第40話 洗面所に何かあるんですけど!

 今日も無難に定時で帰ってくることができた。


 うん、順調に仕事も仕上がっているので、カッパ課長に小言も言われることもない。このまま順調に仕事をこなせば、しっかりと土日も休めることだろう。

 なんで今までこうも真面目に仕事ができなかったのだろうと、つくづく思う今日この頃。しかし会社の体質がそうさせていたのは、紛れも無い事実なのだ。こうなったら会社の体質改善も進めるべきではないだろうか。と、真剣に考え始める俺だった。


 エンデル達は昼間は草むしりをしており、今日で3日目。そろそろ前庭が綺麗になってきた。やっぱこうじゃなくちゃね。

 初日、2日目と、三人は普段はしない力仕事をしたせいか、ご飯を食べて風呂に入ると、直ぐに寝てしまっていた。特に姫さんは普段から箱入り娘的に大切に育てられていたのだろう。ひときわグロッキーだったことは言うまでもない。湿布臭かったのは大家さんに貰ったのだろう。

 しかし三日目ともなればだいぶ順応して来たらしく、今日はみんなでまだお話中である。

 ともあれ無理をせず、ゆっくりと体を慣らして行けば良いと思う。張り切りすぎて怪我でもされたらそれこそ大変だ。保険証もない今、病院に掛かれば莫大な金をむしり取られることだろう。俺の貯蓄を根こそぎ持っていかれかねないからね。

 とはいえ、いつまでいるのか分からない状況で、病気にならないとも限らないしな……これはちょっとした問題だ。何か良い方法がないものだろうか……。

 だが深く考えてもどうしようもない。今時点この世界での国籍も何もない異世界人に、どうすれば国籍や住民登録を取得できる方法などあるだろうか。市役所へ相談したところで門前払いだろう。誰も分かるわけもないのだ。こればかりはどうしようもならないだろう。

 それにノンパスポートの不法入国者だぞ? 下手をすれば捕まってしまうかもしれない。だが捕まったにしろ、強制送還する国もこの世界にはないとくれば、どうすることもできないしな。本当に国家のお力で強制送還出来ないものだろうか。異世界に……。

 まあ無理だよな……。


 さて、晩飯も食い終わり、エンデルと日課の買い物も終え、女性陣全員風呂に入り終え、3人のエキスいっぱいのお風呂にニヤニヤしながら入ろうとした時、俺の目に不意に飛び込んで来たものがあった。

 ここ最近家の事、掃除や洗濯、風呂の準備もエンデルが進んでしてくれているので、そんな物が置いてあるなど気が付かなかった。


「──うああああっ‼ お、おいっ! なんだこの焼酎のペットボトルは‼」


 洗濯機の脇に置いてある焼酎小五郎の4ℓペットボトル。その内容物に仰天する。


「どうしましたか、アキオさん?」

「な、なんでヘビが焼酎漬けにされているんだ!?」

「しょーちゅぅー、ですか? 小さなちゅうの事ですか?」


 なんだそのチューは?


「なんだよ小さいチューって……いやこの蛇の入ったペットボトルの事だよ、酒だろこれは?」


 なんだこの蛇。これはマムシか? 田舎ではよく見かけたが、こんなところにもいたのか? 案外危険だったんだなこのアパートの敷地内は……というより手入れを怠るから棲み着いてしまうんだよ。大家さんの怠慢の結果といってもいい。

しかしなぜに……まさかマムシ酒を作ろうとしているのか?


「あははは、それはお酒ではありませんよ、ただの水ですよ、あははは」

「いや、笑い事じゃないし。水はいいが、なんでその中にヘビが入っているんだ! それもマムシじゃないか!」

「おおー、マムシと言うのですかこの蛇は。毒があり、滋養強壮に良い薬が作れそうでしたので、はらの中の洗浄を今しているところです。綺麗になったら、毎日お疲れになっているアキオさんのために、飛びっきり強力な栄養剤を作って差し上げますね、期待していてください」

「……」


 飛びっきりの笑顔で言うことか?

