特別になりたい!

池田コント

第1話 ヒロインは水瀬

 マンガの主人公が伝説の勇者の血筋だとわかると失望する。

 華々しい活躍、運命的な出会い、血湧き肉躍る大冒険。

 なんてものは彼が彼として生まれたときには決まっていて。

 ああ、やはり、自分が欲しいものは、特別な人間のためのものなのだと思うと萎える。

 わかっている。

 彼らには非はない。才能に恵まれ、その上で努力を重ねてきたからこそ、主人公はヒーローたりえるのだ。

 才能のないということにあぐらをかいている、平凡な自分。

 結局のところ、責めるところはそこなのだ。

 しかし。

 おのれすら自己の可能性を見限ってしまっては誰がそれを守ろうというのだろう。

 実の両親すら「健康で犯罪さえしてくれなければそれでいい」と我が息子の凡庸さを疑っていないというのに。

 俺もそう捨てたもんじゃない、の精神。

 やる気になれば、ちょこっとは、やれる。

 ただ、なにをどうすればいいのかは皆目見当がつかない。


 ある日突然、俺、こと王我勇介おうがゆうすけの世界は一変する。

 昨日までの日常が遠ざかり、たった一人の少女を救うために、世界を敵にする大冒険。

 そんな展開を夢見るまま、中高を経て、いつのまにか大学生になってしまった。

 思い描くような非日常は待てど暮らせどやってこない。

「……これは、まずいぞ」

 今日もゼミに転校生はこなかった。

 草木も眠る丑三つ時に人知れず異形の者と戦う女剣士も。最強火属性のお姫様も。無口無表情無礼講で初対面のはずなのに主人公にベタ惚れの女の子も。

 バッ!

 殺気を感じてとっさに振り返る、ふりをしてみる。いない。

 長たらしいモノローグをつぶやきながら、昇降口を出たところで屋上を見上げてみる。いない。

 なぜか俺に明確な殺意を持つ暗殺者も、赤い眼鏡の似合う自殺志願者も、いない。いない。いない。

 いたって平凡。昨日の続き。連綿とつながっていく日常の一コマ。

 勇介はいよいよ焦りを覚え、校庭の土を蹴って駆けだしていた。

 今は、俺の人生の何ページ目だ? アニメでいえば何分経った?

 早くしないと飽きられる。他ならぬ、俺自身が飽きてしまう。

 ハリウッド映画なら五分以内。せっけん枠なら約三分。

「必要なんだよ! ラッキースケベが!」

 ハリウッドの脚本家の本に書いてあるのは、映画に必要なのはテーマに根ざした象徴的なセリフが開始五分以内に必要、ということであってラッキースケベのことなどではないのだが。

 勇介は躍起になってよく考えていなかったので、学校の敷地内の外れの森の中にひっそりと存在する旧校舎棟の奥の奥、きしむ木の廊下を走って寂れた空き教室を利用した部室の扉を勢いよくガラリと開き。

 その中で驚きつつもあいさつをしてきた部員の前に立って、

「ごめん!」

 その相手のシャツを襟元からぶち破いて胸元を露出させた。

「な、な、なななな……!?」

 最先端に凄惨なファッションに身を包み、動揺を隠せない友人を前に勇介は力の限り叫んだ。

「ラッキィィィィィイィイ!」

「なにがラッキーだバカヤロー!」

 友人の拳が勇介の顔面にめり込んだ。



「……それで? 言い残したことがあるのなら聞くだけ聞くけど」

 床の上に正座する勇介の前で、イスに座り、呆れた顔をしているのは、名前を水瀬みなせといった。

 中性的な顔立ちの美少年で、華奢な体型であることもあって、女性に見えなくもない。

 一目そういう目で見ると、ミルクチョコを連想する褐色の肌は甘美な誘いを醸し始めるものだが、今現在はエンジ色のジャージに阻まれ、大部分が隠されている。

「ちゃうねん」

「ふざけるな。君は関西の人じゃないだろう」

「いや、なんか空気重いから。なごませようと」

「いいのかい。末期の言葉がその人のヒトとナリを象徴することになりうる。君の人生が『ちゃうねん』で片付けられても」

「ビミョーに遺言を伝える流れになっている気がするのがアレだが、まぁ、待て。違うんだ、水瀬。つまり、せっけん枠なんだ」

「せっけん枠? ってなにさ?」

「説明しよう! せっけん枠とはテンプレ設定やテンプレ展開を多分に含んだラノベ原作アニメのことで、そのような特徴、要素を含んだ代表的な作品が聖剣なんちゃらであったため、聖剣が空耳でせっけんとなり、類似した放送枠の作品もせっけん枠と呼ばれるようになったわけだ」

