イヴの箱庭

Ni

case1

1-1


 ――声が聞こえる。


 恋が落ちる物ならば、愛とは与えられる物だ、と。


 少女の貞操を守るのは心のヴェール。心と向き合い、時間を費やし、互いを理解する事で初めて暴かれる鉄の檻。しかし、暴虐の前には容易く引き裂かれるだろう。


 心を通わせるか、心を壊すか。どちらもまた、当事者にとっては愛のカタチ。


 さて、君はどちらを選ぶ?


 ――その声を最後に、落ちていく。深く、深く、落ちていって。辿り着いたのは箱庭だった。


◇◆◇◆


 ……ここは何処なのだろう?目が覚めて最初にそう思った。

 寝ぼけまなこ、横倒しになった視界に写るのは、乱雑に散らかった自分の部屋ではなかった。気味が悪いほどに整理整頓が行き届いていて、人が住んでいるとは思えない無機質な部屋だ。

訳が分からない状況。少なくともわかっている事は、俺には妹がいても部屋は共用じゃなかったから、部屋にはベッドが一つしかなかったって事。だから目の前にベッドがもう一つあるのはおかしいって事。そして、俺に誰かの家に泊まった覚えがなく、昨日は確かに自分の部屋で寝た事。そもそも、こんな悪趣味な部屋が自室の友人は自分の知る限りではいないって事だ。

 バッと起き上がる。既に頭は覚醒していた。無駄にフカフカな、恐らく高級品なのだろう布団を引き剥がし立ち上がる。


「なんだよ、なんなんだよコレは!?」


 悲鳴にも近い言葉が自然と漏れた。驚くほど静かなこの部屋の気持ち悪さに耐えきれなかったからかも知れない。

 逃げるように部屋の扉を開ける。

 やはりというべきなのだろうか。その先に映る景色は全く見覚えのない物だった。

無理矢理こじつけるならば、同級生の友人が住む二階建ての一軒家によく似ていた。ちょっと進んだ所に下へと降りるための階段があったからだ。

 恐怖に震えそうになる心を押し殺し、階段を駆け下りる。


「うわっ!」


 一階へ辿り着く間際の階段の最後の二、三段といったところで足を滑らせて、その勢いのまま床へと体を打ち付けてしまった。辛うじて受け身を取れたのは不幸中の幸いだった。


「痛って……くそ、なんで靴下なんか履いて……いや、なんで俺は制服なんて着ているんだ?」


 滑り落ちた理由は明白だ。靴下を履いたままフローリングの階段なんかを駆け下りてしまったせいだ。だけど、それはおかしい。俺は寝る前にはちゃんと寝間着かジャージに着替える。昨日寝た時にはジャージだったはずだ。靴下は履いていない。

 それを意識した時に初めて自分が制服を着ている事に気付いた。そんな事に意識を割く余裕なんてなかったからだろう。ただ、今の状況が少し分かってきたような気がした。


「誘拐、でもされたのか?記憶がないのはその時のショックからか、頭を打ったからで……いや、それだったら流石にこんな簡単に逃げられないよな……」


 だが、そう外れてはない推理だろう。恐らく俺は何らかの影響で昨日、もしくは今日の記憶を失っているのだろう。登校中か下校中、もしくは学校に居る時に何かが起こり、この家に連れこまれた。こんなところだろうか。

 少しだけ冷静になったところで、右横に見える玄関へと向かう。

 内側から手動で開けられるタイプの扉だ。というか、鍵はかかっていなかった。やはり誘拐されて監禁されているという感じじゃないな。不用心にも程がある。

 まあ、もうどうでもいい。とりあえず外に出て、誰かに連絡する。それで済む話だ。もしかしたら倒れた俺を誰かが介抱してくれていただけかもしれないが、それでもこの気味の悪い家から一歩でも早く出たいという気持ちの方が大きかった。

 ガチャリと音を立てて玄関の扉が開いた。目の前にはどこにでもある住宅街が広がる。見知った光景に少しだけ安堵し、未だ消えぬ気味悪さを煩わしく思いながらも家の正面に座する小さな門に手をかけた……はずだった。


「え?」


 起こった出来事に困惑する。門の前に立ち、ちゃちなドアノブを手に取った瞬間、俺の体は数歩後ろの玄関まで引き戻されていた。

 自分でも何を言っているんだと思うが、そう表現するしかない。


「もう一度……!」


 起こった出来事が上手く理解出来ないまま、もう一度門へと向かうが、結果は同じ。再び、体が玄関の前へと戻される。

今度こそ、自分に起こっている出来事をはっきりと認識出来た。立ち眩みで後ろに後ずさった訳でなく、ましてや自分の意思で下がった訳でもない。ワープだとか瞬間移動と表現するべき出来事が実際に起こっているのだろう。

