第107話 シュリ合流

【帝国軍前線基地】


 帝国の暗殺者シュリは、聖教国首都から帝国軍の前線基地へと、間もなく合流するところだ。


 城で大賢者の弟子の暗殺に失敗し捕えられたシュリは、大賢者の弟子から紹介されたアキオという不思議な人物と交渉した末、なんとか解放された。

 暗殺の失敗と捕縛されたことで、拷問の末、死刑台へと直行するものと考えていたのだが、そうはならなくてホッとした。というのが正直な心境である。

 聖教国側はシュリを解放し、帝国側へと戻すことを約束してくれた。


「ほんとうにあのアキオという御方は何者だニャ……」


 魔導鏡のような物に映し出されたアキオという人物と交渉したシュリは、その存在に少なからず恐怖を覚えた。


「あの御姿といい、ただ者じゃないニャ……聖教国は、悪魔と取引したのかニャ?」


 魔導鏡のような物に映し出されたアキオという人物の容姿は、とても言葉では言い表すことができないほど、恐怖を具現化したような存在だった。

 邪神などまだかわいげがある。そう思わせるほどの異形の存在。まるで悪魔と呼ぶにふさわしい存在だったのだ。


 威圧感のある態度、不気味な高笑い。そして、手も触れずにシュリへと苦痛を与える手段をアキオは持っていた。

 けして逆らってはいけない存在だと、その時シュリは確信したのだった。

 そしてそれは今なお進行形だ。


『シュリよ、吾輩に対して余計な詮索はするな』

「ニャぁーっ‼ は、はいニャー‼」


 どこからともなく聞こえて来るアキオの声。その声にシュリは身の毛を逆立て戦慄する。

 いきなり声が聞こえて来るだけでも恐怖だろう。今は森の中を進んでいるシュリの周りには誰もいない。にも拘らず常に監視されているようで、時折頭の中に声が響いてくるのだ。

 得体のしれない恐怖に捉われてしまうのも仕方が無い。


『貴様は吾輩の言う通りに行動すればよいのだ。そうすれば命までは取らないと約束したであろう』

「は、はいニャ! も、もちろんですニャ!」

『少しでも余計な行動を取ろうものなら、いつでもいかずちで貴様をこの世から消してしまえるのだからな』

「わ、分かってますニャ‼ あたしはアキオ様を裏切ることはしませんニャ! だからビリビリはやめて下さいニャぁ~」


 顔面蒼白にしながら雷は勘弁してくれと懇願する。

 アキオとの交渉の間も何度か反抗的な態度をとったシュリに、ビリビリと雷魔法を浴びせられ、その度に体が痙攣するほどの苦痛を経験しているのだ。その苦痛が今もなおトラウマになっており、その言葉は冗談と受け取れないシュリだった。


 城で捕らえられた後、首輪を装着されていた。

 これはアキオとの従属の印として装着されたらしい。外そうとすると雷魔法が発動し、苦痛の後死ぬと警告されているので、それ以降は従順になったシュリだった。


『うむ、吾輩の指示通りにすれば、なんの問題もない』

「はいニャ! アキオ様の従順な下僕、このシュリにお任せくださいニャ!」


 アキオに反抗することはもうしない。それに大賢者の弟子プノーザとの約束もあるので、今後裏切ることはしないと心に決めてもいる。

 あんな美味しいものがまだ沢山食べられるのなら、二重スパイになっても本望だと考え始めているシュリだった。


 なぜならアキオとプノーザの話では、この戦争を出来るだけ早期に終結させるのが目的だと言っていた。

 無駄な戦死者戦傷者を出さずに解決したい。それにはシュリの力も必要だと言ってくれたのだ。


 シュリ自体は帝国の諜報部に籍を置いている身。帝国のためにその身は捧げているとはいっても、実際にはそこまで帝国に愛着を持っているわけではなかった。

 そもそも、その昔シュリの母国も侵略戦争の末、帝国へ吸収された経緯があり、根底には帝国を憎む気持ちもないわけではないのだ。ただおとなしく従属していれば、それ以上同胞が迫害を受けることがないので、従順を装って軍に所属しているだけなのである。


 より平和で安心して暮らせる国を作ってくれるのならば、どこの国に従属しても構わない。そう思っているからだ。

 シュリの国も帝国に帰属する前までは、聖教国と和平条約を締結していた国なのである。帝国に恨みはあるゆえに、聖教国にはそこまで敵意を持てないのも事実だった。


 しかしそれは帝国の同盟国の大方がそんな感じだろう。元々女神エロームを崇拝していた国などは、特にこの戦争には賛成していない。

 無理くり闘神ガッチームなどという暑苦しい神を崇拝しろと言われても、そうすぐには改宗などできない。表向きは闘神ガッチームを崇拝しているように見せかけて、家の地下室に女神エロームを祀っている家もあるぐらいなのだから。

