第6話 消えて現る

(7)



不意を突かれた。

今から横に飛び跳ねても回避はできない。

何か……何かないのか。


いくら考えても、不可視エネルギー弾を撃った時のように感覚的にこうしろ、というような魔法は何も無かった。

無抵抗のままその一瞬のチャンスが過ぎ去って行く。

悔しさも悲しさも感じさせずに無慈悲にもその時間は終わりを迎えた。


「悪いな千春」


直後、四度目の無詠唱魔法がまたひとつ、ビルに大穴を作った。


俺は大きな衝撃に身を任せることしか出来ず、無残に宙に散った。

巨大な圧力が全身に降り注ぎ筋肉から骨まで容赦なく痛めつけられる。

声が出せない苦しさ。

藻掻くことすらさせてくれないほどの激痛。

心も体もとっくに限界を迎えているのにも関わらず途絶えることない意識。

本来なら人間のその生命力に喜びを感じるはずだ。しかし、残酷なことに今はそれが最悪の事態を招いている。


目は開けないが、こんな時でも痛覚や聴覚はまだ生きている。男の声が途切れ途切れに聞こえてきた。


「……の………は良い………よ~」


ぐちゃぐちゃに曲がった体がその声を拒絶する。


怖い……。

怖い……。


「誰…が羨むも………いる……も、それは上手く………とた……的だよ~」


その後も何か喋っていたがひょっとこ男の話は殆ど耳に入ってこなかった。

痛みが全てを支配し他のことなど何も考えられない。

生きる気力があるのかも分からなくなっていたが、俺の中にある何かがまだ生きろと魂を燃やしていた。


その奮闘が幸を制した。

どこからかひょっとこ男以外の声が聞こえてくる。


「………!………、………!」


よく聞こえない。


「……!…………!」


もう少し。


「……さい!…て下さい!」


ぼんやりと視界が開け、灰色の正方形が目に入った。

このビルの床だ。

さらに聴力も回復してきた。

聞こえてくるのは女性の声。

その声は透き通っていてさながら天使のような、あるいは女神の様なやさしい声。


「起きて下さい!起きて下さい!」


その声の持ち主はうつ伏せに倒れている俺の背中を摩って懸命に叫んでいた。


そんなに強く背中を刺激されると痛みが……。

俺はふと、あることに気がつく。

痛みと傷が全くないのだ。

夢を見ていたわけではない。

服は破れて千切れているし、床を見る限りビルの中にいるのは間違いない。


一体何が起きたというのか。

膝立ちの状態になり顔を上げて周囲を見回す。


ひょっとこの男がいない。

ビルに開いた大穴が無い。

そして。


「ああ……女神様……」


勝手に飛び出してきたその言葉に彼女は首をかしげている。


艶がかった綺麗な銀髪。

サファイアの様に蒼く輝く大きな瞳は、俺を深く静かな海に惹き込む。

背は俺より少し低いくらい。推測するに一六五cm~一七〇cmと言ったところか。

控えめだが、スラリとした体のラインがその胸を大きく見せている。

が、その誤魔化しは普段千春のブツを間近で見ている俺には通用しないのだ。


それにしても服がピチピチ過ぎではないか。

コスプレを感じさせる、真っ白のサテン生地と呼ばれるツルツルした服に身を包まれている。

この格好で攻撃されたら避けるどころか迎えに行くだろう。


ここで俺はあることに気がついた。


「まさか……いや、何でもない」


もしかして宇宙人ですか?


なんて聞けるはずない。もし違えば頭がおかしい人だと思われかねない。

それと、もしこの少女が宇宙人だとしたら俺の敵ということになる。細田は自分のことを反逆者と言って味方についたのだから、逆に考えると、宇宙人は基本的に敵に回ってしまうのだろう。何故かは知らないが。


俺を心配して起こしてくれたのだとすると、俺が敵ではないと認識しているのだろう。

魔法を使えることも隠しておいた方が良さそうだ。


「あ、あの……何が起こったんですか?」


ここはひと芝居打つかな。


「お、俺は……変な男に絡まれて……」


無理矢理気弱で挙動不審な少年を演じる。

こういうタイプは嫌いなのだが仕方が無い。


「うーん、色々聞きたいことはお互いあるだろうけど、とりあえず怪我は完治してる?」


怪我は完治したか。

確かにそう言った。

つまりこれは彼女の魔法で俺は一命を取り留めたということだろう。

だがここで魔法のことを話してはだめだ。


「怪我……?あ!確かに俺は変な男に吹き飛ばされて……あれれー?おかしいぞー?」


どこぞのコ○ンくんだよ。


と自分でツッコミを入れつつ話題を展開させる。


「なんで治ってるんだ?それに、さっきのあれは何なんですか?」


「ちょっと落ち着いて下さい」


質問攻めに困った様子だ。


「すみません……急な出来事で……」


頭を掻きながら頭を下げる。

細い声を出して自分を弱く見せる。これで、普通の人間が魔法に巻き込まれて怯えているという完璧な状況が作り出せるのだ。


「それも無理もないでしょう。貴方はこの辺りにお住みになられているのですか?」


住居地を聞かれるということは少なからず怪しまれているのだろう。見ず知らずの人に住所を教えるなと教わったが、どうしたものか。


「そうですよ。何故です?」


数秒の思考の結果、正直に答えることにした。

変に濁してさらに怪しまれては元も子もない。

どんな魔法を使えるのかだって分からない。

最善の選択だ。


「いえ、大したことでは無いですので」


濁された。

それも当然と言えば当然だが。

向こうだってまだ俺のことを警戒しているだろう。ひょっとこの男みたく無能というわけではないだろう。

助けてくれたのも、地球侵略のための情報を聞き出すことが目的なのだろう。でなければ見殺しにしてしまった方が楽だったはずだ。


「では、本日はこの辺で」


「え?」


「今日はもう遅いですし、明日にしましょう」


「はあ」


演技ではなく本気で素っ頓狂な声を上げてしまった。


「心配せずともしっかり話しますよ。明日また必ず会えますから」


そう言うと彼女はひらりと身を翻し開いていた窓から飛び降りた。


因みにここ、二階です。

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