クレイ2. ソヘール南地区32の5番地

 ポーチの底からメモを見つけた翌日、クレイはラシェッドに起こされると同時にバッグパックを投げつけられた。


「いっ……たぁ……!」

「荷物持て」

「へ?」


 寝ぼけまなこで聞き返すと、今度はペットボトルが飛んできた。すかさずキャッチすると、ずっしりと重みを感じた。中にはまだ水が入っている。

「あ、危ないなぁ!」

「目ェ覚めたろ。もうここには戻らないから、早いとこ支度して出るぞ」


 今日は忙しくなりそうだからよ。そう言う彼女は、もう外に出る準備は万端のようだった。クレイも寝起きの重たい体を引きずってベッドから降りると、腰にポーチを装着して、外套を羽織った。最後に食料が減って少し軽くなったバッグパックを背負い、顔が見えないようにフードを被る。


 もともとと几帳面な性格のクレイは、荷物が減るたびにバッグパックの中身を整理していたため、準備にはあまり時間をかけずに済んだ。入り口で銃を弄んでいる少女のもとに駆け寄ると、言い忘れていた挨拶をした。


「おはよう」

「………ん」

「…………」


 ――別に、もう慣れたけどさ。


 いちいち落ち込まない。無視されなくなっただけマシである。

 クレイは気持ちを切り替えて、ラシェッドと小屋を出た。


 ソヘールに来てから毎日のように貧民街を訪れているというものの、普段は人気のない場所でのクレイの射撃訓練などが目的のため、人の多い場所にはほんの二、三回しか訪れたことはない。


 貧民街の中でも人の生活基盤となっているであろうエリアには、何を売っているのかよく分からない露店が立ち並び、住人たちもスラムにいるよりはまともな暮らしができているようだった。しかし、それもあくまで「スラムよりは」という範囲での話であり、センタータウンほど賑わってもいなければ、すれ違う人の目に生気が宿っているわけでもない。


 クレイは通り過ぎる瞬間、壁にもたれて涎を垂らした女と目が合い、慌ててフードを深くかぶり直した。通り過ぎてもまだ、背後から視線を感じる気がしてならない。うつむきがちに歩いていると、痩せた犬が足元を過ぎ去り、クレイはつい小さく跳ね上がった。


「―――ラシェッド、あのさ」

「何」

「早くその住所の場所、見つられたらいいね」

「………おう」


 クレイの表情から何を感じ取ったのか、ラシェッドは特に罵ることもなく同意してくれた。


「早いとこ誰かに聞いた方がいいんだけどな。目が死んでるかイってるかのどっちかしかいねーし。これじゃあまともな返事が返ってきそうなヤツなんているかどうかが疑わしいぜ」


 クレイは改めて貧民街を見渡す。威圧は感じない。だが、どこか他人と関わることを避けているような雰囲気のする人々。話しかけづらいと言うよりは、話しかけてはいけないような気さえしてくる。


「まあオレたちなんて外から来た厄介者の一人くらいに見えてんだろ。実際間違っちゃいない」

 もう適当に脅してみるか。そんな不穏なことを呟きだした少女の傍で、クレイは一人の人物を注視していた。


「よし、あの辺のチンピラにでも―――おい?」

「……えっ? ごめん聞いてなかった」

「だから適当なヤツに聞いて……」

「ああ、そのことなんだけどさ」


 クレイは荷車を引く老人の背を、小さく指さした。

「あの人に聞いてみようよ」

「なんでだよ」

「うーん……よくわかんないけど、さっきあのおじいさんの横顔が見えた時、目がしっかりしてたっていうか………。少なくとも、悪い人じゃない気がするんだ、なんて……」

 うまく言葉にできないでいると、ラシェッドは「ふうん」と曖昧な態度で老人を観察していた。そしてクレイのフードを下に引っ張る。


「お前は一応顔隠しとけ」

 どうやら信用してくれるらしい。クレイは胸をなで下ろしてラシェッドについていった。


 ラシェッドが例の住所の場所を訊ねると、老人はあからさまに嫌な顔をした。さらに風のせいでフードが外れたクレイの素顔を目撃した老人は、ますます困惑したようだったが、最終的には道順を教えてくれたのだった。


「ラシェッド、これからはああやってすぐに喧嘩腰になっちゃダメだよ?」

「ハァ? なんでお前に指図されなきゃなんねーンだよ」

「指図とかじゃなくて……。もしかしたら、これからはこの辺に住むかもしれないんだよ? 敵を作るよりも、穏やかに過ごす努力をしなきゃ」

「けっ。ハイハイ分かったっての」

「………本当かなぁ」


 ラシェッドの拗ねた横顔を一瞥して、クレイはため息をついた。彼女は頭の回転は速いし、いざという時冷静な判断もできる。しかし、敵意を持っていない人間にまで敵意を持たせてしまうような、そんな態度が決定的な欠点となっている気がする。平たく言えば、人の立場や感情というものに鈍感なのだ。悪気がない分タチが悪い。


