第108話 開戦前夜
「おーい、エルさん、エンデル、これなんかどうだ?」
「うーん、少し大きくないですか?」
「……」
俺が提示したものを見てエンデルは仏頂面でその物を見詰め、エル姫さんは顔を真っ赤にしてもじもじしている。
今俺とエンデルとエル姫さんは、すこし時間を貰って近くのショッピングモールに買い物に来ている。
大家さんの命令で、必要な物を買いに来ているのだ。
「エンデル、お前基準で判断するな。装着するのはエルさんなんだぞ?」
「ぶぅ~、私だって、私だってこれくらいの着けられるのですよ~」
俺の言葉が癪に障ったのか、エンデルはぷんすかと膨れ面をした。
「いや、無理だから。余ってしょうがないだろ?」
「大丈夫なのですぅ!」
俺が提示したものをグイと奪い取り、半ば癇癪を起しながら試着室へと入ってゆくエンデル。
「おい! お前のを買うわけじゃないんだぞ。エルさんのを買いに来たんだからな!」
「分かっているのです! 着けるぐらいいいじゃないですか!」
「あ、ああ……」
なにがエンデルの闘争心に火を点けたのか、意地になっている。
「エルさん、どう思うよ……」
「……」
エル姫さんに話を振るが、エル姫さんは顔を真っ赤にしてもじもじしたままだ。
「なあ、エルさん。もう覚悟決めなよ。大家さんの命令は絶対だよ?」
「うううっ、でも、でも……」
大家さんの命令で今後の作戦に必要な物を買いに来たのだが、エル姫さんは完璧に乗り気ではない。
「まあ諦めなさい」
「うううっ……」
エル姫さんの肩を叩きながら慰める。
仕方ないんだよ、俺だって、あんな恰好は嫌なんだけど、大家さんの命令じゃあ仕方が無いと諦めるしかないんだ。もう既に一度してしまったから、もう後戻りはできないし……。
そうこうしていると、エンデルが入っていった試着室が騒がしくなった。
「うわぁあああぁぁぁぁぁ~っ! く、悔しいのですぅ~っ‼」
ドスンという音と共に、そんな敗北感いっぱいの声をカーテン越しに響かせた。
「おい! どうしたエンデル!」
心配になった俺はカーテンの隙間から中を覗き込んだ。
するとそこにはぺたりと床にお尻を付けて、ぶかぶかの真っ赤なビキニの上を装着した泣き顔のエンデルがいた。
「ぶっ……だ、だから言っただろう。エンデル基準で判断するな、と……ぶふっ……くくくっ」
「な、なにを笑っているのですかアキオさん! グスン……」
俺がその姿を見て吹き出すと、エンデルは顔を真っ赤にして怒りながら洟をすする。
どう考えてもサイズ的にエンデルには無理がある。エル姫さん用に選んだのだから、一目瞭然なのだが……。
無駄な所に敵愾心を抱くな。大は小を兼ねると言うが、小は大を兼ねないのだよ。とはいえ、水着に関しては両方当てはまらないか?
「さあ、エルさん試着してみてよ」
「うううっ、本当にそれを着なきゃいけないのですか?」
「いや別に着けなくてもいいけど、大家さんの命令では、あの儀式用のスケスケのローブみたいなの着てくれって言ってたよね? なにも着けなきゃもっとあれじゃない?」
「ひゃあぁぁぁぁ! やめて下さい、やめて下さい、思い出させないでください!」
エル姫はさらに顔を赤くして羞恥に悶えた。
というわけで、大家さんの作戦の実行に必要な衣装のために水着を買いに来たのだ。服の上にあのスケスケのローブを羽織ってもインパクトがない! なんて言っていたが、そこまでしなければいけない理由が分からない。
何事も演出が大事なんだ! と、息巻いていた大家さんだが、それに巻き込まれる方の身にもなって欲しい。
いくら儀式には下着は着けないのがしきたりとはいえ、またあの姿はエロ過ぎる。なので下に水着を装着させようということになったのだ。
大家さんとの議論の結果、真っ赤なビキニで決定した。
ともあれすったもんだあったが、エル姫さんの水着は購入できた。
「ぶぅ~」
あれから終始エンデルは頬を膨らませている。
どうやら俺がぶかぶかビキニで笑ったことに対してお冠なようだ。
「悪かったって。何度も謝ってるだろ?」
「ぶぅ、ぶぅ~」
「あーもう、分かったから機嫌直せよ」
「それなら、私にも何か買ってなのです! 水着以外で……」
「ああ、なにがいい? あ、そうか、この前髪飾り買ってあげるって言ったよな。それ買ってやるから機嫌直せ」
「ふーん、仕方ないのです。それで機嫌直してあげるのです」
すこし機嫌が直った。
ということでエンデルの髪飾りを買うことにしたのだが、ここでまた問題が発生した。
可愛らしい髪飾りを買ってやろうとしたのだが、なかなかお気に入りのものが見つからず、エンデルが言うには、マオのような角が良いという。
そんなの普通の店にある訳もないので諦めろと言うと、また機嫌が悪くなったので、仕方なく千円もしないエンデルの髪の毛の色と同じような蒼色のカチューシャを買った。
確かマオの取れた角が部屋に置いてあったはずだ。それを瞬間接着剤で付けてやることで納得してくれた。
なんで角がいいのか良く分からない。
当初この作戦でエンデルは、こちらの世界に来た時に最初に着ていた魔法使いのローブを着る予定だったのだが、俺の嫁という設定なので、真っ黒なゴスロリ姿で良いことになった。そのスタイルには角が似合うと言い張ったので、そうなのだろう。どこでそんな知識を付けたのかは知らないが、まったく面倒なことだ。
俺には全く理解できないが、エンデルが機嫌を直してくれるのならそれでいいことにした。
