第8話怒りと悲しみ

ぼくは、バクラのことを許すつもりはないし、顔も合わせたくなくなるほど彼のことが嫌いになった。



 本当は、もっと速く傾いているはずなのに、なぜだかとてもゆっくりに感じていた。

 犯人は、きっと……いや、絶対に、バクラだ。

 木が傾き、倒れていく恐怖よりも、その思考のほうが早かった。

 「カルハくんっ」

ぼくよりも先に体勢を崩し、木から離れてしまったカルハくんをかばうため、ぼくは木を蹴った。

 瞬間、地面に向かって勢いよく落ち始めた。

 ……怖い。けど……。

 ――これを仕組んだのが本当にバクラなら、この事故を招いたのはぼくだ。ぼくのせいでカルハくんが怪我を負うようなことにはしたくない。

 そう思ったぼくは、恐怖を捨て、カルハくんの下敷きになるように動いた。

「ファミ!? 何してるんだっ、離れろっ!」

カルハくんは言う。……が、離れるつもりは無かった。

 「ファミっ」

もう地面に落ちる、と思って目をつぶった瞬間、ぼくはまた、助けられた。

「カ、カイナにいちゃん……」

カイナにいちゃんは体中傷だらけだった。きっと、ここにくるまでに、バクラの手下(多分)と戦ったのだろう。……多分。

 「カイナにいちゃん、上っ!」

倒れてくる木を指して、ぼくはカイナにいちゃんに飛びついた。

 「っ!! ばかっ、ファミ、そっちは―――」

最後、カイナにいちゃんがなんて言ったのかはわからなかったが、いつものいたずらっぽい笑みを浮かべ―。

 ぼくとカルハくんを、真横へ優しく放った。

 ぼくは、そのあと地獄を見ているかと思った。

 どこから飛んできたのか、矢がカイナにいちゃんを貫き、カイナにいちゃんはそのまま地面に落ちた。そのあと、倒れてきた木が覆いかぶさる。

 もし、もしぼくがカイナにいちゃんに飛びついていなかったら……。

 もう、声なんて出なかった。まさに、地獄絵図。

 いや、もしかしたらほかのひとはそう思わないのかもしれないけど、当時のぼく……いや、カイナにいちゃんと親しかったぼくにとっては、地獄そのものだった。

 ぷち、と頭で何かが切れた。

 「ふ、ふざけんなよっ!!」

気づけば走り出していた。雨で地面がぬかるみ、走りづらいうえ、もともと足が遅いぼくは、久々に四足ダッシュをした。

 そして矢が放たれた方向へ向かうと、矢をつがえた猫と、その背後にバクラがいた。バクラは、笑みをこぼしていた。

 飛んでくる矢を奇跡的にかわしながら近づき、止まぬ雨を隠れみのにしながら、彼らに近づいていく。

 何とか矢の猫をかわしきり、バクラに近づいた。

 バクラは、さっきと変わらず笑っていた。

「お前っ……!!」

と、叫んだころには怒りが心を支配して、体が勝手に動いていた。

 数回左右にフェイントをかけ、後ろに回りこみ、飛びつく。そして首筋に爪を立てる。

「お前、ふざけんなよ。カイナにいちゃんが味わった苦しみ、倍にして返してやろうか」

ぎり、と少し爪を食い込ませる。

 こっちの勝ちだ、と思っていたのに、バクラは乱暴にぼくを振り回し、無理矢理引き剥がされた。

 「……っ!」

びちゃっ、と地面に落とされ、全身泥まみれになった。

 ばっと顔を上げると、もうすでにバクラとその手下たちは立ち去ったようだった。

「カイナにいちゃん!」

あわてて駆け寄ると、そのきれいな蒼い瞳からは光が失せかけていた。

「ファ……ミ。俺は、もう……もたない」

そんなこと言わないでよ、またいつもみたいにしゃべって笑ってよ、そう言いたかったのに、口からは嗚咽が漏れるだけで、涙が止まることはなかった。

 「ファミ。お前……に、ヒーローを、継いで、ほしいんだ。無理に、と、は言わな……いから……。頼む」

カイナにいちゃんは、震える手で、首から下げたペンダントに触れた。

「俺、は、いつでも……お前を、見守ってる、からな……」

 ザー……

 カイナにいちゃんがしゃべらなくなってしまってから、雨の音がよりいっそう強くなった気がした。

 ペンダントを手に、止まぬ雨の中、ぼくはずっと立ち尽くしたまま泣いていた。


(つづく)

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