①遺伝射たんれば



「これ、受け取ってください!」


そう言って手のチョコを渡そうとしてきたのは、短い茶髪の女の子だった。



一限目の体育の授業が終わり、私は体育館から廊下を通って校舎一階の一年の教室に戻った。自分の机に置いていた体操着袋に手をかけてとっとと着替えてしまうと思ったが、その前に少し汗を書いたのでひとまず顔や手を洗いに行くかと再び教室を出た。この時期は廊下もかなり冷え込むので汗が冷水のように態度を変えていき、とても寒い。風邪を引かないように、早く暖かい教室に戻ろうと急いで水道へ向かう。水道まで約半分の距離を小走りしたとき、傍に構築されている階段から一人の少女がせかせかと上がってきた。少女、といっても背丈が多少低いのが主だっているだけでおそらく同学年だと思われるが。人のことを言えたものじゃないけども、どうしてそんなに慌てているのかとふと気になって思わず立ち止まってしまう。すると階段を上りきった少女は、勢いそのままに高低差のない床を駆けて私の所属するクラスを通過しこちらの方へ……って、こっち!?

そして流れるように少女は私にチョコを渡そうとしてきたのだ。



その子とは今まで面識なんてなかったので、急な申し出にたじろってしまう。しかも一限が終わった後という、微妙な時間だ。こんなタイミングで彼女は私に彼女は突然チョコを与えてきた。きっかけも何も分かりそうにない。一体何故だろう?私は、どうなるのだろう?見るのも初めてな相手なのに、まさか好きですとか言われたりするのか。それとも彼女は実は今まで影で私のことをじっと見つめていたのだろうか。もしくはついさっき私が廊下を歩いてるところを一目惚れした、という可能性もなくはない。ナルシストみたいになってしまった。

真偽の程を審議しようと彼女の様子を伺ってみるが、話しかけてきた瞬間と体勢が僅かにすら変化しておらず、お小遣い全てを掛けて賭けた宝くじを開放する際のように目をつむり、小学校の頃やたら張り切ってしまい無茶な格好なまま完成した前へならえに勝るとも劣らない腕の前面への突出を見せているので、これまたちょっと怯む。いやあんな宝くじなんて今後絶対買わない。一生許さない。しかしこのままなわけにもいかないので、やってみなくちゃわからないっという調子で主人公を気取って会話を切り出そう。


「え、えーと……まず、君、誰?」

「わたしは、」


続けて名前を口にした。ふぅん、可愛らしい名前だ。

彼女はようやく視線を自由にし、私に向けてくれた。改めてこうして正面から見ると、容貌もなかなかに整っていて可愛らしい。美しい、とも言えるまである。

あとで友達に聞いた話だが、彼女は普段まったりしていて優しい人あたりであるらしい。それゆえ、多くの人に求められ(って言うと色恋沙汰みたいだけど)皆一様に彼女のことを好意的に認めているのだとか。いつもは特別目立つわけではないが、ときどき皆の特別、になるとも言っていた。多分、教室でたまに弄られる地味な子、それを良い意味で置き換えた感じだろう。それでも私は生まれてこの方彼女の噂を一度も聞いたことが無かったのである意味常識知らずなのかもしれない。

そして今は彼女の外見については感想を言えても内面についてはまだ何も分からない状況だ。判断材料がないから、告白的なことをされても対応が難しい。そんなわけで事情聴取といこう。


「で、それは何?」

「チョコです!」


いや、それは見た目で分かる。一目で分かる。まんまだもの。


「そうじゃなくて……」

「?」


「?」って顔されてもなぁ。なるほどこの子、天然だ。自信を持って主張できる。それはそうと、何と言ったらいいものか。


「君……君って、私のこと、好きなn「はい!」


即答だった。問いかけ終わる前に答えが迫ってきた。ついでに身体、特に上半身、もっと言うと顔まで迫ってきている。妙にきらきら輝く顔が視界を埋め尽くそうとしている。この子が犬だとしたら後ろのお尻から生える尻尾を何往復もしているだろうな。でも姿形を考慮すると、丸っこい犬というよりはすらっとした高貴な犬の方が例えるには適切だろう。


