第14話 魔王の教育方針

 亡国カンブリアのシルル姫が落ち延びて、カレドニア国王を頼りカレドニア王城に現われたという噂を、魔王が耳にしたのはカンブリアの国境近くの街でのことだった。


 カンブリア国滅亡――カンブリア王城陥落――から約半年後のことである。

 シルル姫は数十名の宮廷騎士団の騎士たちとともにカレドニア王城に迎え入れられ、カレドニア王の厚意により、王城にほど近い王都の中にある別の城に滞在を許された。

 そして、カレドニア国王との会談の結果、カンブリア王国の豊満な西の領地をカレドニアが譲り受けることで、カレドニア王国はカンブリア王国の再興に惜しみない助力を約束した。

 またそれとともにカレドニアは、カンブリア王都が魔王軍の支配下に堕ちたことを受け、カンブリアに隣接する各国に率先してカンブリアの民を難民として受け入れ、また各国にもカンブリアの民の受け入れを通告した。

 魔王たちが国境を越えた時、そこには人が多くあふれていたが、国境を東から西へと越えたの魔王たちだけだった。





 カンブリアの都市。

 無人となった廃墟の片隅で、崩れた瓦礫に身を潜め魔王は隣で同じように息を潜めている、つり目が勝気な表情を作り出す藍色の髪の少年と視線を交わした。

 空気の振動を必要としない言葉が交わされて、少年に緊張が走る。


 瓦礫の向こう、崩れた家々が連なるその前。かつては人が行き来していただろう往来に、今は二足歩行ではあるが人間とは言い難い生き物が右往左往している。

 ゴツゴツとした突起が頭を覆い、肩の骨と背骨が鋭さをもって背中から飛び出し、皮膚は爛れたように黒く変色し、ぬめっている。その顔は、黒ずんだ塊が上下に裂け、そこに鋭さをもった突起物が並び、その上に赤い二つの穴がぽっかりと空いているだけだった。瞳孔もなく血が水晶体内を満たしているかのような赤さだ。

 死から湧くように現われ、生き物を喰らう、魔族のなれの果て、魔物である。自我もなく飢餓感だけを満たそうと生き物を探し徘徊し続けるだけの存在だ。

 その醜い生き物が廃墟となった街中を徘徊し、数時間前に辿り着いたばかりの魔王たちの目の前で右往左往していた。


 魔王は少年に対し、醜いそれを顎で示してみせた。少年が軽く目を見開いて自分自身の鼻先を指差し必死に首を横に振る。

 魔王は方眉を跳ね上げて目を眇めた。色も何もない無彩色の目をただ向けていれば、やがて少年が小さく息を吐く。そして、ついっと前方の魔物に視線を投げ、小さい手で剣の柄を握った。その横顔が、精悍ささえうかがわせるように研ぎ澄まされていく。

 空気が張り詰めた、と感じた瞬間には少年は瓦礫を越え、魔物に向かって走り出していた。

 その後ろ姿を見送り、魔王は目を細めた。

 魔物に向かっていく背中に、はじめの頃にあった恐れはもうない。


 カンブリア王都を目指した二人旅をはじめてから一月と少し。少年はかつての魔族を一人で相手にできるほど成長していた。

 見守らずともハクアの勝利を確信して、魔王は瓦礫の影でそっと口元を笑ませた。


 ふと、近づいている気配があることに気付く。背後だ。

 それを視覚で捉える前に魔王にはそれが何か気付けていた。はるか西、フサルク大陸の中央を射抜くフェイヒューの森で最も近くに置いていた気配である。

 背後で、シャラリと繊細な金属片の飾りが触れ合う音。


「ペルムか」


「――はい。」


 瑞々しい声が答え、瓦礫の間から燃えるような赤が覗く。

 日差しのもとで鮮やかに燃える赤い髪。金と赤のオッドアイ。火照ったような赤みの差す肌に扇情的な赤いラインが美しい文様となって走っている。身を飾る金細工の装飾が日差しに輝き、その存在を引き立てていた。人を惑わすに相応しい、魅惑的で、触れれば火傷しそうな炎の魔人のような魔族。

 斜め後ろには翼のある獅子の幻獣が従っている。それに乗ってきたのだろう。


「なぜここにいる」


 穢れを恐れ城に残ることを決めた相手に、魔物が徘徊するほど穢れた場所になぜ来たのかと問えば、炎の魔人が悲しげな微笑を見せた。


「命を削る覚悟で追って来たかと喜んではくださらないのですね。」


 お気に入りとしての期待があったのか、失望のうかがえる顔で囁きその場にかしづく。


「やっと決心がつきあなたを追って来ました。我が王。我が命。どうぞ城にいた頃のよう。お傍にお置きください。」


 華奢な体に儚げな風情を纏わせて、健気な懇願で上目遣いに見上げてくる。その金の瞳は、拒否されるとは微塵も思っていない確信に満ちていた。

 去るものを負わず来るものを拒まぬ魔王は笑みを深めた。否はない。


 不意に、地面がズンっと衝撃を伝える。それに魔王はハクアが勝利を収めたのを知った。魔物を地面に沈めたハクアが一息吐き、喜び勇んで駆け戻ってくる。

 魔王は、手を取り口付けようとしてきていたペルムを止めた。


「今は消えろ」


 吐き捨てて、すでに視線は、驚き見上げてくるペルムにはない。魔王は笑顔で駆けてくる人間の少年を見ていた。視界の隅で炎の魔人が、シャラリと悲しげな音を残して消える。


「トリアスっ! 見てた?! おれ一人でオークを倒したよ!」


「あの程度の雑魚に時間をかけすぎだ」


 今にも抱きついてきそうな少年に、魔王は笑みも見せず抑揚なく云った。それに当然喜んでもらえると思っていた少年が意気消沈してむくれる。


「……ほめてくれたっていいじゃないか……、トリアスのケチ……」


 小さくこぼし、ハクアが小さな溜息を吐く。不満は口にするがハクアに不平はなかった。魔王が誉めないのはいつものことだからである。

 睨みつけるように見上げてくる緑のつり目は、いつか誉めるしかないようなことをしてやるという挑戦的な視線を向けてきている。魔王はせせら笑った。


「――私に誉めて欲しいのならば次はもっと早く倒すのだな」


 言い、顎で少年の後方を示す。そこには――血を嗅ぎつけてきたのだろう――先ほどハクアが倒したのと同じ魔物が倒したばかりの魔物の遺骸の周りを徘徊していた。


 少年が絶句する。魔王を振り返り、必死の形相で首を強く横に振った。

 魔王は先程と同じように目を眇め、断固拒否の姿勢をみせる少年を見据えた。


「強くなりたいのだろう?」


 それが少年を従順にする一言だと知って魔王は使う。

 ぐっと少年が押し黙り、ためらいがちに――しかし、強い意思をもって頷く。


「ならば行け」


 有無を言わさぬ魔王の一言にハクアが小さな溜息を吐いて、緑の目を魔物に向けた。その瞳がすぐに真剣みを帯びた。

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