わからないから、調べる。

これは、私にしては珍しく承認欲求が満たされたいがための妄想ではなく、「現実」のお話。

私には「現代日本の生きづらさの根源に”旧日本軍の存在”があると考え、それを研究している」という裏設定があります。現在、「日本軍と日本兵(一ノ瀬俊也著・講談社現代新書)」を読み進めているところです。


今、パワハラやら自殺やら発達障害への無理解やら、いろいろと問題点はありますが、それらをするのはあくまで「人」であって、人である以上そうした行動に出てしまう背景には必ず理由がある、というのが私の考えです。で、もっと突っ込んで言うと私は諸問題の根源には「教育」があると考えています。学校ですね。


私自身、精神病院で「ASD(自閉症スペクトラム)と言えないこともない」という何とも微妙な診断を受けたことのある人物です(もっとも、このブログっぽいエッセイを書き始めたのも人の間で浮いてしまう事をきっかけに書き始めた)。なぜ、自分が理解されないのだろうか。という疑問から始まったのが、でした。自分の推理はこうだったのです。


人間全てには親がいる

自分の親世代は四十代~六十代

四十代~六十代の人に経験を聞くと、学生時代体罰は当たり前だった、という話をよく聞く

実際に体罰が問題視された学校や会社の存在があったことを知る(日生学園、PL野球部、戸塚ヨットスクール等は極端なケースだが、軍隊的な習わしが残った組織が多くあったことに違いはない)

じゃあ、その親世代の人達を教えた人はいつの時代の人か。=今七十代~既に故人の方

その人たちが子供の頃はいつか=七十年~八十年、もしかするとそれ以上に古い

今から70年以上さかのぼる=1920年代~1940年代をいきたひとたちが親世代を教えた(=親世代を教えた世代)

親世代を教えた世代が生きた時代は戦争の時代だった

軍があった時代を生きていた人々が親世代を教えていたのなら、不合理な精神論や体罰がその教育の中に持ち込まれており、それが代々受け継がれてしまった可能性が高い

精神論主体の日本軍式教育で育った親世代が現代日本の中核を担っていると仮定すると、微細に分かれた発達障害やいじめ、といった現代だからこそ強く問題視される問題が理解できないと考えても不思議ではない


長いですが、こんな感じの推理で「日本軍とはどんな組織だったのか」という疑問にいたり、研究を始めることになるわけです。もちろん全て自分の仮説を基にして調べているので、どこに終着するかはわかりませんが、おおよそ現在は私の想定通りな研究結果になっています。上記の本によれば、日本兵の強さの秘訣の一つとして、「上官への恐怖」と「名誉の戦死が遂げられなかった場合、村八分にされるから帰れない」という感情があったということが挙げられています。この分析は米軍によるものだそうですが、こうした世相の中にあった世代が、親世代を教えていた、と考えると「細かい点に目がいかない」「合理性よりも精神性重視」といった事が蔓延る。それが転じて体罰や恐怖教育、転じてそれがパワハラ、いじめに対する鈍感さ、発達障害など現代だからこそ浮彫になる人間の細かさへの無理解へと繋がっているのではないか、という結論に自分の中で落ち着いています。


もちろん、日本軍の全ての司令官や軍がそうした中にいたというわけではなく、合理的な考えができていた人もいるようです。ただ、全体としてそうした軍に「強い上下関係」があったということは、今の大人たちをひも解くうえで面白い材料になるのではないかと感じているわけです。

それを考えると、「村八分」という兵士の恐怖の根源の一つは恐ろしいものですよね。現代日本にそれに対する考えを一つ提案するとしたら、「人を許す」つまり「寛容である」ということなのかもしれません。他人のミスや失敗した過去を、大目に見ようとすることだけでも、生きづらさを抱えている人への一手になるかもしれません。

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