第12話 カイルside


 私は後悔していた。サーシャに酷いことを言ったことを。サーシャを叩いたことを。そして彼女が熱を出すまで気づかなかったことを。

 サーシャを連れて伯爵邸に行くと手慣れた様子で彼女は部屋へと運ばれて行った。私は彼女の後について行くこともできずにただ突っ立ていた。情けないことにどうしたらいいのかわからなかったのだ。

 マドリード伯爵に呼ばれて彼の部屋にお案内される。


「カイル、今日はサーシャを連れて帰ってくれてありがとう。あの様子では一人では帰ってこれなかっただろう」


「いえ、サーシャはが熱で倒れたのは私の責任ですから」


「いや、サーシャはが熱で倒れるのは珍しいことではない。君の責任ではないよ。サーシャのわがままで君にも迷惑をかけた。サーシャから聞いたと思うが、この婚約は白紙に戻すから気にしないでくれ」


「えっ? どういうことですか?」


 白紙に戻す? 今日のことが原因か? だが急に決めたというより前から決められていたような言い方だ。


「なんだ、まだ話していなかったのか。この話をするのは自分に任せてくれというから今日の外出を許したというのに。君も知っての通りサーシャは体が弱い。結婚は無理だと言われている。君との婚約もサーシャが16の歳までと決めていた」


「それでは元々解消する予定だったのですか?」


「君にも説明してあっただろう。どうしても婚約は必要だが時期を見て考えようと。覚えていないのか?」


 そう言われると困る。あの時はたくさんんことがあって、藁にもすがる思いだった。どんな条件でも従うつもりだったからよく覚えていない。そんなことを考えている私の事など御構い無しに伯爵は話を続ける。


「君に援助するのにどうしても婚約する必要があったのも事実だが、サーシャに婚約者がいる生活をさせたかった。いつもこの屋敷にしかいられないサーシャも婚約者と一緒ならいろんなところに行ける。私たちが連れて行く時より楽しそうだった。君と出かけて帰ってくるといつも嬉しそうだったよ」


 楽しそうだった? 国立図書館で放っておいただけなのに? 伯爵の言葉に恥ずかしくて顔をあげられなくなる。


「本当に嬉しそうでしたか?」


「ああ、出かける時も帰った時も楽しそうだった。君には悪かったと思っている。青春を謳歌するときに幼い子供の婚約者として過ごさなければならなかった。それも今日までだ。援助については何も心配はいらないよ。娘と婚約していた事実があるだけでなんとでもなる。これまで本当にありがとう」


 その後のことはあまり覚えていない。握手をされて見送られていつの間にか馬車に乗っていた。

 私はサーシャが身体が弱いことすら知らなかった。しっかりと彼女を見ていれば気付いていたはずなのに。日に当たったことがないような青白い肌。細い腕。学校に通わないのは何故なのか聞こうとすらしなかった。まともに会話したことがあっただろうか。返事をしたくらいかもしれない。婚約する前はたまにしか会わなかったけれど、もっと話をしていたような気がする。

 私は最低だ。サーシャを利用しただけだった。最低の人間だ。馬車の椅子を何度も殴ることでしか怒りの持って行き場がない。

 その日から私は変わった。変わらざる得なかった。ここで変わらなければ死んだ父に合わす顔がない。女遊びもやめて真面目に仕事に取り組む。当たり前のことだったが、それによって周りの人間も変わっていくから不思議だ。今までは遠巻きにしていた人からも声がかかるようになる。

 どうしてももう一度サーシャに会いたかった。謝りたかった。婚約者でなくなった私には彼女と会うためにはマドリード伯爵の許可がいる。何度も手紙で頼んだが許可はおりなかった。それはマドリード伯爵が自分を見限ったからか、サーシャが会いたがらないのかさえわからない。だが私は諦めなかった。何度断られても手紙は出し続けた。

 そんな私がサーシャに会えたのはマドリード伯爵から手紙が来たからではない。偶然、本当に偶然だった。私が国立図書館に行ったのは調べものがあったからだ。城にある図書室にはない本で禁書でもあったため自分で行くしかなかった。私は貸し出しができない本を書き写して帰るところだった。ほんの少し彼女がいつもいた席を見たくなり寄ったのだ。サーシャがその席で本んを読んでいた。いつものように他のことなど目に入らない様子だった。彼女が元気な姿を見ることができてホッとした。ずっと心配だった。彼女が病気で苦しんでいても自分には連絡が入らないことが悔しくもあった。私は彼女の婚約者だった時でさえ彼女の病気のことを知らされていなかったのだ。

 サーシャの家族にならなければ彼女の心配さえすることができない。

 そんな私をあざ笑うかのように一人の男が彼女に近付いた。その男は彼女の隣に座り親しげに話しかけている。彼女の方も嬉しそうに微笑んでいる。あの男は誰だ?

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