第39話 不能者扱いされる

 【草むしり隊 3日目】


 水曜日。

 早朝、亜紀雄が出社するのを見送ったエンデルは、その後洗濯をし、テレビから流れる、よく理解できない言葉をBGMにし、昨日洗った洗濯物をたたみ、ワイシャツにアイロンがけを済ます。それから朝食の準備をしてピノとエル姫を起こすのが日課になりつつある。

 月曜の初日こそ亜紀雄が家を出るのも気が付けずに眠っており、新妻としての心構えのなさに忸怩たる思いのエンデルだった。こんなことではいけない、妻として亜紀雄の役にたたなければ、そのうちこの家を追い出されるかもしれない。と、自分を叱咤したのである。

 それからというもの、新妻らしく亜紀雄のいない間も家のことをせっせとこなすエンデルだった。


 ともあれエンデル達は、連日コーポ柊の敷地の草むしりを行っている。

 無駄に広い庭先だったが、ようやく終わりも見えてきてきた。ムカデや蛇も時折出没し、エル姫の臆病なまでの心臓を凍らせていたが、エンデルとピノーザの田舎育ちの闊達さで、そんな虫やにょろにょろなど難なく撃退したのだった。


「おー師匠! この蛇は良い薬になるかもしれないね。毒があるよ毒が」


 ピノは左手の軍手を外し、その手を囮にして右手でいとも簡単にマムシの首を摘まみ捕獲したのだ。まるで手際はヘビ捕獲名人の域に達していた。向こうの世界では素材集めとしてヘビを捕獲するのは当たり前の日常なので、毒があろうが気にしないのである。自分より大きなヘビ以外なら難なく捕まえることができる。

 ちなみにマムシはピット器官という赤外線感知器官があり、温度で獲物を認識するのである。それをうまく利用した捕獲方法なのだ。


「おおーいいですね! そのヘビなら何か滋養強壮に良いものができそうですね? アキオさんの為に何か調合しましょうか」


 エンデルは仕事で毎日疲れて帰って来る亜紀雄へ、そのマムシで何か良い薬のようなものを作れそうでウキウキとする。


「ほら、姫様もどうだい?」

「わきゃあああっ!! 近付けないでくださいましっ! わたくし爬虫類系が苦手なのです~特に長くて足のないニョロニョロはご勘弁ください〜」

「あははは! ヘビどころか虫もダメじゃないか姫様は〜あははは!」


 捕獲したマムシをエル姫の顔の前に持ってゆくと、飛び跳ねて怯え、ガクブルと震える。

 悪戯っ子なピノーザだった。

 ちなみに筋肉痛は湿布でかなり痛みが引いたようである。


 大家の日向に何か入れ物が無いかと訊きに行くと、日向もこの世の終わりのような顔で、腰を抜かすほど驚いていた。この現代でヘビが好きな女性は、たぶん少ないだろうから当然である。

 口の広いペットボトルが物置にあったので、その中にヘビを突っ込み、水を七分目ほど入れて蓋をした。蓋には空気穴を開けるのも忘れない。どうやらヘビの体内から不純物を排出させる目的らしい。

 とまあ、こんな一幕もあり、草むしりを続行するのだった。


「なあ、師匠~本当にあのアキオ兄ちゃんと結婚するのか?」

「そうですエンデル様。わたくしもおおいに気になっていたのです」


 草むしりをしながら二人はそんなことをエンデルに訊いてくる。


「えっ? 駄目ですか?」

「いや、ダメとかそういう話じゃなくてさ。言ってみれば異世界人だよ? 何かと文化も違うし、魔法もない世界で師匠がやって行けると思えないんだけど? それに、まだあのアキオ兄ちゃんをあたしは全面的に信用しちゃいないからね。その内奴隷商とかに身を売り飛ばされるかもしれないよ」

「そうですよエンデル様。この世界は非常に発展した世界のようですから、私達異世界から来た人は物珍しく、見世物として高く売れるかもしれません」


 二人はそんな懸念を切々と語る。

 そんな人身売買的なものは、発展途上国か戦乱の只中にある国ぐらいにしかなく、この日本にありはしないという事実など、知る由もない異世界人である。


「もぅ~アキオさんはそんなことしないですよ~あはははっ!」

「はあ、相変わらず能天気だな、師匠は……」


 師匠の能天気さに呆れてしまうピノーザ。

 他人を信用するのはいいが、この世界の事を何も知らない内から、よくもまあそうお気楽に考えられるものだと嘆息してしまう。異世界の、いや、どこでもそうだが、そう簡単に人を信用してはいけない。人を騙す悪い奴ほど最初は優しく接してくるものである。そんな教訓があるピノは切にそう思うのだった。

