第42話 マジかよ!

 俺は自分の頭がサッパリしてしまったことに、余りのショックで何も考えられなくなった。


 それはそうだろう。今までシャンプーをして抜ける髪の毛や、朝枕に落ちている髪の毛を数本見るだけで暗澹たる気持ちになっていたのだ。それが豪快に全部なくなるなんて、考えたこともない。

 いっそ清々しさまで覚えてしまうほど、頭の風通しが良くなっている。


「……」


 なんか怒る気も失せてしまい、無口になる俺。すると、


「アキオ兄ちゃん! 驚いたかい? だけどこれからが本番だよ!」

「……」


 ピノが訳のわからないことを口走る。

 これ以上何が起こるというのだ?


「そんな顔するなよ。そろそろ始まるよ!」

「何がだよ……」


 これ以上何があろうと、一瞬でハゲになるより驚くことはないだろう。

 そう思っていると、変化が訪れる。


「──おっ!」

「きたきた〜‼」


 頭全体がムズムズとしだす。


「お? おお? おお! おおおおおおおおおおおおおおおお〜っ‼」


 次の瞬間ワサワサと髪の毛が、まるで天突きで突き出される心太ところてんのように、頭皮の毛穴という毛穴から噴き出して来たのだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーっ‼」

「ふっ、ふふふ、ふはははははははっ! どうだいアキオ兄ちゃん!」


 ピノが無い胸を張って威張っているが、今はそれどころではない。

 髪の毛がワサワサと生えてきている事実に、驚き以上に涙が流れる程嬉しく思う俺なのだ。


 洗面台の鏡まで走りその様子を窺う。今は足元にいるヘビなど眼中にない。ワサワサと伸びる髪の毛に釘付けである。

 暫くするとようよう髪の毛の成長も止まった。

 その時洗面台の鏡には、ちょっとしたロン毛の若者の姿が写し出されていたのだ。


「おおおおおおおおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」


 ふさっ、と髪を搔き上げる。

 色艶、弾力、質、量、太さ、どれを取っても申し分ない。まるで高校生の頃に戻ったような、質感とボリューミーな髪の毛が俺の頭に復活したのだった。


「う、うううううっ、一時はどうなることかと思ったぜ……」

「だから言ったじゃないか、自信作だって!」


 ピノは悪戯っぽい笑顔でそんなことを言う。


「本当かよ! 実験もしないで良くそんなことが言えるな?」

「ふふふっ、チョット驚かそうと思ってね。実験しない訳ないじゃん。前回が脱毛剤になったんだから、完璧を期すよ」

「本当かよ……」


 聞く話によると、ピノは一度自分の頭の一部で試したらしい。

 女の子の癖に度胸があるものだ。一生消えない円形脱毛が残る可能性だってあるだろうに。それだけ自信があったってことなのだろう。

 一度全部抜けてしまったのは、古い毛根を一新し、活性化させる為だという話だった。

 それならそうと、最初から説明してくれれば良いものを……驚かせて面白がっていたようだ。なんて奴だ……。


 しかし体験すると魔法の薬とは物凄いものだな。一瞬にしてフサフサになるなんて、本当に魔法というしかない。

 こんな毛生え薬この世界では絶対に作れないだろうな。常識を逸脱しているにもほどがあるよ。


「まあ、ピノの薬は成功していたのですね。良かったですねアキオさん。でも少し残念な気もします。アキオさんのツルツルの頭も良かったのですよ。できれば触らせて欲かったのですが。気持ち良さそうでした」


 エンデルがそんなことを言う。


「良くねーよ。まだ髪の毛はあったほうがいいし、心理的にかなりブルーになったんだぞ!」

「そうですか、でも私は髪の毛の有る無しで、アキオさんを嫌いになったりはしませんので」


 もう、課長の奥さんにも聞かせてあげたいセリフだね。

 まあ、とりあえずは若くしてツルツル頭になるのは免れたのでホッとする俺だった。

 しかも、髪の毛のボリュームがアップした事により、どこか心のしこりが、スッと霧散してしまった感じがある。

 今まで髪の毛のせいで卑屈に物事を考えてしまっていた俺に、どこかおおらかな心の余裕が生まれてきたみたいだ。


「うむ、ともあれ結果オーライだな。一時はどうなるかと思ったよ。マジで自殺まで考えるところだったからな」

「驚かせてごめんな! でも楽しかったよ! こっちの世界の人は、髪の毛が無くなると、あんなにも悲壮感漂う顔をするんだな。勉強になったよ。これは次回からはちゃんと説明したほうがよさそうだね」

「結局、何にしても俺は実験台だったと言う事なんだな……」


 まあ許してやるよ。

 髪の毛が増えたので、些細なことは忘れる事にする。ハゲたのが些細か? まあ結果的に増えたから許す!