 そして、それは俺がこの家の領地から出ようとすると発動するらしい。馬鹿馬鹿しいが、そうとしか思えなかった。


「くそっ!それなら!」


 俺は門から出る事を諦め、塀を乗り越え無理矢理出ようとした。

 しかし、それすらも駄目だった。塀に手をかけた瞬間に同じように玄関の前にワープする。

 嫌な汗が止まらない。精神的に追い詰められている事を感じる。


「まだ、まだだ」


 最終手段。俺は一度家の中へ戻り、二階へと上がる。そして……


「はは、二階建てって言っても結構高い、な」


 思わず苦笑が漏れる。俺は今、屋根の上に立っていた。


「助走をつければあの塀くらいなら越えられる。二階建ての家から落ちたって頭さえ守れば骨折で済むっ……!」


 正気とは、言えないのかもしれない。それでも此処から逃げ出せるのなら、骨折の方がよっぽどマシだと思えた。それくらいには、もうこの状況に心が参っていた。


「……行くぞ!」


 歯を噛みしめ、屋根を走り、勢いをつけて一番端で大きくジャンプする!


「うおっ、うわああああああ!?!?」


 漏れ出る悲鳴。割り切ったとはいえやはり怖いものは怖い!それでも塀は越えっ……


「……あ?……ああ、駄目、なのか」


 塀を超えた瞬間、風を切る感覚と浮遊感が消え、視界が切り替わり、気付けば玄関の前に足をつけていた。

もはや言い訳のしようもないくらい明確に、この家からは出られない事が分かってしまい、脱力してその場にへたり込み、仰向けに倒れる。


「くそっ、なんなんだよ。どうして俺がこんな目に合わなきゃ……」


 口から思わず、泣き言が漏れる。情けなさ過ぎて、涙も出てきた。

 しばらく立ち上がる気にもなれず、目を腕で隠し、そのまま体を地面に預けた。


◇◆◇◆


「ははっ。電話機能が削られたスマートフォンって。それはもう携帯電話じゃないっての」


 一旦、脱出を諦めた俺は、この家をしっかりと調べようと何処か不気味な雰囲気の家の中に戻っていた。

 一階のリビングで自分の私物――登校用のカバンとスマートフォン――と全く見覚えの無いカバン(女児向けアニメ『プリティ・デコレーション』に出てくる熊型マスコットキャラのキーホルダーが付けられている。持ち主は女の子か大きなお友達だろう)が無造作に置かれているのを発見した。

 もしかしたらと思い、スマートフォンを手に取るも、いつもなら左下にあるはずの電話のアイコンがそっくりそのまま消されていた。メールも同様だ。インターネットには繋げられたのだが、何かを書き込むことは出来なかった。最初からそんな機能はなかったかのように手に持つスマートフォンは発信機能の殆どを失っていた。

 もうここまでくると笑うしかない。神隠しでもここまで世界と引き離されることはないだろう。文明の利器は怪奇現象には強いと思っていたが、案外そうでもないらしい。

 ……いや、貞子さんはテレビから出てくるし、カメラはしょっちゅうホラー写真を撮るし、機械は元から怪奇現象に弱いのかもしれない。

 閑話休題。とりあえずわかったことは、この家に外部との連絡手段は一切無いということだ。


 全ての部屋を調べた後、俺は最初に目覚めた部屋の前に立っていた。残っているちゃんと調べてない部屋はこの部屋だけだ。それに、目覚めたときは気が動転していたために全く気にも留めなかったが、今、思い返すとこの部屋には……

 部屋のドアを開ける。


「……やっぱり。はあ、なんでこんなのに気づかなかったんだよ、俺」


 自分が眠って居たベッドの横にあるもう一つのベッド。掛けられた布団は人が居るのが丸わかりな程にこんもりとしていた。正直、なんで気づかなかったんだと十数分前の自分に言ってやりたい。

 思った通り、やはり俺だけではなくもう一人この家に連れてこられた人がいたらしい。リビングにあった荷物はそのもう一人の物だろう。

 恐る恐る布団を剥ぐ。


「う、わー……」


 顔が見えたところで布団をそっとかけ直した。見えたのが女の子の寝顔だったからだ。

こう、なんというか、見てはいけないものを見てしまったような気がする。背徳感が凄い。


「マジかー……リビングに置いてあった荷物の持ち主ならそりゃ女の子だろうなぁとは思っていたけど。いや、マジかー……」

「……う、ん」

「あっ」


 ……起こしてしまったみたいだ。

 黒髪を肩程で切りそろえ、やや幼さを残している顔立ちのその少女は顔にかかっている布団をどけて、「ふあぁ……」と欠伸混じりに伸びをする。そのままパチリと目を開けて……俺と目が合った。


「…………え?」


 恐らく寝惚けていただろう彼女の眠気は一瞬で覚めただろう。間の抜けた声を出した後、彼女は自身の体を抱きしめ、顔を羞恥で真っ赤に染める。

 ……生憎、俺はこんな状況で適切な言葉を選べる程に女性経験を積んでいる、なんてことはない。むしろ、この状況でパーフェクトコミニケーションを繰り広げられる男はそういないだろう。……なので。


「えーと……は、ハロー。グッモーニング……?」

「最低の朝ですよ、この変態ーーーーッ‼‼」


 選択肢を間違えて、顔に平手を食らうのも仕方ないことだった。

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