第7話 死の鎌
天井の亀裂から漏れる月明かりに、うっすらと侵入者のシルエットが浮かび上がっている。かなりの細身。身体に密着したウェットスーツのようなものを着ているらしい。頭部をフルフェイスのヘルメットで覆っており、顔はバイザーで見えない。等身大の昆虫か、宇宙服を着たエイリアンのようなSFじみた外観だ。
手にした拳銃は消音器と一体化しているのか、銃身が長く、先端が太い。彼が見たどの種類の銃にも似ていない。特殊作戦に特化した武器なのだろうか――つまり暗殺の。いずれにせよ、今まで相手にしてきたごろつきとはまるで雰囲気の異なる相手だ。
何より全身から放たれる、昏く身の毛のよだつような静けさは、その手に握られた銃器よりよほど剣呑だった。
海老で鯛が釣れたってところか――彼はほくそ笑む。
しかしどうする?武器は手元になく、保管してある『エンフォーサー』を取りに行くには距離がありすぎる。何よりそれを許してくれる甘い相手とも思えない。侵入に備えて、罠は各所に仕掛けてあるが――さて、どこまで通じるか。
悔やんでも仕方がない。出たとこ勝負しかないな――彼は決意を固める。
手頃なコンクリの破片を手に取り、投げる。侵入者の肩が動き、発砲。その瞬間に正反対の方向に逃げる。だが侵入者は、恐ろしいほどの速さで銃口をこちらに構え直す。意図を読まれたか、あるいはよほど優秀なセンサーでもヘルメットに内蔵されているのか。
思い切って身を投げ出す。鋭い音を立てて飛翔体が右肩をかすめる。肝を冷やしながら、格好を気にする余裕もなく床を這いずる。蜘蛛の糸にすがる罪人の心境で、壁際に垂れさがる紐を引き、「罠」を発動させる。
天井近くに吊られていた台が傾き、その上にこぼれんばかりに載せられていた廃材が一斉に侵入者の頭上にふりかかった。大小の金属塊がどっと降り注ぐ。さすがに驚いたのか、侵入者が数歩後退する。その隙を見逃さず、身を起こして疾走。棚の隙間に隠してあった「武器」を手にした。
「武器」と言っても特別なものではない。1mほどの継ぎ目のない鉄パイプの両端を塞いだだけの代物。だが近距離戦では立派な得物となる――彼の手に握られれば特に。気合、一閃。渾身の力で突き出された鉄棒は、侵入者の手から銃器を弾き飛ばした。
銃器が床面を滑る音。だが武器を奪っても舌舐めずりする趣味はない。鋭く鉄棒を振り、侵入者を追い詰める。相手は見事なステップで数撃を回避するが、彼は鉄棒を両手で握り締め、渾身の力で相手の喉元に押し付けた。相手の体格はこちらより遥かに華奢だ。このまま力まかせに押さえ込んでやる――!
濃いバイザーのため表情は見えないが、動揺と苦悶が伝わってくる。もう一息だ――思った瞬間、相手の肩口で、かちり、と何かの仕掛けが作動する音がした。次の瞬間、目と鼻に霧状の何かが吹きつけられた。
目の表面に紙やすりをかけられたような激痛と、レモンとタバスコと胡椒を何百倍にもきつくしたような刺激臭。相手を押さえ込むどころではない。鉄棒を落として後退するしかなかった。無防備になった腹に、強烈な蹴り。ダンプカーにでも衝突されたような打撃。後方に吹っ飛ぶ。
横倒しになった視界に、侵入者がよろめきながらも銃器を拾うのが見えた。起き上がれない。顔面と腹の激痛に身をかばう余裕もない。黒々とした銃口がこちらに向けられる。その上の、フルフェイスヘルメットに覆われた頭部。やはり表情は見えない。
なぜだろう―—一瞬、相手の奇妙な逡巡のようなものを感じた。どうした、やれよ、と挑発する余裕はない。だが彼は、寸分なく動いていた精密機械が何かを狂わせたような違和感を感じ取った。
だがそれも一瞬で、銃口の揺らぎがぴたりと止まる。決意を新たに、ってところか。彼は頭を垂れた。それならそれでいいや。やってくれ。
何か状況にそぐわない、ぽんという間抜けな音が響いた。だが次に発生した効果は絶大だった、倉庫の中に、猛烈な勢いで白煙が立ち込め始めたのだ。
「動くんじゃねえ!」大型のリボルバーのような武器を構えた男が走り込んでくる。ガスマスクでくぐもっているが、その声は確かに彼を追ってきたあの「追跡者」の男だった。男はさらに武器――暴徒鎮圧用のグレネードランチャー――を構えて発砲。射出されたガス弾がさらに白煙を充満させる。
彼に向けて銃口を向けていた侵入者が、確実に動揺する気配。全身の力を振り絞り、起き上がる。涙と激痛で歪んだ視界――だが、相手の方向はわかっている。そして彼の脚力は、30センチあれば全力疾走に移れる。
頭を下げ、肩部を相手に向け、半ば跳躍するようにして体当たりした。爆発するような衝撃。さしもの相手もひとたまりもなく後方へ吹き飛ぶ。足がもつれ、倒れそうになる。誰かの手が彼の身体をしっかりと支えた。掌のひどく熱い感触。
「お粗末だったな、けだものの坊っちゃんよ……だが殺されなかったことだけは褒めてやる」
舌がもつれていたが、声は出た。「あんた……どうして……」
「俺の仕事はリアルタイムで進行中なんだよ。しっかりしろ、お前を狙ってるのがこいつ一人だけだとでも思ってんのか!?」
男はまたガス弾を射出した。どうやら倉庫の外からの監視に対する目くらましのつもりらしい。「何はともあれ貸し一個だ。今度こそ着いてきてもらうぞ。自分の足で歩けるな?」選択の余地はなかった。彼は支えられるというより背負われるような姿で、涙と鼻水を垂らしながら歩き出した。
「入れ」車の後部座席に押し込まれる。ドアが閉まる音、車のエンジン音。顔面に冷たいタオルが投げつけられた。
「拭け。今のお前、丸めて捨てられたみたいな顔してるぞ」顔の涙と鼻水と涎はぬぐったが、目と鼻の痛みが消えない。「効果が切れるまで我慢するんだな」
バックミラーに目をやる。倉庫がどんどん遠ざかっていく。彼が一人の男を数日に渡り拷問し、そして結果的に死なせた倉庫が。
ハンドルを握る男がぽつりと呟く。「忘れるな。お前に全ての原因があるとは言わんが、あいつを死なせたのはお前だ。……ああ、お前が誰かを死なせるのは2人目だったか」
言い返せなかった。身動きできなくなるほどの屈辱と敗北感が全身を覆い尽くしていた。なけなしの金と時間と手間を費やし、さしたる成果も上がらず、結果的に人を死なせた。これが敗北でなくて何だろう?
「恥じ入る気持ちがあるんなら、まだ取り返しはつく」男の淡々とした声が余計に突き刺さるようだった。「お世辞じゃなく言うが、お前はたった一人でよくやったよ。だがそれにも限界があるのは、これでよくわかっただろう?」
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