 テーブルの上の瓶を見ると、まだ結構な量の怪しい液体が残っていた。数滴しか使用せずにこの威力。やっぱ、魔法は凄いものだね。

 と、そこで悪巧みじゃないけど閃くものがあった。


「ピノ、その残った薬、貰ってもいいか?」

「ん? この残りかい? いいよ、どうせ早く使わないと魔力も抜けていくし、いつ帰れるかもわからないから、あげるよ。どのみちもうレシピは残してあるから、もし帰れたらまた作ってハーゲンさんに渡せばいいし」


 ピノは気前良く譲ってくれた。


「サンキュー」


 瓶を受け取り、俺はさっきのピノの妖しい笑顔と同様の怪しい顔をしていた事だろう。



 翌朝。

 会社に到着し早朝からい懸命に仕事を続ける俺。

 泊まり込みの奴も所々で仮眠をとっている中、俺のキーボードの音はけたたましく連打の音を響かせる。

 うむ、髪の毛の心労は殊の外心に深いダメージがあったようだな、こんな晴れ晴れとした気持ちで出社したのは久しぶり、というよりも初めてかもしれない。電車の座席に座っていても、目の前に立つ人の視線が、どことなく俺の頭に向いているような。そんな被害妄想が以前はあったのだが、今日からは、オラ見ろよ! と、自信満々に髪の毛を搔き上げる俺だった。

 ロン毛だったのは、エンデルにお願いして多少切ってもらっている。櫛も無いし、ハサミも百均で買った安物しかなかったので、所々長さがまちまちなのだ。後で千円カットのお店で揃えて貰わなければ、格好が悪いが……。


 ということで、時間も忘れキーボードを叩いていると、どうやら他の連中も出社して来る時間帯になった。


「おはよう、要君……」


 疲れた様子の課長が、挨拶をしながら俺の背中に立つ。


「あ、おはようございます課長! 今日も頑張ってますよ〜」

「……あ、ああ、頑張っているようだね……だけど要君、それなんだが、残業……」

「嫌です!」

「だ、だよね〜……」


 課長の言わんとしている事が分かったので、言葉途中で却下する。

 課長は苦笑いを浮かべながら、頭の皿を、おっと、失礼、頭を撫でた。

 そろそろ来る頃合いだろうとは思っていた。

 部長のタイムカードチェックがそろそろ行われる頃合だろうと。その結果、俺が定時で帰っていることが露見し、課長が呼び出しを食らって叱責を受けたのだろう。

 そして、課長は残業を強要しに来たと。うん、そうなることは織り込み済みです。


「課長! 残業もそうですけど、土日もしっかり休ませて貰いますのでそのつもりでいて下さいね」

「そ、それは……勘弁して欲しいな……」

「勘弁して欲しいのはこっちです。ノルマ的には、今週分は間違いなく達成できますし、余裕をもって来週分まで進めておきますので、問題は無いはずです。問答無用で休みます」

「……」


 課長はシュンとして黙り込んでしまった。

 どうせあのどうでもいい社長の息子の部長が、課長を頭ごなしに叱り付けたのだろう。

 課長も苦労人だよね。もう少しバシッ! と言えないものかね?

 まあそれは俺の責任でもあるから、少しは罪悪感もあるけど……。


「そんなことより課長。チョット時間ありますか?」

「……?」


 俺はカバンに入れていたブツを手に席を立ち、課長の腕を引いた。


「あ、な、何かな要君……?」

「ちょっと顔を貸してください」

「えっ! 顔を貸す……」

「ええ、こっちに来てください」

「ちょ、ちょっと要君……こんな所に連れ込んで、い、いったい何を……」

「ふっ、おとなしく入って下さい」


 俺は若干怯えた顔つきの課長を連れてトイレへと入る。

 きっと顔を貸せと言ったから、ひと昔のヤンキーのようにボコられると思ったのだろうか。まあ正確には頭を貸せと言った方が良かっただろうか?


