『日照の魔女 2』
空が暗雲に覆われるようになって、長い時間が経つ。
少なくとも、ロディは生まれてこの方、数えるほどしか雲間から覗く太陽の光を見たことがなかった。
それは、この戦場にあっても変わらない。
戦闘用バイクが疾走する、この闇に包まれた密林。
計器に表示されている時刻は、昼を指している。つまり、今はまだ昼間なのだ。
この世界において、陽が射すという事象には特別な意味がある。
それは一つの奇跡である。
暗雲に覆われていることが日常である世界では、日照とは信仰の対象になるほどの、奇跡的な現象なのだ。
だからこそ。
ロディは背中の重みを思う。
分厚い戦闘服が遮り、彼女のぬくもりを感じない。
だが、少女はしっかりとロディの背中を抱き、戦闘用バイクWR-07の後ろに跨っている。
彼女が、『日照の魔女』。
この呼び名が真実なのであれば、人類が直面している現状を、変えうる可能性を持つ存在と言える。
「なあ、ジュリエット」
戦闘用バイクの走行音。
そして、上空からはいつしかローター音が遠ざかり、消えていく。
バイクは木々の合間を縫って走り、タイヤが枝や草木を踏み潰していく。
喧騒と言っていい状況の中で、ロディは聞こえない可能性を考えつつ、それでも言葉を紡ぐ。
「お前、本当に日照の魔女なのか? だとしたら、もしそうだとしたら……それって、一体……」
「あ……」
少女が口を開き、何かを答えかけた。
その瞬間、言葉を遮るような、断続的な射撃音が木々の合間を穿つ。
それは、密林の空から叩きつけられてくる、弾丸の雨であった。
ロディは即座に、それが何者の仕業であるのかを理解する。
「やべえ、ヘリめ、俺たちを追い続けてやがった! だが、ローター音は聞こえなかったはず……」
横目に、Dミラーを確認する。
それは、通常のサイドミラーと暗視カメラが捉えた映像を映し出す小型ディスプレイという、二つの性能を有するガジェットだ。
映し出されるのは、ローターを回転させながらもその音を消し、滑るように空を飛ぶヘリの姿。
(新型……!)
ロディは戦慄した。
共和国は、いつの間にそんなものを開発していたのか。
ローター音をさせずに空を飛ぶヘリなど、レーダーが使えぬこの世界にあっては、不可視の怪物ではないか。
これを、部隊に近づけてはならない。
同時に、これの存在を、部隊に知らせなければならない。
生存への思いを強めたロディは、今まで使用を封じていた通信装置を起動した。
ごく近い範囲にしか届かないこれは、しかし、戦場において唯一有効な通信手段なのである。
「応えてくれ。こちらWR-07アバドン1。共和国の新型ヘリと遭遇。応答を願う」
通信機の向こうは、砂嵐が吹き荒れる音。
石英濃度が濃いのだ。
天然のチャフであり、電波妨害装置となる大気は、湿度を含んでじっとりと重くのしかかってくる。
それでも、ロディは諦めるわけにはいかない。
敵の新型の情報と、そして日照の魔女。
二つの重要な情報を、手にしているのだ。
「こちらWR-07アバドン1。応答を! 応答を願う!」
通信は傍受されているだろう。
返答するように、上空からは再び、銃弾の雨が降り注ぐ。
側面の木々が穿たれて砕け散り、前方で葉を茂らせた若木が、幹の根本から砕かれて眼前に舞い上がってくる。
ちょうど、進路直上。
このまま行けば、落下してくる若木とぶつかってしまう。
「ジュリエット!! ちょっと荒い運転になる! 今よりもっと、ぎゅっと掴まってろ!」
「……!?」
少女の戸惑う空気が伝わってくる。
今ですら、ロディの腰に手を回してしがみついている体勢なのだ。
今以上にしっかりと掴まらねばならない状況とは……?
