自由って何?答えは簡単な気がするけど

自分は最近、「ああ、俺は随分と自由奔放な人間だな」と思う節があります。

周りがなんといおうと絶対に就職はしないし、稼ごうともしないし、面白い事をやろうと言われてもやらない。でもいわゆる、ワンピースのルフィみたいなぶっ飛んだキャラでないことは確かなのです。むしろ真逆です。だけど、自由奔放だなあ、と思います。時折、「自由に生きる」みたいな文言を見かけることがあるのですが、自由ってなんでしょう。


「縛られていない」と感じたら、それは自由なんじゃないでしょうか。

私は、確かに家族の世話が大変だったりしますが、それに「縛られないように」絶妙なバランスを保ちながら生活しています。時に引き、時に押し。住まわせてもらう代わりに、経済的またその他の援助を行う。職場でも、時に攻め、時に守り。たくさん連休をもらう代わりに、人が足りないときは連勤する。常に全力勝負、ということは絶対にしません(というか、体力的にできないんですけど)。ちょっと遊びたくなったときは、先輩に声をかけて「ちょいと、大阪でも行きませんか」とささやいてみて、のってくれたらやっほーい、と大阪へ行く。僕は先輩の愚痴を聞き、先輩は日程や段取りを汲んでくださる。私はできる限りそれに協力する。それも、お互い無理がない。時にはそんな延長線上で、海外に行った事さえあります。


つまり、お互いが得をするように常に行動している。転じて、自分は何にも縛られずにそこそこの生活ができる、というネットワークを構築しています。生物の世界では「共生」といいます。ですが、これは決して「自分の才能」ではありません。お互いが得をするように、ということは、相手の福祉を考えるという事です。相手のために何ができるか、ということを考えていれば、それが愚痴を聞くことなのか、一緒に時間を過ごすことなのか、酒を飲み交わすことなのか、一緒に運動する事なのか、奮発して働いたり家計を助けたりするのか、わかってきます。それで、行動に移します。相手のことを一生懸命に考えて動いていれば、自然と相手も自分のために動いてくれます。そこで動いてくれない人は、あまり仲良くなれない人なので、ほどほどの付き合いにする、という感じで「距離感」を決めていきます。


こうすると、あら不思議。

「自分のために動いてくれる人」が周囲にいると同時に、「相手のためになっている人」に自分もなっている、という、昆虫世界も関心する共存関係が作れてしまいます。しかもお互い気を張りすぎることのない、自然な関係で。僕はこの状況を、「自由」と名付けているんですが、どうでしょう、良い感じのネーミングになっているのではないでしょうか?


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