竜の夢
藍上央理
第1話
内陸の盆地に大きな都を築いた初代皇帝が崩御された。私腹を肥やしたがる多くの貴族がたったひとりの嫡子を皇帝に据え置いた。
その白痴の皇帝、チャオシーケンが目を覚ますのは、前の夜どんなに遅く寝付いたとしても、いつも明け方より早いころだった。
チャオシーケンの目覚めはよかった。ゆうべ抱きついて離さなかった白い尻をさぐったが見つからなかったので、かれは素っ裸のまま寝台から降りた。
汚く乱れた長い黒髪のあいだから虚ろな黒い目がのぞく。
犬のように鼻をクンクンいわせて辺りを嗅ぎまわったが、女の匂いはしなかった。
かれは口をだらしなく開け、カハーカハーと息をする。生まれてこのかた、口を磨いたことがないために肉の腐ったような口臭が、かれのまわりから立ちのぼりはじめる。
ふろにも入りたがらず、かれの体臭は姿が見えなくとも悟ることができた。
下着もつけず、素っ裸のまま女の赤い下衣を肩から羽織り、毎朝、あてどもなく宮中をさまよい歩き、女の姿を見かけると、老いも若きも関係なく押し倒すのが、かれの日課だった。
二棟へだたった奥殿の女たちは皇帝の姿をみとめ、バタバタと走り去り、他の側女たちに知らせてまわった。
チャオシーケンは犬のように交わる。
女たちはそれを嫌った。早く死ねばいいのにと、宮廷の内情を知る女たちは口々にののしった。
夜だけは生け贄のようにだれかがくじでチャオシーケンの寝やに入った。
魚臭い男と寝たほうがよっぽどマシと、なかにはそんなことを云うものもいた。
奥殿の側女に身分の高い出自の女はいない。漁師や農夫が、金のために娘を宮廷に売ったのだ。
チャオシーケンの後見人の大守が貴族出の正妃を用意してくれたが、かれは一度だって自分の妻にあったこともなかった。
かれの父の弟だった大守には初めから目合わせようなどという気はなかったのかもしれない。
だが、白痴のかれにとってそんなことはさほど問題でもなく、その頭にあるのは好きで好きでたまらない、ひとりの側女のことだけだった。
女は都の城壁の外に住む農夫の娘で、名をシーファといった。おとなしく、物事を拒めないたちの娘だった。
十六で宮入りし、すでに一年が経っていた。鄙には珍しい容貌で、たぶん皇帝の母親にでもにていたのだろう。
皇帝に好かれているとわかった時点で、娘は死んでしまいたかったが、死ねなかった。死んでしまえば、貧しい両親へ毎月の手当金が支払われない。十も離れている小さな妹が、自分のかわりに皇帝の側女として売られるのだ。
皇帝が間の抜けた声をヒステリックに張り上げて、シーファの名を呼ばわりながら、奥殿の回廊を縫ってさまよう。
それでいつしか、くじで決められていた夜の務めの役は、自然とシーファにまわってくるようになった。
夜になると、シーファはのろのろと皇帝の寝所へ向かう。
自分は犬か豚に投げ与えられる食餌と同じ。何度指折り数えてもそれが果てしなくつづく。
しかし、その夜はいつもとちがった。
寝所につくと、チャオシーケンが服を着て、おとなしくうつむいていすに座っていた。
その向かいのいすには、皇帝の叔父である大守がしかつめらしく座っており、シーファを見つめ返していた。
彼女はあわてて床にはいつくばり、あいさつを述べる。
大守は気安く笑いかけ、珍酒を手に入れたので、ぜひ皇帝と飲みなさいと盃をすすめた。
シーファはかしこまって、大守手ずからの盃を拝受すると、云われるままに飲み干した。
すでにチャオシーケンは手酌で何度もあおっている。
彼女はしだいに眠たくなって、大守に酔ってしまったことを詫びようと床に手をついたとたん、気を失うようにして眠りこけてしまった。
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