 まあ確かにマムシは滋養強壮に効果がある蛇らしいから、マムシ酒とか飲む人もいる。漢方でも使うしそれは立証されているのだろう。

 それに子供の頃爺ちゃんに聞いた話では、マムシの肉を食うと目に汗が入らなくなるなるほど肌に脂が乗り、精力も増強するということらしい。本当か嘘かは分からないが、『バッキンバッキンだぞ亜紀雄!』と、力こぶを押さえながら拳を上下に乱高下させていた。

 そのハッスル爺ちゃんはもう死んでしまいこの世にはいないが、今考えればどんだけエロジジイだったのだろうと赤面してしまう。


「いやしかしさ、薬を作るのは良いが、生きたまま部屋に入れるなよ! ニョロニョロしながらこっちを睨んでるじゃねーか!」

「なんだ、アキオ兄ちゃんはヘビが嫌いなのか?」

「お前は大丈夫なのか、ピノ?」

「こんな小さなヘビ、ヘビのうちに入らないよ。まるで小さなミミズだね」

「なに! いや、こんな長くて太いミミズがいたらそっちの方が怖いな……」


 少なく見積っても50センチぐらはあるぞ? これでまだミミズより小さいのか? どんなミミズだよ! ザワっとするぜ。

 ということはヘビはもっとでかいのがウニョウニョしている世界なのか? アナコンダみたいな奴が……考えただけで身震いするよ……。


「まあ、どっちにしろ、部屋の中で逃げ出したらどうするんだ? こういうのは外に置いておきなさい!」

「ええ〜、可愛いじゃないですか〜」

「ええ〜、じゃない! ついでに可愛くもないぞ!」

「もぅ、姫様といいヒナたんさんといい、アキオさんまで、蛇を嫌いすぎですよ? ヘビは何もしなければ害獣駆除もしてくれるし、良い薬の材料にもなるのですよ?」


 はたと姫さんを見るとふるふると震え、ヘビを見ないようにしている。やっぱ異世界人でもヘビ嫌いがいるということに、少しはホッとした。この師弟二人がどこかズレている、そう思うことにした。

 まあ確かにエンデルが言うように、ネズミなどの害獣を捕食するからそうなのかもしれないが、ヘビ、それも毒を持ったヘビを可愛いと思えるのは、よっぽどコアな爬虫類好きな奴だけだ。


「もぅ、じゃない。今の時代ヘビを好きな人はこの国には少ないのだよ。まあいい、逃げ出さないようにだけしなさいよ!」

「は〜ぃ……」


 エンデルはしょんぼりと返事をした。

 うむ、少し強く言いすぎたかな? でも仕方がない。寝ている隙に逃げ出して、カプっと噛まれでもしたら大変だからな。


 というわけで、風呂に入りサッパリとして部屋に戻ると、まだ3人でお話中だった。先ほどはまた手紙も書いていたし、順調に向こうの世界と連絡が取れたようだ。うん、良かったな。


「まだ寝ないのか?」

「はい、まだ寝るには早いので、色々とみんなで勉強中なのです。こちらの言葉とか、電気を使う道具のこととか」

「ふーんそうか……じゃあ俺も協力しようじゃないか」


 どうやら色々と勉強もしているようだ。

 ふむ、向上心があるね。近頃の若者にもその向上心を分けてあげたいよ。

 俺はバスタオルで頭を拭きながらテーブルの端に邪魔にならないように陣取る。

 うんうん、と、目を細めながらみんなの様子を窺っていると、


「なあアキオ兄ちゃん。ちょっと頼みがあるんだけど……」


 ピノが改まった感じでそういってくる。


「ん? どうしたピノ?」

「あのさぁ、この前食べた『はんばぅが〜』とかいう食べ物、明日買ってきてくれよ」

「なに? また食べたくなったのか? ならまた食いに行くか?」

「うん! あ、それはそれで連れ行ってくれれば嬉しいけど、今回は買ってきて欲しいんだ……」


 ピノは連れて行こうかと言った途端、ペカっと嬉しそうな顔をしたが、どうも今回はテイクアウトしてきて欲しいという事だ。


「まあ、買ってくるのはいいが、夜食にでも食うのか?」

「いや、プノの奴がさ、あ、妹のプノーザね。そのプノがカンカンに怒っているんだよ……」

「は? なんで怒るんだ? 手紙になんか変なこと書いたのか?」

「いや、こっちの世界は凄いぞ! 『はんばぅがー』は、どえらい美味かった! プノもこっちに来なよ! と書いたら、『プノがどれだけ心配したと思っているなのなの〜! 姉妹の縁をブッタ切るなの〜っ!』ってね。それはもうお冠の様子がハッキリと伝わって来る筆跡だったよ」