 興奮気味に説明する優に、水瀬はその冷ややかな視線を浴びせながら、

「ふーん。で、それでなんで突然ボクのシャツを破ったのか、全然つながらないんだけど」

「せっけん枠のテンプレにな、ヒロインの初登場は裸で、というものがあるんだよ。せっけん枠のせっけんは、裸を隠す泡のことだという説もあるほどでな」

「ヒ、ヒロインって……」

「特にアニメ化されたときは三分以内にこれをするのが望ましい。この儀式を経ることでユーザーにこの女の子がヒロインなんだと認識させる、作品の見方を教える不可欠なシーンなんだ」

「ほう……それで?」

「ここまで言ってわからないか? 水瀬は察しが悪いな。部員のくせにオタク力が足りないぞ。つまりだな……」

 勇介はそこで一旦言葉を切ると、キレイな顔をして言った。

「お前、この部のヒロインなんだから、乳首出せよ」

 で、ジャージをビリビリビリビリー!

「ぎゃああああああ!? なにするだーっ!?」

 悪夢再び。勇介の半生に反省の色なし。

「ば、バカ! ボクは男だぞ!?」

「男だったら服破いたくらいで怒るなよ」

「怒るわ!」

 ピリリ。

 肌に焼けつく痛みを感じ、総毛立つ。

 水瀬の叫びと共に教室の空気が変質していく。空気中の魔素がチョコレート色の右手に収束し、手の甲に浮かんだ幾何学模様の魔力回路を仲介して、雷電へと変換されているのだ。

 これには勇介も平静ではいられない。

「わ、待て待て待て! いくらなんでもそいつは強すぎる!」

「知らないよっ! 死んで悔やめ!」

 ほとばしる紫電を帯びた水瀬の一撃は、コマンドワードを唱えることでその質量を解放する。

「これでもくらえっ! TakeThatYouFiend!」

 水瀬の拳の突き出す先は、勇介の胸元。激しい音と光をまき散らし、電撃は狙い違わず勇介を貫いた。

 攻勢魔術。この世界では普通の、ありふれた技術、暴力。

 瞬雷。人間の身体能力では到底かわすことのできない魔力の一撃は勇介の全身を焼き焦がし、強烈なショックを与えた。

 黒焦げの状態で、ピクピクと細かい痙攣を繰り返す、情けない勇介の姿。それを見て溜飲を下げた水瀬は、

「これに懲りたらもうこんなことはしないようにね。まったく。勇介君はいつまでたっても現実とフィクションの区別がつかないんだから。ラノベみたいなことが現実に起こるわけはないし、ラノベが現実になることもないだろ?」

 ところがどっこい、勇介は現実にもラノベを求める高純度のラノベバカ。

 ラノベが人を救えると、本気で思い込んでいて。

 女の子がスパイスとすてきなものでできているのならば、彼はラノベとエロスとあとほんのちょっとなにかでできている。

「……現実は小説よりも奇なり」

 やっとのことでそれだけ絞り出した優の言葉は水瀬のツンと先の尖った耳には届かなかったようで、水瀬はいそいそと着替え直した。



 聖暦二〇一五年。

 種族国家入り乱れて争った第二次神魔対戦も過去となり、地球に生きる人類は、人魔神族の垣根を越えて、最低限平和的で文化的な生活を送るようになっていた。

 ここ、ネオ日本でもごく普通の大学の範疇を超えるものではなく、勇介や水瀬もこの時代において取り立てて特異な存在ではない。

 魔術や頑健さに限らず、その才能を誰もがもつようになれば、それはどれだけ優秀なことであってもスタンダードになる。

 価値観が変わり、普通に飲み込まれる。これはそんな普通の連中の物語で。

 ラノベが好きではなく、大大大好きな勇介がラノベを書きたい。ラノベになりたい。ラノベがすべてだ。いや……

 俺こそがラノベだ。

 なんて考えてるラノベバカ勇介とその周囲の物語である。



「シュレーディンガーの猫なわけだよ」

 黒焦げになった勇介は、もう一度正座していた。

 対して、水瀬は勇介から取り上げたワイシャツを着てイスに腰かけ、勇介を見下ろしている。

 勇介はオーガ族の青年として平均より少し大きいくらいの体格だが、水瀬は線が細いため、いささか布地が余っている。彼氏のワイシャツを借りた彼女的な。

「それって、あれだよね? 密室の中に猫がいて、観測者が観測するまで猫は五〇パーセント生きていて、五〇パーセント死んでいる状態で存在しているっていうやつ。猫さんかわいそう」