 確かに亜紀雄も大家の日向も異世界から突然現れた三人に親切に接してくれている。こうしてこの世界に来て何の苦労もなく生活できている面に関して感謝はしているが、しかし、それが全面的に信用できることかといえば、まだまだ時間的にも人間的にも理解しあえていない。そんな信頼関係も構築できてないうちからは、こちらも全面的に信用するわけにはいかないのだ。危険極まりない。若しかしたらある日突然本性を現し、奴隷商に身を売られることだって考えなければならない。そうなってからでは遅いのである。

 ここは慎重に見極めるべきだ。そう考えているのである。


「時にエンデル様とアキオ様は、どのように寝ていらっしゃるのですか? まさか同じベッドで寝ているとは言いませんよね?」

「はい、一緒に寝ていますよ。それが何か?」

「へっ!? ほ、ほんとうですか?」

「ええ、夫婦ですから当然です!」

「な、ななな、ま、マジかよ師匠!」


 二人は当然のように一緒に寝ているというエンデルの言葉に唖然とする。


「と、とっとととと、ということは……も、ももおもも、もう既に……」

「はぃ??」

「も、もう夜の営みはお済に……」

「夜の営み?」


 エル姫は顔を赤らめながら興味津々といった体で訊いてくるが、等のエンデルはさっぱり理解できていないようである。


「子作りの事だよ、師匠」


 それを傍で面白そうに聞いていたピノーザが単刀直入に言う。


「はあ、そうですね。大好きな人と一緒に寝ていると、神様がいずれ子供を授けてくれるのでしたね。それは楽しみです!」

「「……」」


 ──どこの子供向けの物語の話だよ‼


 二人は顔を見合わせてそんなことを思う。

 今時成人していれば、誰でも知ってそうなことをエンデルは知らない。それが信じられない二人だった。


「ちょ、ちょっと師匠、てことは、子作りはしてないのかい?」

「一緒に寝ていらっしゃって夜伽をしないのですか?」

「はぃ? 子作りとか夜伽とか、なんですか?」

「あのさ、アキオ兄ちゃんと師匠は……一緒に寝てて……あのう、何もしないの??」

「なにもしないと言うと?」

「あのあのあの、抱き合ったり、そのあの……を、致したり……」

「??」


 二人はどう説明していいのか、戸惑いながら訊くが、エンデルには一向に伝わらない。


「アキオさんとは一緒に寝ているだけですよ? 私は抱き付いて寝ようとしても、アキオさんは私に背中を向けて寝るのですよ。だから、アキオさんが眠った後に、抱き付いて寝ています。これで神様も子宝を授けてくれますよね?」

「「……」」


 やはり何もしていないようだ。


「いつ子宝が授かるのですかね、ほんとうに楽しみです!」

「「……」」


 キラキラと瞳を輝かせるエンデルを、二人はげんなりとした瞳で見詰めるのだった。

 エンデルは天然というよりも、そういう事は全く知らなそうな素振りである。初心うぶを通り越し、どこか抜けているように思えてしまう。

 そんなキラキラ、ウキウキとしながら草をむしっているエンデルをよそにピノとエル姫は小声で相談する。


(ピノ様、これはちゃんとした事をお教えした方が良いのではないですか?)

(うーん、あたしもここまで何も知らないとは思いもしなかったよ……確かに男性との交際はしたことがなかったようだけど……男と女の関係が無知なこと……魔法の事ばかりしていた付けだねこれは……)

(では、性教育を……誰がいたしましょう? わたくしは概念こそ教育を受けておりますが、残念ながら実地経験はありません……ピノ様は……?)

(そりゃあたしだってないよ! これでも成人したばかりだよ? 修行の方が忙しくてそれどころじゃないよ……)


 ヒソヒソと頬を赤らめながらそんな話をする二人。


(では、ヒナたん様にお願い致しましょうか? あの方なら経験もおありでしょう?)

(うーん……あ、ちょっと待てよ。あのアキオ兄ちゃんが、一緒に寝ていても手を出さないとなれば、これは何か問題を抱えているとかか?)

