第9話 気分転換でもいかがだろうか

樹兄ちゃんに失恋したその翌日。


フランス語のテストは、昨夜必死に打ち込めたため、まあまあな出来だったと思う。

実は樹兄ちゃんのことがあったから、手につかないと思ったけど、忘れるために他のことをしないと、と思えばなんだか集中できた。

たぶん、勉強でもしてないと、昨日寝られなかっただろうな。


そんなことを考え出すと、講義には全く集中できなくなった。

昨日の今日だから仕方ないとはいえ…

もう忘れられるんじゃないか? と思ったけど、やっぱり無理かな。


なんてったって、高校の時からだから…

かれこれ3年くらい…かな、片想いだったのは。



でも俺が勝手に好きになって、勝手に失恋しただけだしな…

うーん…そう考えるとますます落ち込んできた。


「はぁ…」


だめだ、教授の言葉も頭に全く入らん。

今日の講義はあとで慎に頼み込んでノートを写させてもらうことにしよう。





慎も今日は気を遣ってくれたのだろう、ノートは何も言わずに貸してくれたし、ジュースもおごってくれた。

俺はただお礼を言って、その優しさに甘えておいた。



「はぁ…なんで慎が女じゃないんだろう」

「…お前な、間違っても誤解生むようなこと、ここで言うんじゃねぇ」

「だってさー慎が彼氏だったらぜーったいイケメンだもん」

「…はぁ…」



本音からの言葉だった。

だって、それならどれだけいいか。

けれど、俺が好きなのは樹兄ちゃんなんだろうな、とぐるぐると考えてしまって、今日何度目かの溜息をついた。



それから、いつもなら家の近くや通りで会う樹兄ちゃんには、全く会わなくなった。

俺には、かえってそれが有難かった。

会ってしまえば、またつらくなるだけだから。


樹兄ちゃんと会わなくなって、もう2週間が過ぎようとしていた。

今までこんなに会わないということはなかった。

つまり、だ…


「避けられてるのかも…」


という考えがよぎった。

自分で招いたことだし、バッサリと振られてしまったんだから、もう忘れるしかないと思っていたのだが。



「はぁ…」



俺は自分が思っていた以上に、樹兄ちゃんのことが好きらしい。

あの日から日が過ぎていく程に、気持ちがどんどん膨らんできて、自分でもどうしようもないなと考えていた。



避けられているというのは、案外間違っていないと思う。

街中や家の周りで会わずとも、樹兄ちゃんが毎週俺の家の夕食を一緒にとることが専ら習慣みたいになっていたのだ。


だが、それがどうだ?

今や2週間も俺は樹兄ちゃんに会えていない。

俺がいない時を見計らって夕食に来るなんてありえない。だって、俺晩飯外食なんかしないし…

樹兄ちゃんが来る週末は、母さんに「いっちゃんが来るかもしれないから家にいなさい」と言うもんだから、いることが常なのだ。

ところが、樹兄ちゃんは来ない。

なんでも、事前に母さんに連絡があったらしい。



「いっちゃんね、お仕事忙しくてしばらく家に来れないんだって。寂しいわね~」

「そう、なんだ」

「あら、アンタ、聞いてないの?」

「…」



母さんには連絡するんだ。

まあ、そうか。俺が料理作るわけじゃないし。


そう考えた瞬間、心がツキリ、と痛んだ。


ああ、まだだめだ。

こんなことで傷ついていたら、あの人を忘れるなんて到底できないっての。








樹兄ちゃんのいない夕食を摂った後、自室でぼーっと携帯をいじっていると、ハッとした。



「うわ…俺ほんとだめだな」



無意識のうちにメール画面を開き、メールを打ち込んでいたようだ。


その画面には、『すき、樹兄ちゃん、だいすき』の文字。



宛名までは指定していなかったので、さすがに誤送信、はないが。

そんな自分の現状に、頭を抱えた。



「なさけねー…」



せめて言葉で伝えてから、バッサリ振られたかったよなぁ…



じわり。

そんなことを考えると目頭が熱くなって、涙がこみ上げてきた。



いつまでもウジウジしてると、また慎に怒られるなー…ウザい!って…

それでも、涙はなかなか収まってくれず、枕に顔を押し付けて、俺は嗚咽を漏らして泣いた。



情けないな、女々しすぎるだろ。


あの日俺を祝福してくれた、樹兄ちゃんの顔が不意に浮かんできて、どうしようもなくやりきれない気持ちになった。

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