 それもこれも、彼女の生い立ちを考慮すれば当然なのかもしれないが。


 クレイはこのことについて考えるのを止めた。そして気がつくと、随分と入り組んだ場所を歩いていることに気づく。人も先ほどよりかなり減っていた。

「本当にここであってるの?」

「あのジーサンのいうことが正しければな」


 道幅も狭くなり、センタータウンの裏通りに似ていた。だが、時折ちらつく人影の視線は鋭く、裏通りよりも治安が悪いことがなんとなく伺えた。

「お……ここか」

 きょろきょろしているとラシェッドが唐突に立ち止まった。クレイは彼女の視線の先にある建物に目を留めた。思わず口が半開きになる。


「うわぁ……」


 3階建てのその建築物を一言で表すと、「異様」である。


 崩れてはいないが、立ち並ぶ他の建物と同じように、古い。窓という窓から蔦植物がコンクリートを侵食しており、建物の中は植物でいっぱいになっていることが伺えた。


「ほんとに、ここ?」

 できれば否定して欲しかったが、ラシェッドは黙ったまま緑だらけの建物を睨み上げている。そして意を決したように、その建物に近づいていった。


 一階の店では、骨ばった老女がよくわからない薬草を売っていた。彼女は陳列する商品の隣に座って、クレイたちを訝しげに見つめている。


『ソヘール南地区32の5番地はここか』

 ラシェッドが問いかける。老女はしばらくの間彼女を見つめ、それからその後ろでやり取りを見守っていたクレイに目を遣り、黙って右を指差した。店の隣には、階段しかない細い通路があった。

 クレイとラシェッドは老女の元を離れ、二階へ続く急階段を見上げる。


「嫌な予感しかしねェ………」

 ラシェッドはクレイの隣でぼそりと言葉をこぼすと、階段を上り始めた。クレイは無意識に息を飲み込み、覚悟を決めて彼女の後に続いた。


 階段を上った先には、上品な色合いの木製の扉があった。洒落たフォントで「Welcome」と書かれた札がかかっており、それがかえって胡散臭く見える

 ラシェッドが勝手に開けようとするのを遮り、クレイはドアをノックした。

「――――――チャイムも鳴らせないのかい?」

 いきなり近くで声が聞こえ、クレイは飛び上がった。気づかなかったが、ドアの脇にはインターホンがあった。


 声の主はノイズ混じりに続けた。

「まぁ、いいさ別に。ほら早く入って来なよ。君達だっていつまでもそこでおどおどしていても仕様がないと思うだろう?」


 挑発するようなその口調に、隣の少女の纏う空気がみるみる険悪なものへと変わっていくのをクレイは肌で感じた。気温が少し下がった気さえする。


「あの、えっと……落ち着いて……」

「アァ? なんのことだ。落ち着いてるわ。オレはいつもと変わんねぇし」

 なんのことだと言いつつ、言い訳がましくまくしたてるラシェッド。クレイはホルスターに添えっぱなしの少女の手をちらりと見遣る。声の主との対面は、平和的にはいかなさそうだ。


 ラシェッドがドアノブを回し、ゆっくりと開けた。等間隔に観葉植物が並ぶ廊下はコンクリートがむき出しだ。しかしきちんと清掃されている。

 二人は警戒しながら中に足を踏み入れた。誰もいない。


 ガチャリ。

 一番手前の黒い扉が開いた。


「……っ⁉」

 ラシェッドが銃を抜いた。クレイも思わず身構える。


「―――――。」

「え………?」


 部屋から出てきたのは、中華系の小さな女の子だった。東洋の壺を連想させるようなチャイナ服に、すっきりまとめられたおだんご頭。今時珍しいくらいテンプレートな格好である。


 その子は黙ってクレイとラシェッドを見つめ、何も言わないまま部屋の中に戻ってしまった。ドアも閉められてしまう。

 寸の間、おかしな静寂が訪れる。クレイははっとして、ラシェッドに問いかけた。


「ど、どうする、の……?」

「……決まってんだろ。行くぞ」


 ラシェドが黒いドアの前に立った。「LIVING ROOM」と彫られたそれを見てクレイは、そういえばなぜ中の人物は英語で話しかけてきたのだろう。と、疑問がよぎった。


 深く考える前にラシェッドがドアを押し開けた。クレイも気を引き締めて彼女の後ろから部屋を覗き込む。


 第一印象は緑色だ。

 壁際には大小様々な植物が置かれており、奥の窓からは蔦が外に溢れ出ている様子がうかがえる。まるで部屋そのものがオアシスのような印象を与えた。


 そして、その部屋の中にいる人物はというと――――――。


「や。これはまた随分とお金にならなさそうなお客さんだ」

「―――――。」


 小さなテーブルのそばに座る男と、彼の傍でティーポットを持つ先ほどの少女がいた。クレイ、そしてドアノブを握ったままのラシェッドも硬直してしまった。


「お、おい、お前は――――」

「ああ、うん。いろいろ言いたいことあるよねぇ? でもさ」


 ラシェッドの問いを遮り、男は優美な笑みを湛えた。そして二人に向かって告げる。


「まず、その汚い体をどうにかしてこない? 部屋に入れるとかありえないよ。あははっ」


 直後ラシェッドが何をしようとしたか、それを止めるべくクレイがどれだけ苦労したかなどは、語るまでもないだろう。

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