「俺を信じろ。お前を死なせない事が、俺の仕事だ。それから……俺も死ぬ気はねえ」
「……ん」
少女の手に、力が篭った。
ロディはそれを確認しつつ、戦闘用バイクのスロットルを強く握り込んだ。
親指下部のスイッチを押しながら、ハンドルを引き出す。
そして、引き出されたハンドルは竜頭のように、走行時とは異なるギヤと噛み合った。
「WR-07、スタンディング」
変形シークエンスを呟く。
バイクが、疾走しながら、後部装甲を展開した。
それは、後部車輪と一体化した脚部である。
これが強く地面を蹴り、WR-07は空中へと跳び上がった。
前輪もまた展開し、もう一つの脚部となる。
叩きつけられてくる、弾丸で砕かれた若木を、前輪のついた脚が踏みつけ、足場とした。
座席を背中とするように、車体前面が起き上がる。
「お返しだ……!」
ロディは、ハンドルを引き起こし、変形させた。
ちょうど、操縦桿のような状態になる。
彼の操作に従い、WR-07は装甲内部に格納されていた内蔵火器……小型ガトリングガンを展開した。
戦闘用バイクが反転しながら、上空のヘリに向かって銃弾を浴びせかける。
黒い装甲が、あちこちで火花を散らした。
ヘリが射撃を嫌がってか、軌道を僅かに変える。
「よしっ」
ロディはこの隙に、WR-07を木々の合間に潜り込ませた。
速度こそバイクモードよりも劣るが、ヒューマノイド形態になったWR-07は、大変小回りが効く。
外見は、操縦者を背負った、人型のマシンである。
背中側には操縦者がむき出しになっており、この外見から、
今は、ベルトでつながれた少女の足が、空中に投げ出されている状態だった。
ようやく少女も、ロディが強く掴まれと言った理由を理解する。
「あのヘリ、恐らくこいつの熱量を感知しておいかけて来やがったんだ。だとすれば、WR-07を止めないと撒けないってことか……? 冗談」
暗闇に包まれた森の戦場で、VSVを放棄することは死を意味する。
戦いばかりではなく、森という環境が人間を殺すことだってありえるのだ。今は静かな森でも、ここには暗闇に順応した、危険な獣が住み着いている。
人間がVSVという武器を持たずに通るには、危険すぎる環境と言える。
増してや、今、ロディは日照の魔女という同行者を連れている。
「少しずつ動くぞ。落ちないとは思うが……っと。タラップを展開させとく。そこに足を乗っけててくれ」
ようやく、ロディは少女の足がぶらついていることに気付いたようだ。
踵でもって、足場に収納されているタラップを展開する。
足の踏み場を得た少女が、安堵したかのようにため息をついた。
「悪いな、もうちょっと頑張っててくれ。ここから少しでも隊に近づければ……」
変形したWR-07は、上方から見た投影面積が著しく小さくなる。
そのため、森林をジグザグに動き回る、などの移動には適しているのだ。
走行速度こそ劣るものの、木々の合間を縫って走ることで、空を飛ぶ敵からの射撃を容易にさせない。
それこそが、ヒューマノイド形態の強みでもある。
脚部に装着された車輪をローラーのように使うことで、平坦な足場が続けば速度をあげて走る。倒木や張り出した根などが増えて来れば、足として用いてそれを跨ぎ超えていくわけだ。
ヘリは相変わらず頭上にいるようだ。
ローター音は聞こえなかったが、そいつが完全な無音ではないことに、ロディは気付いていた。
何か、甲高い風切音のような音が漏れ聞こえている。
念のため、録音も開始した。
「早く気付いてくれよ、みんな……! 近くにいないなんてのは勘弁してくれ……!」
天にも祈る気持ちのロディ。
少女の息遣いを背中で聞きながら、時に素早く、時に慎重に森の中を抜けていく。
向かっている方角が、第二機甲中隊の居所なのかどうか、正直に言って自信はない。
森はそれ単体で、弱い磁気を放っており、VSVに搭載された方位磁針を狂わせる。
それが故に、部隊に所属するVSVの方位磁針は、システムを切り替えることで、最も近い友軍機を指し示す機能を有していた。
まだ、WR-07の磁針に変化はない。
……いや。
「おっ、反応……」
「んっ……!!」
目線を磁針へと落としたロディの背中を、少女が強く叩いた。