「うむ。猫さんかわいそう」

「でも、それがどうしたの? ボクは君に正式な謝罪とワイシャツとジャージの弁償を求めているんだけど」

「まぁ、結論を急ぐな。俺の話を聞けば、いきなりお前の服を破いた俺にも情状酌量の余地があることに気づくだろう」

「よかった。悪いことをしたという意識はあるんだね」

「まぁ、結果だけ言えば悪いのはお前なんだけどな」

「前言撤回。全然反省してないね」

「ウェイトアミニット! まず前提として、覚えておいて欲しいのは、俺は童貞だということだ!」

「なっ! いきなりのカミングアウト! 友だちのそういう事情って聞きたくないんだけど!」

 しかし、勇介は構わず話を続ける。

「当然、女の裸を生で見たことなどない。健康的な青少年ならば、大なり小なり異性に興味を持つのは自然なことだが、俺はその肥大化した欲求のわりに情報が不足している。極端な話、認識していないだけで、俺は今朝方既にそれを見ているのかも知れない。だが、それが裸だとわからんわけだ! てか、実際そうだったら俺すっげー損してない? 見たいぜ!」

「知らないよ! だから、結局なにが言いたいの? 前置きが長いよ。要領もえないし」

「つまり! 俺は今ひとつ疑念を抱いているのだ」

 勇介はビシッと指を突きつけた。

「お前、本当は女じゃね?」

「なっ……!?」

 水瀬は顔色を変えた。事実、校内でも水瀬の美少女ぶりは有名であった。男と片付けるにはあまりにかわいらしい。

『いや女の子があんなにかわいいわけがない』

『そうだ。むしろ、男の娘だからいいのだ』

 口さがない者の間では水瀬は本当は女だという噂が飛び交っているのを、水瀬自身も知っていた。勇介もそれを耳にしたのだろうか。

「な、なな、なにを言っているんだよ。そんなわけないじゃないか、はははのは」

「しかし、お前は顔もすげーキレイだし」

「き、きれい……?」

「性格も優しくてかわいいし」

「か、かわいい……?」

「体つきもいかつくなくて、ぶっちゃけ美少女みたいな。男女の区別がつかない」

「え? え? いやー、そんな褒められても困るっていうか~。キレイとか、かわいいとか、そんなこと言われてもボク男だし~」

「オッパイがでーんとあったら、さすがの俺でも女だと断定できる。ぽっちゃり系以外。だがしかし、オッパイがないことで女性ではないと決めつけることはできない。無乳、まな板、ナイチチ好きがそれを許さない。胸は母性の象徴であるが、ふくらまざることは罪ではないのだ。むしろジャスティス! なやつだっている。四狼のように。話がそれかけたが、今、お前はシュレーディンガーの猫さんなのだ!」

「ボクが、猫さん……!?」

「女五〇パーセント、男五〇パーセント。性別がハッキリと観測され確定するまで女半分男半分ずつの可能性で存在し続けている。俺はこの部に集う仲間として、そんな半端な状態のお前と付き合うことはできない! お前を大事に思うがゆえに!」

 やっと話がシュレーディンガーまでたどりついたが、それを茶化す者は今この場においてはいなかった。

 水瀬は完全に空気に飲まれていた。

 話の間に立ち上がり、目の前まで迫っている勇介に水瀬は尋ねた。

「どうすれば君は納得するの……?」

 けおされながらも神妙な水瀬に、勇介は言った。

「ズボンを脱いで、オティンティンを見せてくれ」

 女性の裸体にはとんと縁のない勇介でも、男性器にはよくあいさつする間柄だ。個々によって形状は異なると聞くが、その有無は見間違えようはずがない。

 女性には男性器がない。それくらいは勇介は知識として保有していた。

「……なるほど。ここでかい?」

「ああ、ここでだ。幸い、今なら二人きりだ。他人に見られる心配はない」

「そうか、そうだね。他人に見られる心配はない」

 しかし、友人といえど、他人ではないだろうか。

 そもそも、オティンティンを見せてくれなきゃ友だちでいてやんないとか言い出すやつは友人とさえ言えないのではないだろうか。

 という無茶な要求に対し、水瀬は、

「わかった。脱ごう」

 確かに首肯した。

 ほころびのない論理ではない。しかし、水瀬はどんなくだらない仮説に対しても、興味さえもてば立証せずにはいられない、難儀な性質である。

 また、とても雰囲気に流されやすい性格でもある。

 水瀬の性別を確定できないという勇介が、男性器を観測することで果たして自説の通り納得し得るのか興味があった。

 また、大事な友人として関係性をハッキリさせたいという勇介の言葉は、内心嬉しくもある。

 そんなわけで、水瀬は服を脱ぐことにした。



「そんなにまじまじと見られたら脱ぎにくいよ。あっち向いてて」

 顕著にソワソワしだした勇介に言う。

「え、でもほら、男同士だし」

「いいから、向いてて! 今は観測前なんだから」

 勇介に壁を向かせて、水瀬は自分自身を確認する。なにも問題はないはずだ。それがそこにあることを普段意識しないが、今朝は確かに男性器が股間に鎮座していた。安心のクオリティで。

