。

 もう暫く無視を決め込もうと、彼が考えた。しかし少女の我慢はすぐに限界を迎えてしまったのであった。


「ねぇ私聞いてるでしょエル?! 」


 とうとう彼女は声を荒げて凄んだ。これ以上無視するのは無理だと諦めた彼は答える。


「……聞いている。あと、日本では俺をエルと呼ぶなとあれほど……」

「エルが無視するからでしょー!? 」


 立花聖。その本名はエキャルラット・ケーンティフォリア。彼を本名の愛称ので呼ぶのは、彼と近い間柄の人間だけだ。

 どうやら幽霊は、エルと呼ぶことに反省もなにもしていないようだ。彼は軽くため息をついて、続けた。


「何処に行こうがいいだろう。リリー……」


 幽霊、リリー・ベルはその言葉を聞いて疑問を投げ掛ける。


「だって、ずっと信号待ちしてたのに急にこっちの方歩き出したんだもん。気になるじゃない! エルのことだから、気紛れなんてことはないはずよ」

「……」


 長い付き合いである2人。お互いのことは熟知していた。隠し事が通じる筈もないし、嘘もすぐに見破られるだろう。それをわかっている聖は言う。


「……花屋だ」

「花屋? なんで花……あ、そっか……」


 何かに気付くリリー。聖はそれだけ言うと、また歩き始める。大人しくなったリリーも、その後ろをついていく。


 少しだけ、南風が暖かい。

 今日は2月14日。

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