(問題ですか? 意外とそちら方面は紳士な方なのかもしれませんね)

(どこの賢者だよ! 女と一つのベッドで寝て手を出さないのは紳士とかいう問題じゃないよ! きっとあっちの方が不能とかじゃないのかな?)

(そ、そうですよね……あんなにアキオ様にご執心のエンデル様に手を出したところで、何の問題もないでしょうから、それなりに不能なのかもしれませんね)


 勝手に不能者扱いされる亜紀雄だった。


(でもこれは言ってみれば安心材料だよ。まだ帰れないと決まったわけじゃないし、師匠だって未練を残さないで済むんじゃないかな?)

(ええと、いっそこのまま黙って置こうという事ですか?)

(そうだよ、アキオ兄ちゃんが賢者でも不能者でもどっちでもいいよ。このまま何もしてくれなかったら、子供だってできないから、いざ帰るとなっても決別が楽じゃない?)

(そうですね……でも、エンデル様が少し可哀想な気がいたしますけど……)

(いんだって、どうせアキオ兄ちゃんにちょっと親切にされたぐらいで、恋愛経験も皆無な師匠は、好きになってしまったと勘違いしているんだよ。師匠には帰ってからじっくりと教育してやるよ)

(そうでしょうか……?)

(まあ、一応アキオ兄ちゃんが不能者かどうかの確認はしておくに限るな。間違いがあって師匠が襲われてしまう前に……)


 向こうの世界へ帰れる可能性を捨ててない以上、師匠にこの世界へ未練を残させたくはない。そう案ずるピノだった。


「なにをコソコソ話しているのです? 私が襲われる……そう聞こえてきたのですが……誰にですか?」


 ひそひそ話す二人に不審に思ったエンデル。


「いや、なんでもないよ。早く子供が授かれればいいね」

「はい、わたくしも神に祈りを捧げましょう」

「なんと、みんなもそう願っているのですね。ありがとうございます!」



 満面の笑顔で幸せそうなエンデルに子宝が授かるのはいつの日だろうか。



 ◇



「え、え、え、え~っくっゅうん!! え~い、このやろう!!」


 なんだ? いきなり鼻がムズムズしやがる。誰か俺の噂でもしているのか? なわけないか……。


「先輩、風邪っすか? 毎晩裸で寝てるからじゃないっすか? 羨ましいっすねぇ~僕にも分けて下さいっすよ!」


 俺のくしゃみを聞きつけパーテーションの上部から顔を覗かせてそう言う後輩の山本君。


「うるせえ、裸で寝てるわけねえだろ! まだ結婚もしてないのに手を出すわけないだろ!」

「なんすかそれ? 彼女と同棲してるんすよね?」

「同棲……なのかな?」


 まあ同棲といえば同棲かな? いや、勝手に転がり込んで来たから、飼っている。いやいやいや野良犬や猫じゃあるまいし。まあ同棲でいいか。


「据え膳食わぬは男のなんたらというじゃないっすか? 先輩以外に古くて硬派な男なんスね」

「ああ、俺は硬派だよ、賢者モードバリバリだよ!」

「今どきはやらないっすよ、そんなの……」

「うっせー! 流行り廃れじゃないんだ! 色々とお互い難しいんだよ! はいはい、そんな無駄話してないで手を動かせよ! このまま社畜でいいのか?」

「もしかしてEDすか?」

「うるせーっ! 人を不能者扱いするな! 正常だよ正常! 毎朝痛いぐらいにギンギンにテント張るよ!」


 ここ最近は抱き枕があるので余計だよ!


「無駄話はいいから仕事しろっ!!」

「へーぃ、分かったっすよ~。あ、でも、マジでいい子いたら紹介してくださいっす。そうすれば僕も先輩みたいに頑張れるかもっす!」

「うるへー、他力本願すなっ! 最初から頑張れよ!」

「へ~ぃ……」


 後輩山本君は渋い顔でパーテーションの奥に沈んでいった。


 まったく。何が据え膳食わぬは……だ。おまけにEDだと? まったく失礼な奴だ!

 俺もエンデルがこの世界の子だったら遠慮なく速攻頂いているかもしれないよ。だって、エンデルは異世界の住人だぞ? いずれは向こうの世界に帰ってしまうのだ。

 後輩山本君が考えるような、そんな簡単な事じゃないだろうに……。


 鼻のムズムズもおさまった俺は、また一生懸命モニターを睨み、性欲を紛らわすかのようにキーボードをしきりに叩くのだった。



 今日も早く帰るぞーっ! おーう!

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