第45話 光栄だぜ

聞こえた。

「はっ、はっ、はっ・・・」

聞こえたんだ。ウチは少しでも油断すると、心の奥底から湧き出てくる嫌な予感を必死に抑えながら、渚の家へと走っていた。間違いなく、あの音は銃声だった。ウチは一般人、拳銃なんて触ったことも見たこともねぇし、音もまともに聞いたことはなくても、それでも、確信を持っていた。


「・・・関係ねぇ・・・」

そう何度も自分に言い聞かせる。研究所、しかも世界トップクラスの研究所なら、守護機能もあるだろう。研究員が拳銃を持っていることだって、暴走した機械に弾をぶっぱなして暴走を止めることくらいあるだろう。それだけだ、ただそれだけの筈だ。あいつとは、渚とは、何も関係ねぇ・・・。


「・・・くそっ」

関係ないと思えば思うほど、どうしてか、心中を夥しい虫がはい上がってくるように、渚が撃たれた、そのビジョンが鮮明に浮かんでくる。楽観的に考えれば考えるほど、“実は”、“本当は”、その予感がびしびしと迫ってくる。とにかく、考えるだけじゃ駄目だ、今はただ、信じるしかねぇ・・・。頼む・・・!


「渚っ!!」

ウチはドアを引きちぎる勢いで思いっきり引く。ドアに手をかけた瞬間、脳裏に張り付いた渚が血まみれで倒れているイメージを払拭するために。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・」

全身に汗をかき、息があがったこの体、この眼が見たものは、何だい?と、いうもみたいに笑う、渚の姿だった。

「そんなに慌てなさんなよ」

「な、渚・・・」


 良かった、無事だった。思えばウチは、早くそう思って、この息苦しい水の中のような窒息感から、抜け出したかっただけだったのかもしれない。何だよ、お前、無事だったのかよ。ウチが叫ぼうとしたその声は止まり、渚の元へ駆けようとした足は動かず、玄関で止まっていた。渚は見たところ、どこにも怪我をしていないようだったが、家の中にも関わらず、いつはあまり見ない大きめのコートを着ていた。


「それにしてもアンタ、よく無事で・・・。見つかったっていうから、アタシは心配で心配で・・・。帰って来れただけで良かったよ」

渚も、ウチのところへ一歩も動こうとしない。ウチは直感した、あれは渚の痩せ我慢。ウチに心配かけまいとする、ただの虚勢だって。


「・・・ふん、お前こそ、何事もなく帰れたみたいじゃねぇか」

ウチは分かっていながら嘘をつく。そもそも、ウチが任務を果たせたことが奇跡。何事も無かったなんてこと、ある筈がない。

「そりゃ、そうだよ。言っただろ、あそこはアタシにとっちゃ庭みたいなもんさ。大事なんてある筈もないだろう」

「そうかよ」

強がりだ、でも、今は何も言えない。言う時間もない。

「ていうか、おめぇ、ウチが失敗したみたいな言い草だな。帰ってこれただけ良かった、って」


 ウチはぽんと、渚に向かってノアの方舟を投げる。こうやって投げられるほどに、ノアは小さかった。ルービックキューブぐらいの大きさだったことに驚いた。渚はおおっと、と言いながら、それでもしっかりキャッチした。

「ちょっとちょっと・・・。世紀の大発見を投げなさんなよ・・・」

「ほら、しっかり盗んできてやったよ。こう見えても、ウチは約束を守る女なんだぜ」

「・・・ふふ、ありがと」


「・・・さて、これで一応第一段階はクリアってとこだ。ここからはお前の仕事、ウチは用済みだな」

「用済みって・・・。何だい、どこに行くつもりだい?」

「わりぃな、用事を思い出した。今すぐにでも、ここから去らないといけねぇ、大事な用事をな」

「・・・そうかい、分かったよ。気を付けなさいよ?」

渚は止めなかった。いつもなら、ウチのことを気遣って、ここに留めるであろう渚が、ウチがどこに出かけるかも聞かず、ただ見送る。

「ああ、分かってる」


「・・・ねぇ、楓・・・」

帰り際、ウチが扉を閉めようとする刹那、渚は言った。

「ごめんね」

「ばーか」


 渚が言った“ごめんね”の意味。それが一体どういう意味で言ったのか、本当のところは分からない。ウチを危険な目に合わせて、なのか、それとも、これからウチが危険な目に合うことに関してなのか。あの研究所は国家と繋がっていた、つまり、ウチが今日やった盤の強奪は、国家レベルの大犯罪だというわけだ。もう、警察が動いている。このままじゃ、ウチは捕まる。正直、捕まること自体、真の問題じゃねぇ。一番大事なのは、他の奴らを巻き込まないこと。だから、ウチは逃げる。遠くへ、誰もいないところへ。


