第11話 オルドビスの襲撃

 カンブリアの残党が隠れ家にしていた屋敷は郊外で、広い敷地をもっていたことが災いしたのか。白昼堂々、容易く敵の侵入を許すこととなった。


 屋敷の建物内でもその周辺でも、剣を交わしあう金属音と互いを罵りあう罵声に怒号、それらに交じって物をひっくり返す音や物が壊れる音が響きわたっている。

 騒然となっていた。時折、姫はどこかと怒鳴る声がするが、それが味方のものか敵のものかも分からない。


「ハクア、受け取れ」


 今し方倒したオルドビスからの刺客と思われる傭兵姿の男から奪った剣をおしつけると、ハクアが怯えた顔で首を振った。


「おれにはできない……っ! 剣なんて、まともに握ったこともないんだ……!」


 前にハクアが握っていたのは小さな短剣だった。


「殺さなくていい」


 小さな手に剣を握らせて、初めてもつ剣の重みにパニックを起こしかけているハクアに、その混乱を断じるような明瞭さで云う。それが多少の安堵を生んだのか、ハクアが瞬いて綺麗な緑の瞳で見上げてきた。良い反応だ。


「人間は殺せないのなら殺さなくていい。脆弱な人間相手ならばいくらでも戦闘不能にする方法がある。殺そうとは思わず、これから私が教える箇所を確実に狙うんだ」


「でも……っ」


 自分にできるはずがない、と不安を見せるハクアに魔王は視線を、少年の隣で小さな肩を哀れなくらいガタガタと震わせて怯える少女に向けた。

 少年もつられたように、臆病な小動物のようになっているシルル姫を見て、きゅっと眉を顰めた。それから幾人かの遺体が倒れるそこをちらりと見る。その中には魔王の見張りだった騎士の姿があった。


 ぐっと剣を握るハクアの両手に力が込められてそれが決意となったのがわかる。

 姫を守る騎士にでもなろうというのだろうか。くだらない。だが、利用しない手はないだろう。

 今となっては此処に――軽蔑に値するが――シルル姫がいてよかったのかもしれないと魔王は薄く笑った。それだけの存在意義をハクアに与えている。


「いいか。まずは肘と膝の裏だ。あとは指の関節に脇の下。甲冑の隙間を狙え、といえば早いか? これが基本だ。分かるな? 足を狙い動けなくするか、腕を狙い武器を持たせないかだ。これも分かるな? どちらもならばなお良い、ほぼ無力化できる」


 魔王が早口で説明する間に視界の端に敵の姿が映る。それを見据えて、呼吸が浅くなっている少年がうわごとのように呟く。


「足と、腕……」


「そうだ。――剣は振り回さず常に胸前で構えろ、致命傷は防げる。囲まれても多くを相手にしていると思うな、もっとも近い一人に集中しろ。あとは必ず私が抑えよう。カンブリアの姫も私が守ろう。お前はただ、一人の敵に集中すればいい。分かるな?」

「う、うん……。分かった……っ」


 敵を凝視して息が浅くなっているハクアに魔王は腕を掴み自分のほうを振り向かせた。


「しっかり息をしろ。お前は絶対に死なない。――私が死なせない」


 緑の瞳の奥に言い聞かせれば、ハクアが頷いて大きく息を吸う。

 次に敵に向けられた緑の目にはそれまでと比にならないほどの真剣さがあった。


「気を散らすな、行け」


 ハクアの肩を叩き同時に、こちらをみとめて向かってくる敵に向き直る。

 魔王はわずかに踏み出して、向かってきた敵を容赦なく切り捨てた。


 ハクアのように人間だからとためらう理由は魔王にはない。

 魔族を殺すも竜を殺すも幻獣を殺すも人間を殺すも同じ。すべて同じ重みで同じ穢れをもってのしかかる。

 魔王にとってはすべて同じだった。同じ感慨で殺せる。

 魔王に殺せないものがあるとすれば、それは、勇者のみだ。魔王の死神である勇者のみが魔王には殺せない。だからこそ魔王はその勇者に殺されるのかもしれない。


 ――馬鹿馬鹿しい。私に殺せぬ者などいない。


 ハクアの背後を狙おうとしていた男を切り捨てる。

 信用をもって向けられた少年の小さな背中に、刃をわずかに伸ばして今この場でその背中を斬ることだってできるのだとわらう。


「脇を狙え」


 一人の男にいつまでも手間取る少年に言葉を投げ、少年の代わりに別の男を斬り捨てる。


 カンブリアの姫のほうはまったく意識していなかったが、魔族のひとりをつけておいたので気に止める必要もない。姫に近づこうとする男はその場で転げ、剣と同じ裂傷を受けて絶命していた。


「姫!! 姫がいらっしゃったぞ! 援護しろ!」


 多くの敵を地に沈めた頃、ようやくカンブリアの騎士が姫の姿を見つけたようである。

 勇者ジュラに留守を任されていた――今は寝起きという風情ではなかったが無精髭の男の怒鳴り声とともに騎士たちがどっとなだれ込んで、気圧されたオルドビスの残党が剣を投げ捨てて逃走をはじめる。

