第19話 峠の町

 幸い、魔獣はあそこに居た三体だけのようだった。レナたちが休憩所に戻ると、グレンのパーティと、もう一つのパーティに出迎えられた。他の旅人たちの中には、もうサイスに向けて出発しているグループもあった。

 話し合いの結果、魔獣の翼は三パーティーで一組ずつ分けた。全く戦闘に参加していないパーティもあったが、待機も役割のうちということで落ち着いた。

 少し休憩を取ったあとに、レナたちは出発した。ヒューがちょくちょくと声をかけてくれるようになったので、雰囲気は若干ましになったかもしれない。エヴァンも少しは喋っていた。

 道は徐々に険しさを増す。岩が増え、もう全てを避けて通るのは難しい。レナは滑らないように気をつけながら、岩のへこんだ部分を踏んで進む。今まで多くの人が同じ経路を通ってきたおかげで、表面が削れてちょうど足場のようになっていた。

 陽がだいぶ傾いてきた頃には、とうとう手を使って岩を登る必要が出てきた。思ったより、きつい。確かにこれでは、荷車なんてとても通れそうにない。

「あっ」

 手をついた岩がぐらっと揺れて、レナは慌てて手を引っ込めた。胸の奥がひやっとする。岩は固定されているものとそうでないものがあるのだが、意外と見分け辛い。

 前を歩くヒューが振り向く。彼は手近な岩を軽く叩きながら、言った。

「俺が持った岩を持つといいよ、レナちゃん」

「は、はい」

 レナはこくこくと頷く。彼は慣れているのか、どれが固定された岩かちゃんと分かっているようだった。

 後ろのエヴァンにちらりと目を向けると、丁度ぴたりと目が合った。思わず目礼してしまったら、変な顔をされた。若干頬を赤くしながら、視線を戻す。

 再び会話が無くなり――これは雰囲気がどうこうというより、皆疲れてきたからだ――黙々と道を進む。時折ヒューに手を貸してもらいながら、なんとか進む。

(山登りって、大変かも)

 息を切らしながら、レナは思った。楽しみにしていたのなんて、吹き飛んでしまった。もっと緩い道なら違うのだろうが、グラントの近くに丁度いいハイキングコースなんて無い。

『疲れるなー』

 と、ギル。声にも若干元気がないように聞こえる。べつに、ギルが疲れるわけではないと思うのだけど。

「あ」

 ヒューが不意に声をあげる。彼に手を引かれ、持ち上げられた先には、比較的平坦な山道が伸びていた。

「もうすぐだよ、レナちゃん」

 その言葉に、ほっとして頷く。ヒューは、唇の端をきゅっと持ち上げて微笑むと、レナの背後を指さした。

「後ろ見てみて」

 言われるがままに首を回す。ずっと視界を遮ってきた木々はここにはほとんど無く、遥か先まで見通すことができた。

「わあ……」

 眼下に広がる絶景に、レナは感嘆の声を漏らした。視界の左半分は森の深い緑で、右半分は草原の薄い緑と小麦畑の黄金、その合間にある村々でまだらに彩色されていて、川の青がその二つを区切っている。城壁都市グラントは、精緻に描き込まれた幾何学模様のようだ。様々な地形が、パッチワークのように広がっていた。

 注意深く観察すると、グラントも地区によって異なった色合いを見せていることが分かる。くすんだ色の屋根が多く、煙が上がっているのは工房区だろう。唯一緑が多いのは、高級住宅街の庭の色。露店広場は、上から見てもやっぱりカラフルだ。

 後から上ってきたエヴァンも、地上をじっと見つめていた。しばし、三人でぼんやりと景色を眺める。

「そろそろ行くよ」

 ヒューに言われて振り返る。彼は道の先の方を指さしていた。

「はいっ」

 少し元気が出てきたレナは、大きく頷いた。


 先ほどの場所から十分ほど歩くと、サイスの町に入るための門と、門から繋がる簡易的な城壁が、岩の陰から姿を現した。頑丈そうなその門の側には、完全武装の衛兵まで立っている。各々ハンターの登録証を出して、いくつかの質問に答えさせられたあと、ようやく通ることができた。グラントの東門よりよっぽど厳重かもしれない。

 門をくぐって、町の中に入る。一歩踏み出せば、もうキルグライス王国の領域だ。アデュリア王国の生まれのレナは、これが初めての国外だ。

 サイスの町は、北西と南東の二つの山頂に挟まれた、比較的平らな地帯に広がっていた。レナたちが通ってきた南西の門以外に、北と南にもそれぞれ大きな門を備えている。思っていたよりも、結構広い。目に入るいくつかの建物は、宿か店かのどちらかだった。その間を、ハンターや旅人が歩いている。

 建物の密度は、グラントなどと比べるとかなり小さい。『比較的』平らとは言え、傾斜と言うか、岩壁による段差は多く、何かを建てるためのスペースが圧倒的に不足している。上手く岩壁を削ったり、岩の隙間を使ったりして、なんとか場所を確保しているようだった。ほとんど岩と同化しているような建物まである。

 そういう理由もあってか、建物は思い思いの方を向いて建てられていた。ちょっと変な感じだ。道もあるんだかないんだか微妙なところで、一見どうやって入り口に辿り着けばいいのか分からないような店まであった。

「宿探そっか。とりあえず」

 先頭を歩くヒューは、どの宿にすべきかと物色しているようだった。レナははっとした表情になって、早足で彼の隣に並ぶ。

「あ、あの」

「どしたの?」

 ヒューは横目で少女に目を向けた。レナは少し黙って台詞を準備してから、勢いをつけて一気に言った。

「泊まりたい宿があるんですけど、行ってみていいですか? 露天風呂が景色がよくて、有名らしくて。ローザさんに紹介されたんです」

「へえ。いいんじゃない?」

「ああ」

 後ろのエヴァンも、異論は無いようだった。ほっとして言葉を続ける。

「ありがとうございます。……すみません、今更。言うのを忘れてて」

 と、いうことにしておいた。本当は、なかなか言い出す勇気が出なかったのだ。昨日はヒューの機嫌が悪かったし、今朝は会話すら無かったし。

 珍しくもレナが皆を先導して、宿に向かう。宿は町の北東の端、キルグライス側の出口のすぐそばで、岩だらけの斜面を背にして建っていた。

 中に入ると、優しそうな中年の女性が出迎えてくれた。レナは少し緊張しながら、部屋の空きがあるかを聞く。ちょっと贅沢してでも、もし個室が空いていたら個室にしよう、そう思っていたのだが、むしろ大部屋の方がいっぱいだということだった。

「二部屋取るかな、それなら。大部屋でもよかったんだけどね」

 ヒューが、エヴァンの方をちらりと見ながら言う。エヴァンは何も言わず、小さく頷いた。

 あ、そういうことになっちゃうのか、とレナは少し不安になった。まさか、部屋で二人で喧嘩したりはしないだろうけど……。

 宿の人にお金を払い、それぞれに部屋を取る。場所の確認を終えたレナに、ヒューが言った。

「先に風呂入るよね? レナちゃん」

「できたら、入りたいです」

 レナは期待を込めて言った。体は汗と砂で汚れて気持ち悪いし、ばさばさになった髪も早く洗ってしまいたい。

「じゃあ、晩飯の時間にこっちの部屋に集まろうか」

「はい」

 レナが頷くと、ヒューはひらひらと手を振りながら、廊下の奥へと向かっていく。エヴァンもその後に続いた。

(……大丈夫かな)

 無言で去って行く二人の後姿を見送り、レナも自分の部屋に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る