交差する世界にて

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第1話 空港


 サバンナの草原やアマゾン熱帯雨林に住む野生の動物たちにとって、おそらく、『走っているとき』というのは命にかかわるときだろう。

 捕食する側にしてもされる側にしても、走らなければ命をつなぐことができないからだ。


 しかし、ここ平和な日本の中であっても、もちろんマラソンや短距離走など競技や単純な趣味など除けばだが、走るときというのは非常時に限る。

 命の危機を感じたときはもちろん、怖い上司がいる会社に遅刻しそうなとき、わざとじゃないのに不良と肩がぶつかってしまったときなど、普通の枠組みから外れることが起こり、自身に何らかの被害が降りかかってくる可能性があるときに人は走るのだと思う。


 そう考えると、もうすでに手遅れとなってしまった今、神導(しんどう)セカイが手を引かれながら走っているのはおかしなことのように感じていた。


 時差のせいだろうか、あるいはシンプルに夜だからだろうか、眠そうな人々が多い夜の空港を突っ切っていると、ガラス張りの窓に二人の少女の姿が映る。


 手を引かれている少女、セカイは、一本一本が天人の纏う着物に使われてもおかしくないほどに美しく長い銀髪を持っているのだが、あまり整えている余裕がなかったからか格好の悪い寝癖がついている。

 眠たそうな眼で、それはグレイの綺麗なもの、純血の日本人ではないのは見た目から明らかだろうが、元々捨て子で、紆余曲折があり運よく今の親に引き取られた身分なのでよくわからなかったりする。地区内でお嬢様学校の制服なのに地味だと評判の上下共に黒の制服を着ており、これまたスカートの丈やタイの位置など、普段学校で教師にあれこれ指摘されるような服の乱れ方をしていた。


 一方、セカイの手を引っ張りながら前を走っている少女の名前は伊月(いつき)シオン。


 幼稚園の頃からの幼馴染であり、クラスがずっと変わらないところから考えるに神様はきっと彼女を生涯の友にせよと言っているのだろう。

 いいシャンプーを使っているのか綺麗な長い黒髪は一本に縛っているため、走っている最中、良い匂いを発しながらセカイの前でゆらゆらと揺れていた。曲がっていないリボンに丈を折っていないスカートと、校則通りのきちんとした服装をしている。


 背が高く、気品があって、雰囲気こそ大人っぽいが、中身では結構メルヘンチックなことを考えていることが多いことをセカイは知っている。

 しかしながら、表面しか知らない周りは、彼女自身にそっちの気がないにもかかわらず、女子高ということもあり、同級生や後輩から『お姉さま』と呼ばれ、結構な頻度で告白されていたりもするらしい。


 本人が心待ちにしているのはこの地球上でおそらく絶滅してしまったであろう『白馬に乗った王子様』だというのに……。


 面倒見がいいというか、姉気質というか、困っている人を放っておけない性格ということもあり、昔からセカイは彼女に世話になりっぱなしだったりする。

 現に今も、彼女は迷わずついてこられるようにとセカイの手を引きながら走ってくれている。


「まったく……どうしてこんな時間に寝ているのですか!」

「いや、飛行機の中で眠ろうと思って昨日から寝てなかったんだよ」

「それで、耐え切れずソファの上でぐっすりと眠ってしまったと……まあ、確かにセカイらしい理由ですが」


 彼女があきれるのも無理はない。本日は、高校生活において、一番大切なイベントの一つといっていい修学旅行。

 しおりに書かれていた集合時間は夕飯時なので、本来であればおこってほしくもない奇跡でも起きない限りは寝坊するはずのない時刻であったが、残念ながらセカイは睡魔というこの世で最も妖艶な悪魔に敗北するという形で起こしてしまったわけだ。

 

 ちなみに電話がかかってきていたらしいのだが、旅行先で充電切れにならないようにと携帯の電源は切って充電していたし、兄も両親も仕事で夜遅いので、誰も気づかないというこの事態を見事に作り出してしまった。

 そして、学校でセカイが来ていないことに気付いてくれたシオンがわざわざ引き返してきて、起こしに来てくれたのだが、集合場所の空港とセカイの家との間にはかなりの距離があり、まあ、かなり遅れてしまったわけだ。