 同時にハクアは気が抜けたのかその場に座り込むようだった。長い息を吐いて、ほっとしたようにゆっくりと魔王を振り返って笑顔を向けてくる。その両手には、しっかりと剣が握られていた。








「トリアスを知らない?」


「さあ? 庭園のほうにはいなかったのか?」


 ハクアが剣を片手に笑顔ですれ違う男たちに聞きまわる。

 答えるカンブリア宮廷騎士団の男たちの顔も笑顔で、ハクアが探す相手に対する警戒心はまったく無くなっていた。仲間の一人の居場所を問われているような軽さで応じている。


 オルドビスの襲撃によって魔王はカンブリアの残党たちの信頼を得ていた。

 ハクアとシルル姫を身を挺して守ったという功績もさながら、その姫が魔王に対して一番の信頼を示したから――まるで直前に交わしていた言葉と醜態を隠そうとするかのように――である。

 そして、何より魔王はハクアの信頼を得ていた。


 もはやオルドビスと疑われることも魔物討伐人として蔑まれることもない。

 ただ誤算だったのは、数名の騎士がハクア同様――剣を学ぼうとでもいうのだろうか――魔王を追いかけ回すようになったことだった。これならば常にあった見張りのほうが煩わしくない。

 今も魔王はそれとなく騎士たちを捲いて屋敷の屋根の上にいた。


 勇者ジュラがこの状況を目にすればどれほど驚くことだろう。そんなことは永遠にないことを知って魔王はほくそえんだ。


「トリアスー!」


 下方から、庭辺りを探しているのだろう、ハクアの声が聞こえてきた。


「――勇者の信頼を得られて何よりです」


 影の立役者である半獣人の魔族が姿を現せる。

 空を背景に、今にも溶け込みそうな空の獣の風情に、魔王を目を細めて応じた。


「まだこれからだ」


 痺れを切らすように高くなっていく少年の呼び声に耳を傾けながら、上機嫌のまま喉に笑みを含ませる。


「――報告か?」


「はい」


「吉報ではないようだな」


「――はい」


 半透明な獣の耳を垂らしての応えに、ある程度、報告の内容に察しがついていた。魔王は構わんと手を降り、あるがままを包み隠さず報告しろと告げた。


「――カンブリアの勇者を逃しました。まだカレドニアの地は踏ませていませんが、思いの外強く、こちらの被害は甚大です。すでに四人の魔族を失いました」


「そうか。容易く殺せまいとは思っていたがそこまでとは。――よい。お前たちは手を引け。あの男はこの魔王自ら始末してくれよう」


 あっさりとした魔王の答えにセッカイが、晴天の下、水の匂いを漂わせるほど濃い戸惑いをみせる。

 殺せ、と怒りをもっての命令だったのを思えば当然だろう。拍子抜けするほどの軽さである。

 それほどの上機嫌が伝わったのか。不思議そうに見詰めてくる瞳が空を映した青だった。ハクアの髪の色には程遠い色である。


「オルドビスに向かえ」


 空色の瞳に告げればわずかに見開かれる。


「――殺せというのに。カンブリアの残党どもがオルドビスの捕虜を解放したのだ。殺して――そうだな、お前たち魔族の文字で額に肉とでも書いてオルドビス王城に投げ入れてやれ。オルドビス国王当てに手紙も添えてな。文面は――『親愛なる北の国の王よ 他国の小娘に現を抜かすよりも自国の防衛を強化することを敬意をもってお奨めしよう 魔王』――これでオルドビスも静かになろう」


 カンブリアの姫を追わせたはずの男たちがおかしな魔族文字を額に戴いて戻ってきたことも、魔王からと思われる手紙の文面からも、カンブリアの姫が魔王に狙われていることが分かり過ぎるくらい分かるはずである。

 そうなれば、オルドビスとしてもわざわざカンブリアの小娘の命を狙って魔王に目をつけられようとは思わないだろう。逆に、カンブリアの姫に魔王の目がいっている間は自分たちはとりあえず安全だと考えるはずである。

 つまりオルドビスは滅んだはずのカンブリアの動向を静観していなければならなくなるのだ。

 オルドビスばかりではない。

 魔王が拠点をカンブリア王都に置いたことによって、大陸中の国々がカンブリアの残党やカンブリアの姫の動向に、注目するしかないのだ。――そして、そこで育まれるだろう英雄に。


 魔王は楽しくなって笑った。誰もが望む勇者の台頭も近い。


「トリアスぅ! トリアスぅー!」


 どこを探しても見つからない探し人の姿に、ついにハクアの呼び声が雄叫びとなる。

 切なささえ感じさせるそれに、困惑を見せたのは魔王に従順な空の獣だった。無表情に、空色の柔らかそうな毛並みの耳と尾だけを垂らして。


「よろしいのですか?」


「構うな。焦らしたいのだ」


 焦らされた分だけ、と答えて、叫びのような声に呼ばれる自分の名前に心地よく耳を傾け、魔王は小さく笑った。

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