アケルからの旅路 ~ 本当の意味が書かれていない物語たち ~

如月 仁成

アケルの岬に、年中ウェディングヴェールが飾られる訳


 お母様。

 記憶の園に、お姿を見つける術のないお母様。


 あなたの娘は、運命の女神アトロポス様の導きにより、これより愛するあの方と結婚いたします。




 ――おじ様が探して下さった、下級貴族の一人息子。

 昼下がりには、お迎えの馬車がやって来る手はずになっております。


 そのことを知ってか知らずか、アケルの岬からアドリア海を眺める朝は、私との別れを惜しむようにゆっくりと流れて行きます。


 昨日までは、あんなにも直ぐに縮こまっていた古い神殿の柱の影も、今日はずっと長いまま。

 私を暗い陰に染めて、そのまま遥か足下に波打つ海へと溶けてしまっています。


 風変わりな神殿守様に言わせれば、この影が身投げする者を掴んでしまうとのお話です。

 アケルの岬で自ら命を落とす者は今まで一人たりとも無く、転落した者は皆、不慮による事故であるとのこと。

 アトロポス様の温情が、この岬に奇跡をもたらしているのです。


 ……だから、昨日の事も、きっと事故なのでしょう。

 私が知った、あなたの秘密。

 三つの秘密を知った私への罰なのでしょう。




 お母様の秘密。その一つ目は、エメラルド。


 お母様の鼻は、アトロポス様より少しばかり御高かったようですね。

 私もその血を受け継いだようで、お母様同様、運命の女神様に嫌われました。

 まさか、家族を一つ手に入れる度に、家族を一つ失う運命を賜るなんて。


 お父様とお母様を失ったあの夜に、私はおじ様と家族になりました。

 そして声すら知らぬ下級貴族の一人息子との婚礼が行われる今日、私は一人きりになりました。


 チコリーの葉が痛いと泣いた小さな私に、ブーツをこさえて下さったおじ様はもういません。

 安心して青い花びらを愛でる事が出来るようになったあの日、大はしゃぎでアケルの丘を走る私を見守って下さったおじ様は、もうどこにもいないのです。


 

 お母様の秘密。その二つ目は、アメジスト。


 お母様が、マフィアの幹部でいらしたお父様と共に、おじ様のご両親を手にかけたこと。


 きっと、お母様には覚えも無いお話しでしょう。

 ですが、おじ様はもちろん忘れるはずもなく、アザミの花を三度過ごしたその次の夏、ついに復讐を遂げることになりました。


 夏の嵐が彼の地に訪れた晩のこと。

 生まれたばかりの私は家族を失って、しかし幸いな事に、おじ様と家族になったのです。


 そんな真実をアドリア海の風に乗せて運んで下さったイタリアからのお客様は、私の境遇を嘆いていらっしゃいました。

 でも、それは間違いだということをしっかり伝えておきました。


 私はおじ様と幸せに暮らしていましたし、お父様やお母様と過ごした記憶など無いのですから。

 嘆きの発露とされる謂われなど無いのであります。


 むしろ十五の誕生日を迎え、結婚を意識するようになった私にとって、おじ様の矛盾に、心を奪われることとなりました。


 私が知るはずもないお父様、お母様。

 二人を亡き者にしたおじ様は彼の地を遠く離れ、追手のかからぬこの岬の麓に靴の工房を構えると、おおよそ考え得る最大の慈しみを私に注いで下さいました。


 一体、生まれたばかりの私に美貌など望むべくもなく、何を以てお救い下さったことなのでしょう。


 ですが、私が流行りの病に伏した時も。

 役人の馬車に跳ねられ、大怪我を負った時も。

 一呼吸の休みも取ることなく手を握り続けてくださったのは、紛れもなくおじ様なのです。


 無償の愛情。

 ついに私が求めていた真実が、同じ屋根の下でパイプをくゆらせていることに気付いてしまったのです。


 それから三年。

 忍ぶ想いは私を疲弊させて行きました。


 はつらつとしていたはずの目元も窪み、頬も痩せ、それでも愛するおじさまの為にいつでもあたたかいパンと笑顔だけは欠かさぬよう、尽くしてまいりました。


 しかし、そんな私に告げられたのは、婚礼のお話でした。

 無論、それを断る術など私にはございません。


 涙を吞んで、愛するおじ様のお言葉に従うことといたしました。


 悲しみに暮れる枕の滴など、朝を迎えれば乾いてしまうもの。

 おじ様が私の想いに気付くはずもなく、昨晩を迎えることと相成りました。



 婚礼を控えた最後の晩、私は想いを打ち明けました。



 此度のお話は、愛するおじ様が下さった試練と思い、せいぜい立派にお務めを果たしてまいりますと。

 ですが、例え幾度の収穫祭を迎えても、必ずおじ様の元へ帰って来ますと。


 私の言葉に頷くことも無く、火のついたパイプをテーブルに置いたおじ様は、外套も肩に当てずに家を出て行かれました。


 残されたパイプをひとつくゆらせてみたものの、苦いばかりで美味しいものではございませんでした。


 まるで、おじ様が最後に見せてくださった口髭の向こう。

 針金に隠れた、苦しそうな笑顔と同じ味がしたものです。




 ――今日、私は結婚します。




 お母様の秘密。その三つめはパール。


 あなたは、憎らしい人と知る事ができました。


 私の愛するあの方に、あなたは殺された。

 憎らしい。

 憎らしい程、羨ましい。


 だって私はあの人に、殺される事はないのだから。

 永遠に、その願いは叶わぬものとなったのだから。


 おじ様が探して下さった、下級貴族の一人息子。

 昼下がり、お迎えの馬車がやって来る。



 ――だから、今日。私は、結婚します。



 昨晩も、この朝も。

 アケルの岬に自殺する者はない。


 だって昨夜の事は、不慮の事故。

 今朝の事は、ただの結婚式なのだから。


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