クレイ16. 生きるということ

「――――うわっ!」


 外で激しい爆発音が聞こえ、クレイはつい悲鳴を上げた。爆発は一発だけでなく、遠くだったり近くだったりでいくつか爆発しているようだった。隣で体を休めているラシェッドも、先ほどまでとは違う外の様子に眉をひそめた。


「何が起きてる」

「今見るよ。ちょっと待って………うわぁ」

 窓から外の様子を覗ってみると、ちらほら発生していた火事が、余計にひどくなっていた。夜なのが信じられないほど、外はオレンジ色の光で照らされている。


「そりゃきっと爆破が目的じゃねぇな」

 クレイから話を聞いたラシェッドが、そんな風に推測を始めた。


「たぶんあいつらが使ってる爆弾はそんなに威力が強いモノじゃあない」

「そっか。その代りに、何かに引火させて火事で被害を大きくしようとしてる…とか」

「そんなとこだろうな」


 湿気が少なくて、ものも燃えやすいのだろう。もはやイフリートと政府の対立とは無関係になりつつあるこのデモに、クレイは辟易した。

「ラシェッド、まだ動けない?」

 この爆破騒動が無差別なものであるなら、きっとこの辺にも被害をこうむるに違いない。そうなる前に、クレイはラシェッドを連れて安全な場所へと戻りたかった。ラシェッドもその意図を察したのか、


「さっきよりは、まだマシだ」

「肩貸すよ」

「ああ」


 彼女が素直に返事をしてくれたので、少しうれしかった。立ち上がろうとする彼女を支え、肩を貸そうとした瞬間。


「ラァシェッドォォォォオオ―――――――‼」


 下の階から、低い叫びが響いた。もう聞くはずがない、二度と聞きたくない、地の底から響くような不気味な咆哮。

 でも、まさか。


「なん、で」

「………化け物が」


 クレイはラシェッドを支えたまま、呆然と部屋の外を見た。アイマンの方もやはり相当重傷なのか、すぐに上ってくる気配はない。しかし、自分たちがここから出るためには階段を下りる以外ない。だが、今ラシェッドはとても戦える状態ではないのだ。


「ガキがぁ………まだ終わってねぇ! 俺はまだ死んでないんだよ! 出てこい! 連れと一緒になぶり殺してやるよ」


 ――どうすれば………。


 いや、本当は自分がどうすればいいかなんてわかっている。でも、それに踏み切る勇気なんてない。人と命のやり取りをする度胸は、自分に備わっていないのだ。


「………」

 その様子を無言で見ていたラシェッドが、大きくため息をついた。

「……おい、階段のとこまでオレを連れてけ」

「…え?」

「撃つくらいならまだできる。あっちも死にかけなんだ。イチかバチかに賭けてやる」


 そういう彼女の表情は、もうすでに覚悟を決めたモノだった。

「これしか方法はねぇんだ。何もしないで死ぬよりずっといい」


 そう告げる彼女はまた前に進もうとしていて。

 クレイは再びおいて行かれそうな気がした。

 ここでラシェッドの言うとおりにしておけば楽なのだろう。


 ――でも、もしその結果彼女を失うことになったら、僕はきっと一生後悔する。


 自分が望んだのは何か。クレイは改めて自分自身に言い聞かせる。ブルーグレイの目に、覚悟が宿った。


「――おい?」

 黙り込んだ自分を案じて声をかけた彼女を見る。

「僕が行く」

「けどお前……!」

「大丈夫。射撃訓練なら結構やったことあるんだ。実戦とは程遠いけど、それでも撃つことは出来る」

「………」

「今度は、僕が戦う番だ。僕が君を守る番だ」

「だけど」

 ラシェッドが何かを言おうとした途端、爆音がそれを遮った。床が揺れ、窓の外を灰色の煙が覆った。ここにも仕掛けられていたのだ。

「……行こう。僕は大丈夫だから」


 ラシェッドの返事を待たずに、彼女のホルスターから勝手に銃を引き抜いて部屋の外を見据えた。一階の方から、炎の影が見える。


「もう下は火事になってる。もしかしたらアイマンも巻き込まれているかもしれないし……だから」


 また怒られるのではないかと心配になり、俯く彼女の顔を覗き込んだ。ラシェッドは少しの間黙っていたが、何か思いついたように顔を上げた。


 彼女は腰から銃を抜き、弾薬を装填しながらクレイの方を見た。鋭利なナイフのように鋭い眼は、もう戦うことを意識しているようだ。


 冷たささえ感じる表情で、彼女は告げた。


「――終わらせるぞ」



*

 アイマンは勢いを増していく炎の中で怒りながら笑っていた。

 爆発は隣の建物であったようだが、やはりこちらにも飛び火してきた。倒れている最中、部屋の一角にぶちまけられた液体に気づいたのは幸いだった。このと思われる建物にもしっかりとガソリンをまいていたようだ。血の臭いで嗅覚が麻痺していたが、それはあの少年たちも同じだろう。


