うさぎ家
よろしんく
序羽
雑居ビルの四階ベランダ。現在の時刻は三時。秋の風が心地よい。
私がワイエスという会社に入社し、このビルで働き始めてから気がつけば五年。休憩時にここから見る景色も見慣れてしまった。
変化しない日常。だから雨の日も風の日も、私は三時には変わらずこの場所にいる。
そんな私は、会社のペットの様だ。しつけを受け、お客様のため、会社のため、上司のために働くだけの日々。
動物のペットは飼い主の愛情を充分に受けて幸せそうだ。私も会社の愛情を受けることが出来たら幸せになるのだろうか。
「疲れているのかな」
ああ、癒しが欲しい。そう思いながら、秋風にため息を混ぜる。
そして、今の会社について考える。
ワイエスという会社は、主にゲーム開発のシステム部分を請け負う会社である。花咲市にある烏丸(からすま)ビルという小さな雑居ビルの四階にオフィス兼作業場がある。このビルは築十年は経っているようで、とても薄汚い。それにビル自体が五階建てと周りのビルより半分近く低く、極めつけはエレベーターがない。執務室は、コンクリート壁をただ白く塗っただけの場所に、ところ狭しと机とパソコンが配置されている。空調の調整が快適なのが救いか。
休憩するときには、近くにあるコーヒー一杯百円の安カフェに行く人が多い。一応、会社内というのだろうか。執務室から繋がっているベランダにもちょっとした休憩場所がある。
私はなんとなくこの風を感じれるベランダが気に入ったので、ここでまったり外のビルを眺めながらコーヒーを飲んでいる。ここから見る景色も昔とはだいぶ変わった気がする。でも、毎日見ているので正直その変化が何かと言われると困る。
会社自体は設立してから今年で二十周年というそれなりの歴史を持つことから、ゲーム業界ではそこそこ有名だ。社員数も多く、詳しくは知らないがそれなりに儲けているはずである。それなのに新しいビルに移らないのには理由がある。それは、
「社長がこのビルの五階に住んでいるからなんだよね。最初聞いたときは公私混同過ぎるだろと思ったぞ」
そう言いながら、缶コーヒーを二つ手に持った男性が、私の隣にやってくる。彼は缶コーヒーを二つ持っているが、決して私のために買ってきてくれたわけではない。
プシュ! 勢いよく缶コーヒーを開け、彼は一本目を一気に飲む。そしてすかさず二本目をプシュ! こちらは一気に飲むわけではなく、軽く口を付けるだけ。
彼はこの流れの後に休憩を始めるのだ。コーヒーをそんなに一気に飲んで胃を壊さないのだろうかといつも思う。
そんな彼の名前は、高鈴(タカスズ)友彦(トモヒコ)。私と同期入社で、入社した頃はどこにでもいるような黒髪の真面目な青年だった。だが今は、茶髪に寝癖としか言いようがないぐらいのボサッとした感じの髪型、裏地のライン部分が原色になっている少し派手目のカッターシャツの胸元を大きく開き、その上にこれまた原色のネクタイをしている。すっかり面影が無くなってしまった。
ワイエスでは服装はカジュアルなので問題ないのだが、社会人としてはどうなのか。と少し前までは思っていたが、今はもう慣れた。
私自身の服装は、入社したときから変わらずに、黒髪にどこでもあるような白いカッターシャツに、薄色の無難なネクタイだ。
私が日常を好むタイプとすれば、高鈴は変化を好むタイプだ。
だから合わない部分も多いが、気がつけば他の誰よりも仲良くなっていた。しかし彼はココロを読んでくるのが厄介だ。
「どうした、疲れているのか。今夜、新しく出来た癒しの空間に行くかい。体力は減るけど、精神的には回復するぞ」
高鈴の言う癒しの空間とは、お姉さまがいっぱいいるところだ。
私はそういうところに行く気はないので、丁重にお断りした。
高鈴は残念そうな表情をしながら、
「そういえば、最終幻想社の新プロジェクトの話、聞いたかね」
と、問いかけてくる。聞いていないと言うと、彼は続ける。
「どうやら台湾に今度の新作のプロジェクトルームを作るらしく、その要員としてワイエスから何人か欲しいといわれているそうだ」
「なるほど、それは凄いね」
最終幻想社と言えば、日本を代表するRPGを作り続けている会社だ。そこの新作に関わることが出来るというのは、この業界の人にとってはとても嬉しいことなのだ。それがどれだけハードな環境であったとしても。
この閉塞した日常が変わるかも知れない。私がそんな期待で少し胸を膨らませていると、高鈴はニヤリと悪そうに微笑む。
「残念、もう既に内定者には声をかけているってよ。話を聞いていない段階で残念賞だな」
相変わらず嫌な言い方をするやつだ。
私はそうそう上手くいかないかと自分自身でココロを慰める。
「そう言う高鈴は選ばれたのかい」
私の問いに、高鈴は再びニヤリと悪そうに微笑む。そして、
「俺がお前を置いてどこかに行くわけないだろ」
と言った。気持ち悪い言い方だが、ようは選ばれていないということだ。私はちょっと安心した。
この閉塞した日常を変えてくれる何か。私はそれを最近待ち望んでいる。それはいつやってくるのだろうか。もちろん私も大人だから、何かを変えるのであれば自分自身で動かなければならないことはわかっている。
「そろそろ戻るか」
気がつけば高鈴は二本目のコーヒーを飲み終えていた。
休憩時間は好きなだけ取ることが出来るのだが、だからといって取りすぎると仕事が終わらないし、何より仕事に戻りたくなくなってしまう。ただでさえ執務室と繋がる扉は物理的に重いのに。
私と高鈴は、お互いに空になった缶コーヒーを捨てる。そのときに私はふと頭に過ぎった疑問を高鈴に尋ねる。
「そういえば、高鈴は最終幻想社のプロジェクトに選ばれていないのに、何故知っているのかね」
私の問いに、高鈴は三度ニヤリと悪そうに微笑む。
「ある人が話を受けているのを盗み聞きした」
悪いやつだ。そしていちいちニヤリとするな。
(一体誰なのだろうか)
私がそう思っていると、執務室への扉を開ける直前。
高鈴は私のココロを読んで答えた。
「うさぎ付箋の人だよ」
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