深夜、日常、感情と行動

三角海域

第1話

 携帯が鳴ったのは、深夜二時を過ぎたころだった。

 俺は平日に溜めに溜めたビールの缶をひとまとめにし、ベランダに放ったあと、適当に撮りためた映画でも観ながら寝ようとしていた。充電器に繋いだ携帯を手に取り、ろくに着信画面も見ずに通話ボタンを押す。こんな時間に電話をかけてくるやつなんてのは限られてる。間違い電話か、酔った友人からの電話か、もしくは。

「こんな時間にごめん」

 やはり、電話をかけてきたのは妹だった。

「別に。どうせ明日は休みだし」

「ごめん」

「謝んなくていいよ」

「うん」

「なんかあったのか?」

「別に何もない」

「そうか」

 冷蔵庫から炭酸水を取り出し二三口飲む。やたらと静寂が際立って、炭酸水が喉を通る音が妙に大きく聞こえた。

「父さんと母さんは寝てるのか」

「お兄ちゃん忘れてるんだ」

「なにを?」

「父さんと母さんはお泊りだよ」

「ああ」

 本来は三人で出かけようと予約をしたらしいが、妹がたまには二人でゆっくりしてくればと提案したらしい。まだ高校に進んだばかりの妹を置いていくことに不安を感じたらしいが、そこそこ近い距離に俺が住んでるということもあり、連絡をいつでも取れるようにしておくということを条件に、二人で旅行することにしたらしい。

「お兄ちゃんが家を出てからどれくらいだっけ」

「三年くらいじゃないか」

 妹とは歳の差がある。それが不安でもあったが、幸い多感な時期に入っても俺たちの関係が変化することはなかった。時々こうして電話で会話をし、互いのことを話している。

「もうそんなになるんだ」

「自分が思ってるより時間は流れるのが早いからな」

 電話の向こうで妹が黙る。少し間を置いてみるが、喋りだす気配はない。

「どうした?」

「うん?」

「急に黙るからさ」

「うん……」

「なんだよ。なんか悩みでもあるのか」

 少しだけ間を置いて、妹は言った。

「家がね、すごく静かなんだ」

「そりゃ、二人が留守なんだからそうだろう」

「うん。それでね、なんか、なんかね、寂しいなって。私もう高校生なのに、子供っぽいかな」

 いつのまにか炭酸水を飲み終えていた。流しに空いたペットボトルを放る。

「お兄ちゃんは家を出たあと、寂しいって思ったことある?」

 そう問われて、三年前のことを思い出してみる。大学を出て、二年間のフリーター生活の後、俺は就職した。フリーター時代にあれこれと興味があることを仕事につなげられないかと試してみたが、ダメだった。できることはあったのかもしれないが、そういう可能性云々以上に、自分のなかの熱意のなさを痛感したのだ。

 自分なりに努力をしたつもりだったが、ほしいのは理想ではなく、フリーターをしながら自由に生きていくことへの言い訳だったのだということにある時気が付いた。

 そうして、俺は普通に生きる道を選んだ。そんな普通の生活も、過ごしてみればなんてことがなかった。やることが変わり、責任が重くなっただけで、今までの生活とたいして変わらない。

 だが、時々、帰りの電車から窓の外を眺めていると、感じることがある。

「寂しいとは感じなかった。でも、時々むなしくなることはある」

「むなしい?」

「ああ。自分で選んだ生き方だけど、もしかしたら違う生き方があったんじゃないかって。それこそ子供っぽいというか、夢見がちだな」

 成長し、大人になるにつれて、負の感情が心を覆っていくように感じる。嫉妬は誰それがどのゲームを持ってるだとかから、待遇やら生まれやらに変わる。自分はこうなのにあいつは恵まれてるといった風に。ポジティブな感情ですらネガティブを含む。誰かが躓くのをみて大小あれど得をしたと思う人が多い。

「誰かが側にいてくれるって、価値があることなんだな」

「なに突然」

「いや、なんかそう思った。感謝しなきゃな、父さんにも母さんにも、お前にも。一回切るぞ。かけ直すからちゃんと電話とれよ」

「え、ちょっ……」

 俺は困惑する妹を無視し、電話を切ると、着ていた部屋着を脱ぎ捨て、着替えをすませると車の鍵を取り外に出た。

 深夜の空気は昼間の重苦しさが嘘のように澄んでおり、俺は一度大きく息を吸い込んだ。

 駐車場に向かいながら、電話をかける。一度目のコールが鳴りやまないうちに妹は電話に出た。

「いきなりすぎだよ。なんかあったの?」

「今から家に行くから待ってろ」

「いやいや意味わかんないよ!?」

「寂しいんだろ?」

「いやまあそうだけど」

「俺もなんだか今日は寂しいんだ。コンビニでなんか買ってくから、今日は朝まで兄妹仲良くお話でもしようじゃないか」

「なにそれ」

 呆れたように言いながらも、妹の声はどこか嬉しそうだった。

「じゃ、また後で。家着いたら一回電話するから、それまでは呼び鈴鳴っても出ちゃだめだぞ」

「了解」

 電話を切り、車に乗り込む。エンジンをかけ、夜の街に走り出すと、妙に爽やかな気持ちになり、笑みがこぼれた。

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深夜、日常、感情と行動 三角海域 @sankakukaiiki

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