 下着も男性用ボクサーパンツ。なにもおかしなところはない。

(ボクは男だ……なにも恥ずかしがることはないんだ……男同士裸を見せ合うことくらい)

 正確には見せ合うわけではなく、一方的に見られるだけだが。

 水瀬は自分に言い聞かせるように繰り返すが、ただでさえ開放的な教室という空間であるのに、勇介を直視しながら脱衣するのも落ち着かないので、つい背を向けて古ぼけた黒板に向き直る。

 その気配を察して、勇介はそろりと後ろをのぞき見る。

 だぶだぶのワイシャツをはおった水瀬は、カチャカチャとベルトの金具を鳴らし、そろりそろりとズボンを脱ぐ。音をたてるのが恥ずかしい。

 すると、真白いワイシャツのしわのしたからミルクチョコレート色の素足が顔を出す。

 ズボンを脱ぎきるのには上履きがひっかかるので、先に上履きを脱いだ。

 ワイシャツが大きすぎて、下着をはいてないように見える。すべすべした太もも。ふくらはぎにかけて肉付きは薄く、足首はキュッとしまっていて、学校指定の白のハイソックスをはいたままなのがフェチズムをあおる。

 最初はバレないようにチラ見していた勇介だったが、今ではもうガン見である。

 勇介が盗み見ることなど想定していない無防備さをさらけ出している水瀬を、まじまじとガン見である。

 なぜ彼がガン見しているのか。それは、水瀬が今現在、半分女だからだ。女の子が生着替えしているかも知れない。その期待感だけで、勇介の劣情はむくむくと鎌首をもたげてきているのだ。

 床にズボンがしぼんでいった。一歩横に動いて、とうとう下着に手をかける。

 さすがに抵抗があるのだろう。この期に及んでふんぎりがつかないようだったが、意を決してパンツを下ろした。

 チョコムースのようなプリッとしたお尻が外気にふれるが、ワイシャツのせいで勇介の位置からは正視できない。

(見たい……!)

 勇介の脳髄の奥から本能が叫んだ。

 もうすぐ水瀬の性別がハッキリする。ゴール近し。ならば、今この瞬間こそが、水瀬のプリ尻を何も知らない子供のように無邪気に楽しむ最後の機会かも知れないのだ。

 大人が決して子供に戻れぬように『いくらかわいくても男の尻じゃあな』と自分自身に水を差されることになっては、純粋に尻を見て感動することは永遠に失われるかも知れない。

 いや、そんな理屈などは見苦しい後付けに過ぎない。

 圧倒的なまでの本能的な欲求の前にこざかしい理性などは介在しようがない。

 勇介は尻に魅了された。それを見たいと思った。だが、見えない。

 であるからして、勇介は床にはいつくばって、ワイシャツの中身を見ようと試みたのだ。それは知的探究心の表れであり、ごく自然な流れであった。

 たとえそれが男の尻に過ぎなくとも、それが己に価値あるものならば!

(見たい!)

 見なければ。心を豊かにするために。

 この角度ではまだ見えない。勇介はぬらりぬらりとナメクジのように、にじりより、ワイシャツの下にまろびでた魅惑のフォンダンショコラをいざ見たぞと思った瞬間。

 ガラガラガラー!

 誰かが来た。

「わぁぁ、いや、これは、その違うんだ!」

 扉が開かれたのに驚いて、動揺した水瀬の踵が勇介の鼻先に激突し、それによってバランスを崩した水瀬はお尻から勇介の背中に倒れ込んだ。

 水瀬は痩身とはいえそれなりの衝撃である。

 しかし、それすら脳が甘美な刺激に強制変換。背中で感じる生尻のぬくもりは、

「おう……スウィーティー……」

 鼻血を垂らしながら愉悦に浸る勇介の背中に、あられもない姿で座りこむ水瀬の痴態を目撃し、当然ながら呆然とする友人に対して、水瀬は必死に弁明し始めた。

「ちがっ、これはちがうんだよー!」

「……なにが、違うんスか?」

 水瀬とて、本当はわかっている。

 納得してもらえるような状況ではないことくらい。

 事実は小説よりも奇なり。

 そして、先達はこうも言う。

 朱に交われば赤くなる、と。

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