勇者育成計画

来音

第0話 終わり

 勇者は長い廊下を走っていた。


 後方には喧騒が渦巻いて、背にしてきた仲間たちが彼のために敵をひきつけているのが分かる。

 魔物の雄叫びや剣戟が遠ざかるにつれて、彼の心の中からも仲間たちへの感謝の念が遠ざかり、ちらちらと胸底にくすぶっていた感情が勢いをもち始めていく。


 勇者が走っているのは城主がいる玉座の間まで続く、広くて長い華美な一本道である。

 等間隔で並ぶ豪華な硝子のシャンデリア。左右に並ぶ石膏の美女たち。彼女たちをより華やかに見せる光沢のある布張りの青い壁に、金の縁取りの装飾。足下は長毛の赤い絨毯。

 誰もが足を止め見惚れる豪華さだった。


 しかし勇者はその豪華さに目もくれず、ただ一点、前方だけを見据えて駆け抜けた。


 豪華な廊下の終わりは金装飾の両開きの扉だった。その先には、この城でもっとも高い地位を誇る人物が座るべき玉座がある。

 豪華なシャンデリアも、冷めた視線の美女たちも、深みと重みをもった原色の青い壁と赤い床も、すべてがすべて通る者を威圧し玉座に座る者に権威を与えるためのものだった。その身ひとつでは他を圧せない脆弱な人間が考え付いた、せめてもの知恵である。

 それがいまや、その身ひとつで世界をも圧する絶対的強者の手に落ちているのはなんという皮肉か。


 かつて人間のものだった玉座には今、人間の敵であり、勇者の最大の敵が座っている。


 勇者は駆け抜ける勢いのまま、扉を開け放った。重たそうな音を立てながらも勇者の腕にかかった扉の負荷は軽い。まるで待ちかねていたかのように自ら開いた印象さえあった。いや、きっとそうなのだろう。


 正面、廊下からの延長線のように赤い絨毯が伸びる先――数段の緩やかな段差の先――神の降臨をおさめたという有名な壁画を背にして、それはあった。


 金の玉座。


 ――そして、そこに優雅に腰掛ける姿。


 黒光りするものものしい甲冑に、光沢ある黒のマント。

 濡れ羽色の髪に、世界の終わりを見据えるような暗黒色の眸。

 全身を黒に染め抜かれた男は笑っていた。


「まちかねたぞ、勇者」


 よろこびにさえ満ち満ちているような調子で言うと、男はゆったりと優雅さをもって立ち上がった。

 思わず見惚れてしまうような麗姿。段を降りる物腰の優美さと、不敵な笑みを湛えた口元が飾る美貌。それに裏打ちされた強者の気配。

 並みの人間ならば――人間でなくとも地上に生きる生物ならば――気圧されてしまっただろう。本能の赴くままに絶対服従の姿勢を強いられただろう。


 しかし勇者は凛と、本能的に凍える背筋を伸ばし絶対的強者を凝視みつめていた。

 彼の視線を強固なものにしたのは勇気ではない。――憎しみであった。

 大切な多くのものを奪われたという憎しみ。この上ない手酷い仕打ちを受けたという深い、憎悪だった。

 それが勇者に本能を越える強さを与えていた。


 黒を纏う男が最後の段差を降りたと同時に、勇者は剣の柄に手をかけた。その手がわずかに震えて、勇者は力を込めて剣を抜き払った。

 無言のまま、切り掛かる。

 名乗りは必要なかった。知らぬ仲ではない。


 勇者の最初の一撃を、男は手甲で受け止める。

 続いて、流れるように繰り出したすべての剣が、黒い鎧によってはじかれた。


「よくぞここまで強くなった」


 侮るような一言に勇者は激昂した。剣を握る手が怒りにおののく。それは勇者にとって最も屈辱的な言葉だった。


 男の黒い目が細められる。優雅な仕種で手が指が動き、黒い鞘に納まっていた剣が抜き払われた。

 金属音に触発されて空気が鳴る。

 静けさが二人を呑み込んだ。


 それはまるでお互いの感情が渦巻くような衝突だった。高い金属音が幾度となく二人の感情の不和をがなり立て、男から漏れる笑い声と男から漏れる呻き声とがいっそう鮮やかに際立てた。

 勝負を決するのは力の強さか、感情の強さか。


 ひときわ大きな音で、鋼が舞い上がった。

 不和に決着をつける瞬間が訪れたのだ。


 剣が見事な宙返りを見せて、二人が交わるその場から離れ、床に突き刺さった。

 二対の視線がそれを見送り、次の瞬間には交わった。


 手に剣を握ったほうが、剣を失ったほうへと、それを突きたてる。段差の上に倒れ込むようにして、剣を失ったほうの上に剣をもった彼が乗り上げていた。

 剣は突きたてられていた。


「どうして……っ」


 馬乗りになった彼がうめく。感極まったように、声はみっともなく震えていた。


「どうして、あなたが……っ、――どうして、あなたが魔王なんだ……! どうして俺が、あなたを殺さなければならないんだ……!」


 言葉が悲痛な叫びとなって黒い男――魔王の上に憎しみを降らせた。

 魔王の手が、上となっている勇者の首を掴んだ。

 世界の終わりを映す黒い双眸が勇者を見上げ、笑った。


「そうではない。私が魔王だからではない。お前が、だからだ」


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