第27話
彼女はうとうとしかけて目が覚めた。
口のなかが飢えていた。
夢が尽きかけている。ヒトの些細な人生で喉を潤したい。肉をほふり、血潮に牙を染め、そのちっぽけな命をすすりたかった。
それで背の筋肉に力を入れ、扇子を勢いよく広げるような音を響かせて、自分の体をよゆうで包み隠せる翼を広げた。
一回はばたくと人の頭くらいある岩が風にあおられてがれきからガラガラと崩れ落ちていった。
二回目に前足が浮き、三回目に後ろ足が地面から離れた。
地表の重たい空気をかいくぐり、高みへと駆け上がっていった。もはや地面ははるか下にあった。
何度も都のうえを旋回し、自分のいく方向を定めた。
海がいい、海にいこう。ちょうど夢で見た。
この翼でなら海まではすぐだった。
この都に降りたって以来、満足を覚えるほど食べていなかった。体の白紋もしだいに少なくなっていく。
眼下を見下ろすと雲の透き間から小さな黒い点々が見えた。草も生えていない岩や土がむきだしの小島が海面から突き出て、白い波がぶつかってしぶきを上げていた。
片翼を傾けると、自然に体は下降しはじめた。
ヒュルヒュルと風がこまくをふるわせ、翼にかかる自分の体重がグンと軽くなったように感じた。
空を飛んだのは久しぶりだった。
ずっと自分はまどろんでいたから。
白く光る帆船を見つけた。
彼女は自分のものだと主張するために声を張り上げた。
歯車のきしむ金属的な声が雷鳴のように空に轟いた。
彼女は満足して、縄張りを荒らそうとする仲間がいないかどうか、もう一度旋回してみた。
横取りするものはいないようだ。
高度をもう一段下げ、ぐっと獲物に近づいた。
夢のなかの自分はほとんど無知に近く、目覚めるたびに少しイライラとしたが、目覚めた自分は自分が何をすべきかよくわかっていた。
だから、彼女は船体スレスレまで体を寄せて、海へわらわらと逃げ込むヒトを増やそうとした。
突然轟音が鳴り響き、火薬の匂いが辺りに充満した。
だが、彼女は恐れなかった。
強靭な翼を数回はばたかせると、船上のほとんどのものが吹き飛んでいった。
鉛の玉を吐き出す筒に必死になってしがみついているヒトが、悲愴な叫び声を上げて海へ転がり落ちた。
彼女は下顎で海面をえぐり、海に落ちたヒトをひとのみにした。
ヒトが何を叫んでいるのかはわからない。かれらからかきたてられるのは、獲物をほふる本能だけだ。
船上からヒトはいなくなった。
しかし、けものの声で悪態をつくヒトがいた。
彼女は体をよじり、それを見た。
すでに腹くちて、ねぐらに戻りたかった。見覚えのある姿に興味をひかれ、スイと翼をひるがえして寄っていった。
前足に引っかけ、はたき飛ばした。
それの首には鎖がつながれ、ガクンと体が引き戻されて甲板につっぷした。
猫が獲物をもてあそぶように、彼女もそうしようとしていた。ふいにかみつかれ、彼女の厚いが敏感な前足に痛みが走った。彼女は煩わしくなって、ヒトの片腕をついばんでむしり取った。
彼女はヒトの片腕を飲み込むと、命と記憶を共有する喜びに鳴き声を挙げた。ヒトはいずれ命を取り戻そうとやってくるかもしれないが、一度体に取り込まれたものは元に戻せない。
彼女はうれしげにまた一声鳴いた。
そのまま翼を大きくはばたかせ、用のなくなった船を後にした。
二回はばたくと、船は小さくなって小島のかげに隠れた。
背中がむずがゆく、新たに浮き出した白紋がざわざわとうごめく。
当分眠りに飽くことがないだろう。
彼女が悠々と翼を何度かひるがえすと、眼下に荒れた都が見えはじめた。上体を縦にして、浮力を前に繰り出した。ゆっくりと後ろ脚ががれきの頂を踏んだ。
がれきが吹き飛ばされ、彼女が着地した地点の屑は一掃された。
彼女は巨体をおっくうそうに引きずって地面を這い、うずたかいがれきによじ登った。
がれきのてっぺんにむずがゆい背中を押し付け、心地よいくぼみを作ると、尾をあごのしたにおいて深く息をついた。
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