精霊使いと魔獣狩り

マギウス

1章

第1話 魔獣狩り

 深い深い森の奥。まばらに生えた木々はどれも巨大で、豊かな枝葉が天蓋のように空を覆い隠している。間から漏れた陽光が、草花をきらきらと輝かせていた。時折、美しい鳥の歌声が、遠くの方からかすかに聞こえてくる。

 地面のほとんどは緑の奥に隠されていたが、一部が不自然に露出していた。踏み固められた土が、細い曲線状に繋がって、ずっと先まで延びている。今まで多くの者が通って来た証拠だ。

 この道は迂回せずに森を抜けるための最短経路であり、旅慣れた者たちが好んで利用していたのだった。だがとある理由から、ここ数日はほとんど誰も通っていない。

 そんな森の道を、三人の男女が歩いていた。みな、余計な装飾のない動きやすい服の上に、革製の部分鎧を身に着けている。

 先頭を歩く青年は、腰に片手剣を下げ、背中には大きな鉄製の盾があった。両方ともかなり使い込まれている。背が高くがっしりとした体格で、精悍せいかんな顔つきと鋭い眼光からは、威圧感を覚えるほどだ。彼はこの三人の、そして三人を含むもっと大きなパーティのリーダーだった。

 残りの二人は、彼の後ろを並んで歩いていた。そのうち男の方は、こちらも使い込まれた大きな両手剣を背負っている。外見はリーダーの男と少し似ていたが、常に顔に浮かぶ緩んだ表情が、印象を正反対のものにしていた。

「あ」

 男が、不意に声をあげる。隣の少女が、びくりと体を震わせた。

「どうかしました?」

 自分の髪をぎゅっと掴みながら、不安げに辺りを見回す。その様子は、まるで怯えた小動物のようだった。

 彼女は女性として平均的な体つきだったが、童顔のせいで若く、というより幼く見られることが多かった。栗色の長い髪を耳の下で緩く二つに結んで、左右の肩の前に垂らしている。武器は腰に差した小さなナイフだけで、男二人と比べると頼りない。

「いや、シーツを洗っておけばよかったと思ってさ。こんなに晴れるなら」

 男の方が、へらりと笑って答える。

「そうですか」

 少女はほっと息を吐く。『対象ターゲット』を見つけたのかと思って、びっくりした。まだ、胸がどきどきしている。

 そんな彼女の様子を気にした風もなく、男は言葉を続けた。

「ついでに鎧も干さないとね。たまには」

「鎧?」

 その単語に、きょとんとした顔をした。彼のまとう簡素な革鎧に目をやる。

「ヒューさんが今着ているやつじゃなくてですか?」

「あ、レナちゃんは知らないか。もっとごつい鎧だよ。前に仕事で必要になって、貯金をはたいて買ったんだ。そのあと全く使ってないけど」

「へえ……」

 どんな仕事だったんだろうと、レナと呼ばれた少女は不思議に思った。それから、目の前の男、ヒューが金属の全身鎧を着ているところを想像してみる。どうも、似合わない気がする。

 レナに見つめられ、こてんと首を傾げるヒュー。彼から視線を外すと、リーダーならどうだろうと思って、前を歩く男の方に目をやる。すると相手は、まるでそれを待っていたかのように振り向いた。

「そろそろ静かにしろ。もうすぐ目的地だ」

「す、すみません」

 呆れたように言う男に、レナはしょんぼりと肩を落とした。そんな少女とは対照的に、ヒューはわざとらしく肩をすくめる。

 しばらくの間、無言の行軍が続く。やがてレナは、鳥の鳴き声が全く聞こえなくなっていることに気づいた。周囲にあるのは、風の音と自分たちが歩く音だけ。

 不意に、リーダーの男が立ち止まり、素早くその場にしゃがみこんだ。残りの二人もそれにならう。彼が指さす左前方に目を向けると、はるか遠くの方に、大きな黒い狼のような姿がぼんやりと確認できた。