「……ということはこれは愛の告白のプレゼントってこと?」

「そんな感じです!」


プレゼントが、それか。随分直接的だな。まぁ素直というか、ある意味究極的だと言える。だが肝心の疑問は消化されない。


「疑問に尽きるから聞くけど、なんで私のこと好きなったの?そもそも私のこと本当に知ってるの?まさか罰ゲームとかじゃ、ないよね?」

もしそうだったらそれはそれで楽な気もする。


「罰ゲームなわけないですよ!」

ちょっと強気で否定してきた。むむっ、とした顔をしている。いや、もともと強気な姿勢ではあるんだけど。心理的にも物理的にも。


「わたしが好きなのはですね……」

とそこで次の時間の開始のチャイムが鳴り響く。あーせっかく謎が解けそうだったのに。タイミングが悪い。


「あ、もう授業始まっちゃいますね。また後で、会いましょう〜!」

彼女はそう言って手を振りながら颯爽と駆けていった。


「ほんとにほんとに、罰ゲームじゃないですからね〜!」

十歩くらい進んだ後、後ろを振り返ってそう繰り返した。軽やかな小走りで元いた場所に帰る彼女は、元気な子供みたいに思えた。


二時間目は寒さと戦っていた。極寒の廊下で話し込んでいたので案の定身体が冷えきってしまっている。結局タオルで汗を拭いただけなのでほのかな汗の匂いを自分でも感じる。しかし寒さや匂いを体感するとともに、頭では彼女のことばかり考えていた。友達にも色々聞いてこのとき初めて彼女について知った。特に近くの席の川越さんからは詳しいことが聞けた。彼女の性格、態度、立場……とにかく彼女のことで頭がいっぱいだった。何より先の告白について思いを巡らせた。自分が告白されるなんて、思ってもいなかった。当然嬉しくないわけがない。しかも相手が相手だ。由々しきことである。

なんて思考に夢中だったためいつの間にか授業終了の合図がなされていた。私が何かに夢中になるほど思案するなんていつぶりなんだろう。

号令が終わったので一応廊下に顔を出してみたが、彼女の姿は見当たらない。そこまでする義理があるかは分からないが念のため廊下で彼女が来るときのための準備をする。冷気が冷たく、頭の危険が危なくなるほどの中頑張って粘ったが結局来なかった。残念。階段を行き来する人はいたんだけどなぁ。肝心の彼女が来ないのではしょうがない。


教室に戻り三時間目の授業を受ける。今遅刻して教室に入ってきた川越を見てふと思ったのだが、この私立岡紫野高等学校は施設が充実している。鶏が先か卵が先かは分からないが、つまり部活も多いということだ。鉄道模型部、鉄道写真部、鉄道旅行部、料理研究部、創作料理開発部、陶器工芸部、宇宙研究部、洞窟探訪部、昆虫生物部、海洋生物部、陸上生物部、木造建築部、縄文時代研究部、ファッションデザイン部、寝具寝心地研究部などなど数え上げるときりがない。個性的な部活ばかりだ。そのせいか、個性的な生徒も多い。私の周りにもそういう人がいる。それに対して私は何も部活に入っていない。流石のこの学校にも正式に帰宅部というものは存在しないらしい。


そう、私は何にも属していないのだ。強いていえばこのクラスくらいだ。後から何かに入ろうにも、豊富な部活数ゆえに一つ一つの部内の繋がりが強固で溶け込めそうにないのだ。


そういう点では、もしかしたら私は今まで寂しかったのかもしれない。どこかで孤独を感じていたのかもしれない。話しかける友達はいても、それは真の意味での繋がりではなかった。一瞬で終わってしまうものなのだ。それよりも私は一生の友達が欲しい。一生許せる人が欲しい。たった一人でもいい。なんなら恋人でもいい。本心ではそうやって孤独を埋めてくれる存在を求めていたんだ。


私は本当の気持ちに気付けた。……いや違うか。これまで気付かないふりをしていただけだ。そうか。そうだ。

やっと私は、認めることができたんだ。



三時間目が終わり再び顔を廊下に出してみると、既に教室の前で待機している彼女がいた。よかったよかった来てくれたと思いながら寒さへのためらいも覚えず、声をかける。


「待っててくれてたんだ」

「あ、きた!お待ちしておりました。」


冗談めかして礼儀正しく言う彼女。わざわざお礼のポーズまでとってくれる。細かい仕草が絶妙に可愛い。


「早速ですが好きな理由はと言、きゃっ」



そんな彼女を、抱きしめた。



「えっ、えっ、えっ?」

彼女は突然の私の行為に驚きのあまりパニックになっている。彼女の緊張で固まった身体からも、その驚きようを感じられる。しかしこれはお互い様だ。そっちだって突然私に告白してきたんだ。私がどれだけ気恥しさと喜びを隠すのに必死だったかなんて分からなかっただろう。けど今は、素直になろう。ありのままで。