 成田空港を走っているという時点でわかってくれているとは思うが、彼女たちの通っている麗心学院の修学旅行の行先は、流石はお嬢様学校というだけあって、海外なのである。

 行先はもちろん日本人が最も好むといわれている青く美しい海のある、あの場所。


 それにしても空港の中というのは、免税店に限らず、多くの店があり、走っている間もついつい目移りしてしまう。

 特に、機内食が出るからと朝昼と食事を抜いてきたことによる空腹による訴えは冤罪により刑務所に入れられてしまった囚人のごとき余裕のない切なもので、そんな体の要求は食べ物系統が目に入るたびにこの体をそこに留めようとしてくるのだからしようがない。


「セカイ、立ち止まらないでください!」

「いや、でも、夜ご飯食べてないしさ、美味しそうなケーキあるし……」

「そんなこと言っている場合ですか――って、引っ張らないでください!」

「大丈夫、大丈夫。どうせ予定の飛行機にはもう当の昔に遅れているわけだし。シオンが持ってきてくれたチケットの時間には間に合うからさ」


 シオンが呼びに行くことになった時点ですでに予定していた便をキャンセルして、2時間ほどずらして違う飛行機に変えてもらっていた(キャンセル料は教師が払ってくれていて後で請求されるらしいが)。

 もちろん、学校のほかの皆は先にホノルル行きへの便に乗って行ってしまっているので、シオンが今持っている航空券の時間帯の便に乗る生徒はシオンとセカイの二人だけだった。

 

 そんな理由もあって、今、セカイたちの周りには小うるさい教師はいない。


 小中高一貫の麗心学院は箱入り娘たちがほとんどなので、皆が当たり前のことだと思っているらしく、あまり不満が聞こえてこないのだが、外から見ればさぞ堅苦しい学校に見えていることだろう。

 教師とすれ違うたびに、歩き方だの服装だのを指摘されるし、校則で寄り道禁止だし、携帯も使っちゃいけないし、外から守られている代わりに、まあ、面倒な学校である。


 先ほどまでのように走っているのを教師が見たらきっと、「はしたないからおやめなさい」とでも言われていただろう。いや、先に乱れた服装について指摘されるか。

 どちらにせよ、きっとホノルルについたら寝坊したことについてこってりと絞られるのは目に見えているので、それを考えるとかなり憂鬱だったりする。


 それでも教師の目のないこの瞬間だけでもと、自由を手にしたセカイが、シオンの手を先ほどまでとは逆に引っ張りながらケーキの置いてあるカフェへと入ろうとしたが、どうしても彼女は引き下がってくれない。

 仕方がなくシオンの手を放すと、「いいですか」とまるで馬鹿な子供に言い聞かせる先生のような態度で人差し指を突き付けてきた。どうやら、ここにも一人、面倒な教育者はいたようだ。


「今度の便に乗り遅れたら、修学旅行自体がなくなってしまいますよ?」

「そしたら、連休になるね。一緒にどこか行く?」

「行きませんよ! 休みにもなりません! そもそも貴女は昔から――きゃ」


 幼馴染の説教が始まろうとしたとき、シオンは横を走ってきた女にぶつかって、倒れる。


「だっ、大丈夫、シオン!」

「はっ、はい……」


 幸運なことにシオンは怪我していなかった。一方ぶつかってきた女は、サングラスをしていたせいで顔はよくわからなかったが、容姿から推測するに外国人のようだ。

 一瞬、セカイたちを見たが、すぐに一目散に走り去ってしまった。短いブロンドの髪を揺らす後姿は文句を言う隙も与えてくれない。


「まったく、空港で走るなんて……」

「まあ、私たちが言えた義理ではないですけどね」


 ぶつかってきておいて謝りもしない女に怒りを感じたが、そう言ったシオンの笑顔だあったので少しだけ怒りが和らいだ。

 シオンに手を差し出して、彼女を立たせていると、今度は近くを黒服サングラスの怪しいを体現したような連中が近くを横切って行った。もしかして、映画の撮影でもしているのだろうか。


「行こうか、なんか、寄り道って気分じゃなくなっちゃったし」


 それはよかったです、といったシオンの隣に行く。


 さっきの外国人と黒服の奴らはいったい何者だったのだろうか。

 映画の撮影だとしたら肖像権侵害だな、などと思いながら、今度はゆっくりと空港内を歩き出したのであった。


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