「当たり前だ……」


 俺はプノーザというピノの妹の顔を見たこともないが、なんとなくその情景が脳裏に浮かぶ。

 何も知らない向こうの世界にいる妹に向かってなんと配慮の足りない手紙を送るのだろうか。きっと妹のプノは、突然消えてしまったピノや、師匠のエンデル、それに姫さんのことを心の底から心配していたことだろうことは、容易に想像できる。

 それも血を分けた肉親である姉と、親代わりでもあるエンデルがいなくなり独りボッチなのだ。眠れぬ日々を過ごしていたのだろうと。


「まさか、エンデルにもそういった内容の手紙が来たのか?」

「はい! 『死ね!』と一言記された便箋が入っていました。悪戯好きのプノーザらしいですね。あははは!」

「笑い事か? それはたぶん悪戯じゃないと思うぞ……お前の書いた内容は聞かないでおくよ……だいたい想像できる。不憫なプノだな……」


 顔も知らぬプノーザという子が不憫でしょうがないく思えてきた。

 きっと『こっちの世界はご飯が美味しいです! そして亜紀雄さんという方と結婚することにしました! 師匠は幸せです! 探さないでください!』みたいなこと書いたに違いない……プノの心中を察するよ……。


「なるほど、それで謝罪の意味も込めてハンバーガーを食べてもらおうってか?」

「まあ、簡単に言えばそういうことだよ」

「簡単でもないと思うけどな……まあ分かった。明日帰りに買って来てやるよ」


 仕方がない。そのくらいのことはしてあげるよ。


「おお、助かるよアキオ兄ちゃん!」


 ピノは嬉しそうに俺の頭をパシパシと叩く。こら、あまり頭を叩くな。風呂上がりのボリュームの少ない頭には刺激が強いんだぞ!


「んんん? アキオ兄ちゃん。ずいぶん頭が寂しいな? 地肌が見え見えだぞ?」

「ぐっ……さ、寂しい言うな!! これでも気にしているんだ。気軽に心を抉らないでくれ!」

「なんだ気にしているのかい? 頭が禿げてたって別に師匠は気にしないと思うぞ。ねえ師匠」

「ハゲていてもアキオさんはアキオさんです、私はハゲを気にしたりなどいたしません!」

「うぷぷっ、ハゲですか」

「おい! みんなしてハゲハゲ言うな! 今は頭が濡れてるから若干少なく感じるだけだ!」


 若干だよ若干、けしてハゲてなどいないんだ! けして……。

 く、くそう……姫さんなんか笑いが漏れてるぞ、まったく無神経な異世界人達だな……。

 異世界ではハゲが至極当たり前の世界なのかもしれないが、現代日本での若ハゲは、心にいいしれぬプレッシャーが生まれるんだぞ! シャンプーや育毛剤に気を使うんだ。ハゲとディスられて傷つかない人は少ないのだよ。


「なんだよ、そんなに気にしているのかい? ──あ、そうだ! いいものがあったよ!」

「ん?」


 何を思いだしたのか、チョット待ってなよ、と言いながら部屋を出てゆくピノ。

 どうやら隣の自分の部屋に何かを取りにいったようだ。

 そんなに時間もかからず戻って来たピノ。


「お待たせアキオ兄ちゃん。ジャジャーーーーン!!」

「……」


 そんなことを言いながら部屋に入って来るピノの手には、見るからに怪しい色合いの液体が揺れる、小さな瓶らしき物が握られていたのだった。



 はたしてその内容物は何なのか……嫌な予感しかしない……。

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