「いつも通り、私がまずはぶつかるから、ヒューは隙を見て攻撃。レナは適宜てきぎサポートしてくれ」

「おっけー」

「はい」

 二人は小さく頷く。さすがのヒューも、多少は緊張した様子で遠くの黒を見据えていた。男たちは、それぞれの得物を構える。

 その時、レナは全身に悪寒が走るのを感じた。後ろだ、何の根拠もなくそう確信すると、勢いよく振り向く。だがそこにあるのは、代わり映えしない森の風景だけだ。

「どうした」

 その動きを音で察したのか、リーダーの男が鋭く問いかけた。前を向くと、彼はこちらをじっと見つめていた。

 さっきの感覚を説明すべきか、レナは迷った。なぜ後ろに何かあると思ったのかと聞かれても、何も答えられない。

「……いえ、なにも」

 彼女の返答に、彼は眉を寄せる。

「気になることがあるなら言ってくれ。戦闘が始まれば、ゆっくり喋っている余裕など……」

 その言葉の途中で、レナの視線を追っていたヒューが、突然立ち上がった。驚く二人の横で、彼は剣を大きく頭上に掲げた。

 直後、後方にあった木の上から、黒い影が飛びかかってきた。残りの二人が慌てて立ち上がるよりも早く、ヒューは剣を振り下ろし、影を斜めに打ち据えた。大きく軌道を逸らされた黒い塊は、唸り声を上げて地面に着地する。

 その姿を見て、レナはぞっとした表情で後ずさった。フォルムこそ狼に近いが、紅玉のように赤一色の瞳と、額から生える二本の漆黒の角が、全く別の生き物であることを示していた。角は醜く捻じれ、まるでおとぎ話に出てくる悪魔のようだった。

 この生物種は『魔獣』と呼ばれ、獣の突然変異種だとも、全く異なる存在だとも言われている。姿は様々だが、ベースとなる生物――例えば狼――が存在することと、個体数が少ないことは共通している。通常の獣とは違い、魔獣以外の全ての生物に見境なく襲い掛かる。

「二体だと!?」

 リーダーの男が、狼狽ろうばいしたように声をあげた。事前情報だと、敵は一体だけのはずだった。

「エリオットは前のやつを!」

 ヒューが叫ぶ。リーダーの男、エリオットも、ほぼ同時に同じ判断を下していたようだった。既に振り向き、盾を構えている。

 遠くにいた黒い魔獣が、猛スピードで駆けてきている。ヒューと相対する個体と同じく、赤い瞳と角を備えているのが見て取れた。

「くっ」

 魔獣の突進を、斜めに構えた盾で受け流す。角が金属を引っかく嫌な音が響く。こちらからも反撃しようとしたが、上手く距離を取られてしまった。

 最初に飛びかかってきた魔獣は、剣を構えるヒューをじっとにらみ、攻撃のタイミングをうかがっているようだった。先ほどの剣撃によって受けた傷は、もう治り始めている。高い再生能力も、多くの魔獣が持つ特徴だ。

「レナちゃん、こっち先!」

 予想外に複数の敵が現れ、パニックになりかけていたレナに、ヒューが指示する。彼女はようやく気付いたかのように、怪我を負った個体に意識を向けた。そうだ、二体と同時に戦う羽目になった時は、ヒューの方を先に狙うと決めていたのだった。

(いつも通り、いつも通りやるだけだから)

 そう言い聞かせながら、頭の中に炎のイメージを思い浮かべる。何度も練習してきたイメージだ。敵の精神をく、青い炎。

(ギル、お願い!)

 レナは、ここにいる三人の誰でもない名前を、心の中で強く念じた。その直後、自分の中から何かが抜け出ていくような感覚を覚え、ふらりと体が揺れる。まるで重い荷物を遠くまで運んだ後のように、体に疲れが溜まっているのが分かる。

『任せとけ!』

 その返答は、レナの頭の中だけに響いた。だが次いで起こった現象は、誰の目にも見えるものだった。

 人の頭ほどもある青い炎の玉が眼前に現れ、ごうっ、という音と共に、一直線に魔獣へと向かっていく。敵は後ろに飛んで回避を試みたが、それを追いかけるような軌道で空を切った。

 炎が衝突した瞬間、魔獣は苦悶の鳴き声をあげた。着地もままならず、地面に倒れ伏せる。

「おらっ!」

 その隙を逃さずに、前に出たヒューが剣を打ち下ろす。彼の一撃は、敵の脳天を断ち割った。魔獣はびくりと体を震わせ、動かなくなる。

 残った一体が再び突進をかけたが、またしても盾に防がれる。エリオットは盾に体重をかけ、上から押さえつけるようにして、相手の動きを少しの間拘束した。 

 魔獣が首を振って逃れようとした時には、目の前にヒューの操る剣先が迫っていた。眉間に深々と突き刺さった刃は、貫通して背中の方へと抜ける。しばらく脚をばたつかせていたが、一匹目と同じくやがて静かになった。

 全員が、油断なく辺りを見回す。さすがに三匹目がいるということは無かったようで、近くに動くものは見当たらない。誰からともなく緊張を解く。

 レナは溜息をつくと、近くの木にもたれかかった。

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