第27話 終着点は絶望の味
それは、時間にして、十秒にも満たなかった、と後から考えれば思う。一瞬、僅か一瞬だった。しかし、その刹那は、ウチの人生のありとあらゆる出来事を鑑みても、間違いなく、疑いようもなく、圧倒的に濃く、そして酷だった。
最後くらい、かっこうつけさせてくれよ。そんな声からこの時は始まったように記憶している。死ぬ、そう覚悟し、目を瞑った。二度と開ける気も、可能性もなかったその目は、すぐに開き、網膜には一人の男の背中が映った。
「・・・」
言葉も出ない。顔には血しぶきがかかる。誰の血かなんて、確認するまでもなかった。ほんの僅かに、先の尖った金属が、男の背中、服を破って顔を出していた。最初、それが何か分からなかった。
「あ、あぁ・・・」
呻き声か、後悔に苛まれる漏れか、判別しがたい音がする。ウチでも、男のものでもない。もう一人の女、否、殺人鬼だった。さんざ明言していた。殺すと。殺して、自分のものにすると。言うは易し、行うは難し。いざ、その凶刃が男の胸を貫いたとき、それをした張本人すらも、ためらい、二の足を踏んだ、そう思った。そして、そう思った自分が恥ずかしい程に見当違いの推測だと、知った。
「あぁぁぁあああ~」
頬に手を押さえる。悪魔と取引をしてきたような、形容、説明しがたい、快楽に塗れた、快楽に塗りつぶされたような、体の底からの声。肌は紅潮、気持ちは高調、精神はすでに人間のそれじゃなかった。
「す、す・・・」
「好き好き好き好き好き好き好き好き・・・・・・・・・・・・・・・・・」
恍惚と照り、悦楽に沈む。その女、真紀は、自分のしたことにこの上なく満足感を抱き、凄惨に笑う。男の名を何度も呼び、男の返り血を何度も舐める。
「あ、あぁ・・・♡」
絶頂に達していた。
頬に手を押さえる、つまり、手は空洞だった。何も持っていない、何も。
「・・・あぁ・・・」
最期まで、笑っていた。最早痛覚なんてとっくになくなって、体を支配する感覚は喜びだけになっていたのかもしれない。あまり言いたくはないが、死に瀕し、死を生み出した女の顔は、とても幸せそうだった。
「・・・もう、いい加減、眠っておけ・・・」
ウチも何も変わらない。真紀と何も。どんな理由があろうと、どんなに状況が異なろうと、結局、人を殺めたという事実は何も、変わらない。逆に冷徹に激昂することもなく、咄嗟の判断みたいな自分の意思によらないもので、男の胸に刺さった刃物を引き抜き、女の首、頸動脈を切断したウチの方が、非人道的かもしれない。
「おい!」
耳元で、何度も何度も男の名を呼ぶ。
「いや、いや・・・」
ゆする、体を。男の目はかろうじて空いている。かすかに脈もある。
「死ぬな、死ぬな!」
叫ぶ、声が枯れるほど。
「お前が死んでどうするんだよ・・・!お前だけは死んじゃいけねぇだろ!」
どこかで。
心の隅っこかどこかで、ウチは思っていた。
きっと、この男は死なないと、そんな星の下に生まれてきたのだと、勝手な解釈を押し付けていた。
「なんで、ウチなんか、なんで・・!」
ウチはかばわれた。彼は、ウチの前に飛び出して、物理的な勢いと、リミッター外れの精神で突っ込んできた真紀の刃をもろに、刀ではない包丁が体を突き抜けるほど、受けた。口から出た血を真紀が嬉しそうに浴びる、そんな異常な画だった。
「・・・かっこつけさせろ、じゃねぇよ・・・」
お前は十分格好良かったじゃねぇか。
だからこそ、そんなお前だからこそ、千尋は渚は真紀は・・・。
「ウチは好きだったんじゃねぇか・・・!」
いやだった、お前が悲しむ顔を見るのが。
でも、今の顔の方が嫌だ・・・!
「そんな顔、するなよ・・・」
ウチを護れて、満足だ、みたいな顔、するなよ・・・!
「なぁ!!」
「起きろよ!お前はこんなところで死ぬ人間じゃねぇだろ!」
「なぁ!!」
「起きてくれよ!!」
止まらない、言葉と涙が。涙は頬を伝い、お前の顔は濡れる。言葉はふわふわと空中に霧散する。
「・・・うぁ」
あれ・・・。
体に力が入らない。泣きすぎたから?叫び過ぎたから?・・・違う。
「・・・ちっ」
忘れていた。ウチ、全身切り刻まれているんだった。血、どくどく、流しているんだった。
「・・・すまねぇ、な・・・」
折角お前がくれた命だってのに・・・、ウチ、もうすぐ死ぬの、忘れてた。
出血多量で気が遠くなって、死。実に不細工で、ウチらしい死に様だ。
こうやって喋れていたことだけでも、奇跡だったのかもな・・・。
ああ、力が抜ける・・・。体を、支え、られ、ねぇ・・・。
意図的、だったわけじゃねぇ。死の際で、こういうことに気を張り巡らせるほど、ウチは賢く、ねぇ・・・。
「・・・へへっ」
だが、ウチは罪悪感や背徳感を感じることもなく、ただの一人の女として、悦びを感じていた。ほんのちょっとの接触、フレンチ、って奴かな・・・。彼は真紀に刺され、そのまま倒れ仰向きに眠っていた。ウチはそんな彼の顔を覗く体制で、ずっと声をかけ続けていた。そんなポジションにいた、支えを失くした体は、彼の上に上手く、覆いかぶさった。先に言った通り、一瞬ではあったが、な・・・。
過程は省き、結果だけ。三人の若者、内、男一人、女二人、死亡。誰もいない、この崖。海の音だけが、何も知らない純粋な子供のように、響く。
これは、十人いたら十人が語る、疑いようのない、バッドエンドだった。
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