彼女の肩を、さらに強く抱きしめた。


「ごめん……私、嘘ついてた」


勇気を振り絞って真実を伝える。


「……嘘、ですか……?」


彼女はまだ事態をよく認識できていなく、なんとなくといった雰囲気で応答した。


そう、私は嘘をついていた。本当は、彼女の名前なんて元から知っていた。その可憐な姿も、優しい性格も、ちょっぴり天然なところも。全部ぜーんぶ知っていて、それでも受け入れられなかった。愛をもって接しようと、話しかけようとする度胸がなかった。挑戦も努力もしなかった。私は意気地無しで、卑屈で、陰に隠れていていればそれでいいと思っていたから。

だけど、その心の壁を突き破ってくれたのが、彼女だった。彼女の勇敢で力強い告白が、私の惨めさを取り払ってくれたのだ。そうして私は自分の弱さを受け入れて、認めることができたんだ。本当は昔からずっと、ずっと。


「ずっと前から、好きだったんだ。」


言った途端、肩が濡れるのを感じた。一体何が、と一旦離れて顔を見ると、既にそこにはさっきまでの呆然とした彼女はいなかった。今、目の前の彼女は、大粒の涙をこぼしていた。


「うぅ……嬉しいです……まさか、まさが本当に好きになってくれるとは思わなぐで……ずずぅっ…………うぅ……」


涙も鼻水も堪えきらなく、次から次へと溢れている。声も段々乱れていく。そんな彼女を、私は黙って眺めた。


「……ずずっ……。わたしが、好きになった、理由も……言っでいいでずが……?」


「……いいよ。教えて。」


少し間を空けて、彼女は明かした。


「わだじ、こんなどきになんですげどぉ……よくひどから好がれやずいんですよ…………ちやほやざれるっていうがぁ……それで、飽ぎ飽きしででぇ、づまんないなぁっで思ったとぎに、あなだを見つげだんでず…………あなだばわたじにちっども興味ぎょうみなざそうにするがら、ふりむかぜてやろうど思っだんですけどぉ…………。今思えば、あの時に一目惚れしでだんですね……。逆にわたしが好きになっでいっだんですよぉ…………。」


ぐずぐずになりながらも言い切ってくれた。


「ほんどうに、きになってぐれで……嬉じいでず…………」


「ありがとね……私を好きになってくれて。私も、嬉しいよ。」


私も、「好き」になれたのだから。



私はそう言うと、彼女の流れた涙にキスをした。

彼女の涙は甘く、少しほろ苦くもあった。

今気付いたけど、彼女は体育で汗が匂う身体でも嫌な顔一つせずに抱きしめられてくれていたんだ。そう思うと、より愛らしく思えてくる。もっと好きになってくる。


もっと、求めたくなる。



「ねぇ……こっちに……しても、いい?」


そうして彼女の唇を指でなぞった。

彼女は残った涙を手で拭った後、


「いいですよ」


と嬉しそうに笑ってくれた。笑顔が、眩しい。


顔と顔が近づく。唇と唇が近づく。お互いの息遣いまで聞こえる。一人ともう一方の距離が小さくなり、やがてそれは無になる。だが空虚ではない。

これは永遠のための、愛になる。


「「大好きだよ」」


次の刹那、唇に柔らかい感触を覚え、思わず気持ちいいと叫びたくなるほど気分が高まる。一回の接触だけでは足りない。満足できない。二回、三回と。何度でも、口付けを。

表面同士の触れ合いをひとしきり楽しんだ後、ついに舌を口から出して、相手のそれに絡める。内側の擦れ合い。絡めて絡まって、粘膜を強く意識する。

甘い。甘くてとろけていく。粘膜まで甘美に染められているのではないかと錯覚する。

それほどまでに甘い。とにかく甘い。甘いということは、幸せだということ。私は今、幸せを噛み締めている。

その甘さのなかに、ちょっぴり苦い大人の味もした。それは、今までの私達のすれ違いのように思えた。だけど、苦い思い出もいつかは良い思い出へと昇華する。


甘さも、苦さも、全部受け入れて。


舌まで吸い尽くしたとき。





彼女はもう、いなかった。











私は小腹を満たせたので教室に戻った。











昼休みになる。


教室がよりいっそう騒がしくなる。


「何かな」と様子を見てみると。








川越が、「彼女」達をたくさん配っていった。

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