そして買い物も終え、俺達はアパートへと戻るのだった。
ちなみにせっかく外出したのだからといって、外食をせがまれたのは言うまでもない。
久しぶりにモックでハンバーガーを食べた。エンデルは相変わらず5人分ぐらい食べ、店員を驚かせていた。ついでに大家さん達や社員の分も、かなりの量のテイクアウトもし、帰路についたのだった。
◇
そう大きな問題もなく、静かに開戦までの日々は流れ、そして開戦前夜を迎えた。
帝国軍の基地では、明日の開戦に向けての決起式を開く準備で慌ただしく動いている。
明日からの聖教国との戦争に向けて英気を養うため、大量の料理や酒を準備し、皇帝ガイールと共に士気を高めようとする決起大会なのだろう。
「おうおう、派手にパーティーを開くみたいだな」
「そうですね。やっぱ必要なんですかね、こういう催しは」
大家さんはモニターを見詰めながら渋い顔で言った。
まあこちらの世界でも、色々なイベントの前には決起大会みたいなものがあるし、どこの世界でも、そういった事をするのだろうね。
湖の畔にステージみたいなものを組み、テーブルを点々と置きそこに料理や酒樽を準備している。
これだけの人数の食事や飲み物を準備するのも大変だろうな。と、他人事のように思ってしまう。まあ他人事だが。
「それはそれとして、随分と上手くいっているみたいだな」
「ですね。後は仕上げだけですよ」
大家さんは帝国軍の動きを見てニヤリと口角を上げた。
ちまちまと準備に追われている帝国兵士達の動きは、いまいちパッとしない。
キビキビと動いている兵はごく僅かで、大半がどこか調子が悪そうに緩慢な動きをしている。時にはふらつき、時には林の中に駆け込んでゆき暫く出て来なかったりと、具合の悪そうな兵が続出していた。
「シュリはうまく動いてくれていますよ」
「ふふふ、頼もしい見方を手に入れたものだよ」
帝国側の暗殺者だったシュリをこちらの手駒にしたのは、聖教国にとって非常に有用だった。
隠密行動に特化したシュリならば、帝国軍の中で動いてもらうのも容易いものだ。万が一見つかっても帝国の兵士として見てもらえるので、証拠を残さなければ何の問題もなく作戦を遂行できる。
そしてシュリが帝国の基地に戻ってから命令したのは、飲み水に下剤を混入させることだ。O157とかの病原菌とかも考えたのだが、そこまでする必要もないだろうという結果になり、下剤を採用したのだ。
若しかしたら食中毒に効く薬などがあるかもしれないし、下剤なら最初から薬なので薬で治ることもないだろうと判断したのだ。
向こうの国でも一応湖や川から汲んだ水を一度煮沸し瓶に入れて、飲料や料理に使っていた。
シュリはその瓶に下剤を混入させればいいだけだ。約5万人もいるので、全部の瓶に下剤を混入するのは骨が折れただろうが、大半の兵が腹を下した状態を見ても、この作戦はほぼ成功というべきだろう。
後は今日の料理と酒樽に、前回よりも濃い目に下剤を混入すれば、シュリの役目は終わりである。
腹を下すと人間力が出ない。ふふふ、これから開戦を迎える兵士にとっては致命的だろう。
はははははっ!
いやいや笑っている場合じゃないね。だって戦争だからね。
どんな汚い手を使っても勝たなきゃ意味がない。
ともあれシュリにはいい仕事をしてもらった。皇帝ガイールとやらの顔も確認することができたので、最悪の場合は優先的に皇帝ガイールを捕獲すればいい話だ。
シュリの首には多機能チョーカーを装着してある。
高性能カメラとマイク、それに骨伝導でこちらの声はシュリにしか聞こえないようになっている。そしてスタンガン機能まで有しているので、もしシュリがこちらを裏切るような行為をした場合、即座に遠隔で無力化(死ぬまでいかないと思う)できるというものだ。
大家さんもいつの間にそんなハイテク装置を用意していたのか。きっとまた無茶な注文を付けたのだろうことだけはわかる。取引する会社も苦労するよね。
アイリーンさんもこのチョーカーに興味津々だった。きっと軍部のどこかで使えないか頭をフル回転しているのかもしれない。まあ、アメリカには既にそんな装置ありそうだけどね。
とにかくシュリを味方につけたことは大きかった。
事前に斥候の情報も仕入れられたし、細かな帝国の動きも報告してくれるので、とても助かっている。あとでご褒美を用意しないとね。
ともあれ斥候もここ数日で数人既に捕えているので、帝国側にこちらの情報は一つも伝わっていないだろう。
「ヘイ、ヒナタ。そろそろ準備した方がいいんじゃない?」
「うむ、そうだな。それじゃあ要君、エンデル君、エル君、着替えて来てくれたまえ。特に要君、君は入念なメイクをしてくるんだぞ? より奴等を震え上がらせる演技も必須だがな。はははははっ!」
大家さんは作戦の準備をして来いと楽しそうに言う。
まったく、面白いのはあんただけだよ。やる方の身にもなれよ……。
「うへ~はいはい、やればいいんでしょ、やれば……エンデル、エル姫さん、行こうか……」
「はいなのです!」
「うううっ……は、はい……」
俺は憂鬱に返事し、エンデルとエル姫さんを伴ってアパートへ一旦準備のために戻る事にする。
エンデルは物凄く楽しそうだが、エル姫さんは相当気乗りしないのか、重そうな足取りで付いてきた。
さあ、開戦前夜、これから下剤よりももっと過激な帝国軍の気勢を削ぐ作戦が始まろうとしている。
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