・・・渚、お前が気づいていたかは知らねぇが、お前はずっと、お前の父親のことを、“あの人”って言ってたんだぜ?それが、心から嫌い、軽蔑している奴への呼び方かよ・・・。


 お前は結局、最後まで憎みきれていなかったんだろ、そりゃそうだ、何があったかは知らねぇが、柳ってのは、お前の親なんだろ。ウチの前じゃあ平常気取ってたが、本当は断腸の思いだったんじゃねぇのか?


 とにかく、今は逃げ果せねぇとな・・・。折角上手く行っても、ここでドジ踏んじまったら、すべてが水の泡だ。


 人目のつかない森の中を、渚が一体どういった気持ちだったのかについて思慮しながら、ウチを歩く。気配は感じない、といっても、漫画じゃねぇんだ。もとから人が付けている気配なんて、分かりゃしないんだがな。とにかく、今が夜なのは幸いだ。これじゃあ向こうも、簡単にウチを見つけられないはず━。


「・・・っ!?」


 何だよ、おい・・・。いくらなんでも、早すぎやしねぇか・・・?ウチが木々を抜け、表に出た瞬間、ウチの体はさながらスーパースターのスポットライトのように照らされた。


「・・・ふん、お早いこって」

ウチは一瞬目が眩んだものの、すぐに体を動かす。捕まるわけにはいかない、と、華麗に走り去り、姿をくらます。ったく、理想は完璧だったんだがな、やっぱりドラマみたいにいかねぇか、ちくしょぉ・・・。

「抵抗するな」


 ウチは地べたに押しつけられて、腕を拘束される。スゲェ力だな、まったく動かせねぇよ・・・。

「お、おいおい、口調じゃわかりづれぇかもしれねぇが、ウチは一応女の子だぜ?こんなことして、男としての良心は痛まねぇのかよ?」

「世紀の大罪人に、性別は関係ない」

「けっ、お堅いこって」

ウチ、たった一人を、何十人の人間が取り囲む。警察官か、研究員か、はたまたその両方か。拘束され押し付けられてる、ってのに、拳銃で周りを囲まれる。そこまでしなくても、逃げられやしねぇよ・・・。


「そ、それで・・・?これからウチを、どうするんだ・・・?」

「逮捕する。そして処刑、それだけだ」

「・・・はっ、なんだァ?ウチを拷問しなくていいのかよ?あのノアとやらはお前らが欲してならねぇもんなんだろ?」

「威勢がいいな。ただ、ノアに関しては居場所を吐かせる必要もない。あれは我らの最大の核。当然、どこにあるかはすぐ分かるようにしてある」

・・・だとよ、渚。ま、お前なら、何とかしちまうだろう・・・?

「けっ、そうかい。その最大のコアとやらを、こんなどこの馬の骨とも分からねぇ奴に盗まれるなんて、世界最高の研究所が聞いて呆れるぜ」

「黙れ」

「あがっぁ」


 ったく・・・。普通、女の頭を踏むか、よ・・・。躊躇、ねぇなぁ・・・。それでもウチは話すを止めない。少しでも、時間を稼げればそれでいい。

「・・・祭囃子まつりばやし 楓。お前を逮捕する」

「いいの、かよ・・・。今、殺して、おかなくて・・・。そんな、悠長なことで・・・」

「なに、あの研究所の対抗勢力が近年増えていた。お前の死刑は、いい見せしめになる」

「・・・ふんっ」


 まったく、こんなどうしようもねぇウチに、国家戦力やら、世界の頭脳やらがやっきになって動いてくれるたぁね・・・。光栄だぜ、ってハナシだよ。


ただ・・・。


 どうせ、最後になるのなら、もう一度あいつに・・・、あの男に会いたかったなぁ・・・。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る