 出来れば帝国を離れ、聖教国側につきたいと考えている同盟国も多いはずだ。


 アキオとプノーザ、それに聖教国の教皇も、そんな平和な世界を望んでいた。そしてこの戦争を無事終わらせたなら、そんな平和な世界を創るとまで宣言していたのだ。

 ならば、それに乗っかってもいいのではないか。そうシュリは思ったまでである。


『そろそろ国境だ。うまく帝国軍を攪乱してくれることを願うぞシュリ』

「はいニャ! お任せくださいニャ‼」


 こうしてアキオとの会話を終了した。



 シュリは二重スパイとして帝国軍の前線基地へと合流を果たすのだった。



 ◇



 草原の虫と、水場に近い所でカエルの鳴き声が、合唱のように夜の闇に浸透してゆく。


 見張りの兵士以外は皆寝静まる時間帯である。所々に篝火が焚かれ、少人数の兵が松明を持ちながら広い基地の警邏に当たっていた。

 その闇の中を音もなく影が横切るが、見張りの兵士はその存在に気付きさえしない。


 開戦を5日後に控え、その夜皇帝ガイールは、一際豪華で大きな天幕の中で休んでいた。

 ここに到着し既に3日ほど経っている。兵士たちは昼間は訓練や食料の調達のための狩りなどをして過ごしている。

 しかし夜は時間を持て余してしまうが、寝るしかないのだ。


 そして影が天幕に静かに侵入してくる。

 入り口に二名の兵士が立っているが、その二人には気付かれていない。


「皇帝陛下」

「ん~、Zzz……」


 皇帝ガイールが眠る寝台に寄り、小さな声でそう呼びかける。

 しかし皇帝は熟睡しているのか、なかなか目を覚まさない。

 その姿に侵入者は呆れてしまう。これから戦争になろうというのに、余りにも無防備ではないだろうか。こうして間者が侵入してきても我関せず寝ているなど、簡単に寝首を掻かれてしまうだろうに。いっそ今殺してやろうか? と考えたがやめておく。


 数度声を掛けるとようやく目を覚ます皇帝ガイール。


「ん……むっ、何者⁉」


 今更とは思うが、これまでに7度は死んでいると言ってあげたい。


「シュリにございますニャ。皇帝陛下」

「おお、シュリか」


 皇帝は寝惚け眼を擦りながら頷いた。

 どうも自尊心が過大なのだろう。自分こそが絶対的に有利な立場にあると、揺るがない優位心から来る余裕なのかもしれない。

 だが戦争は何があるか分からない。こうしてシュリが侵入してきている以上、この戦争の頭を難なく狩ることができるのだ。

 今回は皇帝を殺すことが目的ではない。命拾いをした皇帝ガイールだった。


「首尾はどうなのだ?」

「はい、万事うまくゆきましたニャ。大賢者の弟子の暗殺に成功。そのお陰で聖教国側は大慌てでしたニャ。貴族などは首都から逃げ出す者もでて、教皇も恐慌としていましたニャ。指令系統も麻痺していますし、帝国が攻め入る以前に聖教国は瓦解するかもしれませんニャ」

「そうか! よくやった‼」


 シュリの報告に皇帝は喜色を露にした。

 教皇も恐慌としていたと、自分でも上手いこと言ったな、なんてにやけそうになったがやめておいた。


「これで労せずこの戦争を勝てるな。がーはははっ」

「はっ」


 シュリは恭しく頭を垂れた。

 嘘の報告とも知らずに、満面の笑みの皇帝が滑稽に映る。


「なるほどのう、それで国境付近の警備も薄いわけか」

「おそらくは……」


 決して警備を薄くしているわけではない。それなりの作戦があるとシュリは知っているが素知らぬ顔で頷いておく。


「うむ、ご苦労だった。明日から斥候を数人向かわせるか。開戦まで少し日がある、お前は少し休むとよい」

「はっ、ありがたき幸せニャ!」


 報告を終えたシュリは、また気配を極限まで消して天幕から出て行った。




「皇帝陛下、何かございましたか?」


 天幕の中で話し声が聞こえたことに不審に思った見張りの兵士が、中の様子を確認すると、皇帝が半身を起こしていたので声を掛けてきた。


「なに、幸先の良い知らせが来たのでな」



 皇帝は不敵に口角を吊り上げ、この戦争の勝利を確信するのだった。

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