「おい、叩くな! なんっ……」
目線を上げた先で、唐突に森が途切れた。
そこは、崖だ。
森を抜けても、月も、星一つ見えぬ暗雲の空。いや、今は昼だっただろうか。
視界のずっと先には、森、森、森……そして……空を映し出す、黒い海。
オォォ────ン……
高く、低く、重い音が聞こえた。
目の前には、巨大な漆黒の機体。
あのヘリだ。
この、音はなんだ。
ホバリングしたヘリが、後部を展開させていく。
剥き出しになったのは、発射口か。
ただ一発、装填されているのは……。
「ロケット弾だと!? なんてものを搭載してやがるんだ!!」
咄嗟にガトリングガンを構えるが、まさにヘリの前のWR-07は、巨象の前で鎌を振り上げる蟷螂の如し。
ロディは思わず唾を飲み込もうとし、、口の中がからからに乾いている事に気づく。
「へへっ……やってやろうじゃないか。来いよ、化物!!」
もはや、声を潜める必要もない。
恐怖に萎えようとする心を焚き付けるべく、ロディは叫びと共に、WR-07のガトリングガンを構えた。
「……よ」
その時である。
掠れた声が聞こえた。
どこから発された声なのか。
ロディは即座に気づく。
これは、背負った少女の声だ。
「光が……降ってくる、よ……!」
言葉は、はっきりと発された。
何も言わなかった少女が、今は目を見開き、空を仰いでいる。
頭から被っていた布はいつしか飛ばされ、特徴的な彼女の髪色が顕になっている。
それは、どこまでも鮮烈な、青い色彩。
同時に、少女が見上げる空に異変が生じようとしていた。
『…………!?』
ロケット弾を放とうとしていたヘリに、逡巡する気配がある。
ヘリもまた、空に起こった異変に気付いたのだ。
永遠に空を覆うかと思われた暗雲に、ゆっくりと縱橫に亀裂が入っていく。
雲の亀裂が交わる所。
それが、ある瞬間、ぱっくりと裂けたように見えた。
降り注ぐのは、見るものの目を灼くかと思われるほどの、鮮烈な輝き。
「
暗雲を切り裂き、天から降り注ぐ光は、そう呼ばれていた。
そう、これは、紛うことなき太陽の輝き。
ヘリは完全に攻撃態勢を緩め、降り注ぐ日差しをじっと注視する。
そこで、今まで砂嵐のような雑音を放つばかりだった通信機器が、目を覚ましたようだ。
『よくぞ我慢した、ひよっ子! お陰でパーティに間に合ったぜ!』
雑音を突き破って響く胴間声。
酒やけした男の声が、今は心強く響く。
言葉に合わせるように、ヘリの後方にある森から大きな影が起き上がった。
タンクモードから、ヒューマノイドモードに変形した
両腕が構えているのは、120mm滑空砲。
飛翔するヘリに当てることは困難でも、低空でホバリングする対象であれば話は別だ。
ヘリは慌てたように、頭を巡らせた。
『遅え!!』
叫びと共に、ライガーⅠの砲塔が火を吹いた。
ヘリの側面に、砲弾が直撃。
爆炎が上がる。
それは発射しようとしていたロケット弾に飛び火し、さらなる爆発を誘う。
炎に包まれたヘリは、だが、落下することは無かった。
不意に、回転を続けていたローターが音を取り戻す。
激しいローター音だ。
炎に包まれながら、ヘリが、上昇していく。
『ちぃっ! 次弾装填だ! もう一発……!』
追い打ちの戦車砲を放とうとしていたライガーⅠ。
だが、そこに牽制のように上空から機銃が放たれる。
ヘリの火器管制は生きているのだ。
「戦車砲の直撃を食らって、飛ぶのか……!? なんて化物だよ……!」
ロディは畏怖とともに呟く。
だが、ヘリに継戦の意思は無いようだった。
この黒い悪魔は、ゆっくりと戦場を睥睨した後、降り注ぐ一条の陽光に頭を向け、しばし留まった。
やがて、機体は空高く飛翔しながら遠ざかっていく。
「助かった……」
ロディは大きくため息をついた。
そのため息は、背後の少女の吐息と重なった。
「光が……消えるよ……」
小さなつぶやきが聞こえる。
ロディは、降り注ぐ聖なる槍を見やる。
光の槍は徐々にその幅を狭め、天に開いた孔もまた、暗雲の中に儚く消えていく。
「”日照の魔女”、か」
今更ながらに、ロディは背負ったものの重みを実感するのだった。
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