「痛ぇな、熱ぃな、畜生…! 死にそうだ……うひゃははっ!」


 熱いのと痛いのとで何が何だか分からなくなっていた。ただ確かなのは、あの少年を殺したいという感情だけ。


「ハ、最期までやってやろうじゃねぇか」


 アイマンは機能を停止しつつある体を無理やり引きずり、階段の前まで身を運んだ。十数段の階段が、とてつもなく高くそびえているように見える。アイマンはそれを一段ずつ這いずるように上りだした。


 数分かけてようやく半分上った。もう一階は炎に支配されてしまっている。アイマンはただ上を見てまた一歩足を動かそうとした。その時だった。


「……へ、やっとお前から来る気になったか」

「………」


 二つの小さな影が、静かに階段の先に現れた。口角が無意識に上がり、熱気も忘れさせるほどの興奮が湧き出てきたが、ふと彼らの持つ違和感に気づいた。


「ソイツはもうギブアップか」

 ラシェッドは砂色の外套をかぶり、隣の少年に体を預けている。


かわりに、その金髪の少年が、銃口をこちらに向けて睨んでいる。通じないとわかっていながらも、アイマンは言った。


「そのかわり今度はお前が相手するんだな? 少年」

「あいにく体が限界だ。さっさと済ませるにゃこれが最善策なんでな」

 少年の代わりに、ラシェッドが苦しそうに答えた。こっちは本当に限界のようだった。


「そんなヒョロヒョロのお坊ちゃんにオレの相手さすのか」

「……これしかねぇんだよ」

「……まあいいや」


 勝っても負けても、どうせここで死ぬのだから。アイマンは杖のように使っていた銃を構える。その動作だけでも、体中が悲鳴を上げた。

 対する少年もじっとアイマンを狙っている。だがアイマンは彼に負ける気はしなかった。


 ――殺気が足りねぇ。


 視線だけは鋭いものの、少年の手は小刻みに震えている。当たり前だが、人を殺したことなんてないのだろう。それはアイマンが出てきたときにすぐ撃ってこなかったことが証明している。


「おいラシェッド、ソイツに聞いてくれよ。なんですぐ撃たないのか」

 警戒は解いていないが、ラシェッドはアイマンの言うとおりにしたようだった。少年は少し迷ったように口を閉じ、意を決したように言った。


『僕は、あなただって殺したくないんです。ただ生きていたいだけです。だから、あなたがもし僕たちを見逃してくれるなら、僕はあなたを攻撃しない』

「ハッ、いいとこのお坊ちゃんが」

 ラシェッドの代弁を聞き、アイマンは嘲笑した。


「いいか、これは俺の楽しみで、生き方だ。死ぬ間際まで命を取り合って勝ち取ってから死にたい。そのためだけにお前らを殺す。いまさら命なんて惜しくもない」


 少年は残念そうに唇を噛み、何かを呟いた。

『……わかり、ました』


 交渉は終わったらしい。アイマンはボルトをスライドさせ、殺気をその少年へと向けた。彼の手はやはり震えており、とても正確に狙えるようなものではない。アイマンはじっくりとなぶるように彼の動きを待った。


 ――撃った直後に、撃ちかえしてやる。


 何もわからないうちに、苦しむことなく死なせてやる。そんなことを考えていると、少年の指がトリガーにかかった。

 業火の踊り狂う音の中に、はっきりと銃声が響いた。


「――――――――残念だったな」


 アイマンは笑みにもならないほどに口角を引きつらせる。目を見開く少年に狙いを定め、息つく間もなく彼の命を―――。


「―――どっちが」


 そんな言葉と同時に、もう一度銃声が鼓膜を打った。今まで金髪の少年に向けていた意識を、ラシェッドに向ける。

纏った外套の下から、銃口がのぞいていた。


 息を吸う前に、放たれた銃弾が自身に当たったことを悟る。倒れそうなのを踏みとどまり、構えたままの小銃を彼らに向けた。満身創痍のラシェッドが、驚いたように目を見開いた。


――殺さなきゃ、殺さなきゃならない。そうでないと、俺は。


 銃を握ったまま固まっているラシェッドに狙いをつける。そのまま引き金を引こうとした。いや、引いた。


「――危ない!」


 その声と同時に、アイマンは姿勢を崩した。正確には崩された。いつの間にか自分の懐にはいった金髪の少年が、照準を上に逸らした。小銃が虚空をめがけて鳴き叫んだ。驚愕して彼を見ると、自分なんかよりもずっとずっと強く光る青い瞳と目があった。


 ――ああ、こいつ生きてんだな。

 ――で、俺は………。


 体勢を立て直すこともできず、アイマンは無様に倒れ込んだ。

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