第32話 カイルside
私はベッドにドサリと腰を下ろすとベッドサイドに置いているサーシャの絵姿を手に取った。彼女の絵姿はこれしかない。これは母がくれたものだ。まだ私がサーシャのことを妹のようにしか思っていなかった頃にもらったのだ。このときはまだ母はサーシャのことを娘のように可愛がっていた。早く本当の娘になるといいのにと口癖のように言っていて、私は辟易していた。
いつからだろう。母がその言葉を口にしなくなったのは。
私は母の態度が変わったことにまるで気づかなかった。子供を産めない? 母に言われるまで、そのことに気づかなかった。サーシャの病のことばかり考えていて子供のこととかは頭になかった。母指摘された時、すぐに返答できなかったことがいけなかったのかもしれない。
だがそれだけのことであれほど可愛がっていたサーシャを殺そうとするだろうか。長い間考えていたことだ。でもずっと聞けずにいた。何の証拠もないからというのは言い訳で、聞くのが怖かった。母の本心を知れば母を憎むことになるかもしれない。
でもサーシャの生まれ変わりに会い、真実を知った今、逃げることは出来ないのだ。
「どうかしましたか?」
昔からいる侍従のバレットが心配そうな顔で見ている。彼はあの頃はまだ若かったから覚えているのだろうか。
「サーシャが亡くなった時のことを覚えているか?」
バレットの顔がサッと翳る。
「はい、あの時のことは今でも夢に見ます。緘口令がしかれたのもあの時だけです」
「緘口令?」
「大奥様が誰に聞かれても何も知らないと言うようにと使用人全員に言いました」
「そんなことがあったのは知らなかったな」
「旦那様の命令だと伺いましたが」
あの時の私はずっとサーシャの亡骸に縋っていたからそこまで頭が回らなかった。スキャンダルを嫌っていた母らしい行為のように見えるが、何か隠そうとしていたのかもしれない。
「緘口令なんて敷かなくても、話すようなことは何もなかったのではないか?」
「確かに私たちは奥様とはあまり関わることがなかったので噂しか耳に入りません。ですがこの噂が…」
そこまで言ったあとバレットは急に口をつぐんだ。
「どうした?」
「大した事ではありません。少し口が滑ったようです」
「そこでやめられると気になるだろう。話してくれ」
「サーシャ様がお金で旦那様を買ったという噂が初めに流れました。私たちは本気にしていなかったのですが、女というのはこの手の話が好きなようで屋敷中に広がっていました」
お金で買われたか。酷い噂だ。サーシャだけでなく私のことも貶めている。サーシャはこの噂を知っていたのだろうか。
「初めにということは他にも流れたのか?」
「ケイト様のことがかわいそうだと……仲を引き裂かれた二人に同情する声が多かったです」
「ケイトだと? なぜみんながケイトのことを知っている」
「この屋敷を買い取ったのはマドリード伯爵様ですが、旦那様と奥様が結婚されるまでは使用人の数は減らされてました。結婚が決まりここで暮らすことになったので、また使用人を増やしたのですが、その中にケイト様の子爵家で働いていた侍女もいたので、旦那様がサーシャ様と結婚する前に付き合っていたことは皆が知ってました」
使用人のネットワークは馬鹿にならないのだとバレットは言う。
ケイトのことはリリアナは何も言っていないことに気づいた。やはりサーシャはケイトのことが原因で最後にあんな言葉を残したのだろうか。一番聞きたかったことを聞いていなかった。だがいまさら知ったことで何も変わらない。
母の言ってたことは本当だ。全てを知ったとしてもサーシャが生き返るわけではない。
「その絵はサーシャ様ですね」
「ああ、絵姿はこれしかないんだ。マドリード伯爵に頼んだが断られたからね」
マドリード伯爵家にはたくさんの絵姿があった。どれか一枚でも貰いたかったが断られた。「再婚した時に絵の処分に困るだろう」と言われた。あの時は気にならなかったが、あれは嫌味だったのかもしれない。
「サーシャ様の絵姿でしたら、大奥様はたくさん持っていましたよ。いまでもどこかにあると思いますよ」
バレットが不思議そうな顔で言う。母がサーシャの絵姿を持っている? この絵姿も母から貰ったのだからおかしい話ではない。
母はサーシャを嫌っていたのではないのか? どうして絵姿をたくさん持っている?
バレットに探させると、屋根裏にサーシャの絵姿がたくさん置いてあった。どの絵姿もサーシャは微笑んでいた。
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