「ふっ、観念してください課長」

「な、なな、何をするんだね、か、かか、要君……」


 俺は問答無用で課長を個室に引きずり込んで鍵を掛ける。

 顔を真っ青にする課長。もう、小心者過ぎるだろう……。


「課長そう怯えないでください。実は課長に朗報があります」

「ろ、朗報……?」

「ええ、毛生え薬っが手に入ったんですよ」

「なに! 毛生え薬、だと?」


 毛生え薬と聞いた途端声が大きくなる課長。


「しーっ‼ 声がでかいです課長」

「あ、す、すまん……でも、毛生え薬なんてあるわけないだろう……」

「ふっ、そうお思いでしょう。ですがあるのですよ、ほらここに……」


 俺は手に握ったピノ特製毛生え薬を課長に見せる。


「な、なんだね、その怪しい液体は……」


 ですよね~、どう見ても怪しいよね~。俺も見た時はそう思ったからね。


「見た目じゃないんです。これが正真正銘、魔法の毛生え薬です」

「……」


 課長は胡乱な表情で俺を見る。

 本当に魔法の薬なんだから嘘は吐いていない。


「何ですか課長その顔は。課長は髪の毛が若い時のようにふさふさになりたくないんですか?」

「そ、そりゃなりたいが……も、もう諦めているよ……」


 きっともう諦めているとは思っていたが、毛生え薬と言った時に反応したのは正直な心の表れだろう。こんなカッパ頭より、ふさふさの頭の方が断然いいに決まっているのだ。おっと本人を目の前にして、こんなはないよな。失礼しました。


「だいたい、そんな夢の薬なんてこの世界にはないんだよ? 要君は僕をからかって面白がっているのかい?」

「いいえ、至極真面目ですよ課長。ほら、見て下さいよ俺のこの頭を」


 俺は課長に向かって頭を突き出す。


「な、か、かか、要君! た、確か君はもっと薄かった筈だよね? な、なんだねそのボリュームは‼ ず、ズラなのかね?」

「ズラじゃないですよ! 地毛です地毛。どうですか? このふっさふさの頭、地肌なんか見えませんよ?」

「ほ、本当なのかね、要君……?」


 課長はさわさわと俺の頭を撫で、髪の毛の感触を確認する。

 男二人で狭い個室ですることじゃないよな。と思いつつも説明する。


「ええ、マジもんです。いかがですか? 課長もこんなふっさふさの頭を取り戻したくはないですか?」

「……ゴクリ」


 生唾を飲む音が聞こえてくる。

 そりゃあ、嘘でも髪の毛は取り戻したいはずだ。

 俺の計画は課長に少しでも自信を取り戻してほしいのだ。上に押さえつけられ、下から馬鹿にされ、途方もないストレスを蓄積した結果、頭髪がメキメキと抜け落ちたのだ。

 髪の毛が復活したら、もしかしたらそんな鬱屈とした心を解放できるんじゃないかと考えたのだ。

 ある人は、カツラを装着しただけで身も心も別人になる人がいるからね。それが地毛だったら、もうそれ以上の変化があるかもしれないと踏んだのだ。

 昨日の俺がそうだったように。


 その代わりと言っては何だが、俺が定時で帰るのと、土日を休むことに協力してもらおうという、こすい考えがあることは内緒だが。


「どうしますか、課長?」

「……た、頼む! ぜひお願いする!」

「承りましたよ。むふふふっ」


 こうして課長は俺の策略にまんまと乗るのだった。


 注意事項を説明し、万が一スキンヘッドになっても文句はないという確約を取り、俺は課長に怪しい液体を振りかけた。

 どうせカッパなら、いっそスキンヘッドの方が良いかもしれないという事だったので、遠慮なく振りかけたのだった。


 課長の頭にまんべんなく薬液が行き渡り、昨日と同じく髪の毛が全部抜け落ちた。

 抜け落ちた髪の毛との決別を済ませ、便器に流す。

 スキンヘッドの課長は寂し気にそれを見送った。でも、スキンヘッドの方が貫禄があるな。このままでもいいような気もするよ。


「ふふふ、これでもう少し待っていれば生えて来る筈です。もし三十分待って生えてこなかったら失敗ということで」

「わ、分かった……どちらにしても、要君を恨むようなことはしないよ……」

「では俺は仕事に戻りますので、もう少しここで待機していてください。伸びきったら、床屋に行ってきた方が良いですよ、かなり長いので……」


 そう言って俺は課長を残し、個室から退散するのだった。



 さて、課長の頭の行方はいかに……。

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