自分に活気がないということの意味

先日漫画を読んでいたのですがあるシーンで、「仏僧は乱世の時は衆生救済しゅじょうきゅうさいに努めるが天下泰平の時は出番がない、だから出番がないときは世の中がうまく回ってるという事」という台詞があって、はっとしたエッフです。


職場の男の子にも「異端児」と呼ばれたりしている私ですが、とにかく状況を分析したり今後どうなっていくかを推測するのが大好きです。そして、小さい事ではあっても意外とちょっとした「予言」が当たることが多くあります(あそこの人間関係はそのうち破綻する、とか)。もちろんそれはスピリチュアルなものではなくて、事実とデータと経験に基づく洞察力によって導き出されたものです。外れることも当然あります。誰かに相談されたら真剣に助言することもあります。でも、大体はあてにされません。かる~く流されるだけで、おしまいです。それに、自分の中で「今の世の中、なんか楽しくないな」と感じることもあって、身体が戦を求めているのか、安寧を求めてるのかよくわかんなくなることもあります。


私生活に目をやれば、生活習慣は崩れストレスはたまり・・・とろくでもない毎日のように見えて、そこから脱出する為に知恵を使えるし行動もできるのに敢えてやらない、という自分もいます。まるでロールパンナちゃんで、「華やかな世界は私には向かない」と言わんばかりに世捨て人のような生活を送っています。


上述のセリフは戦場が消えていく時代、戦場に生きた武将(主人公)が「武士も戦のある時は戦うが、出番がないときは世の中が平和だという証」と解釈するのですが、私も勝手にこれを自分に当てはめて、自分の知恵や存在をみんながどうでもいいと思うのは、僕自身の問題でもあると同時に、世の中が私のような人と違う目線で世界を見る「異端児」の存在がなくても回っている平和な世の中の何よりの証で、むしろ喜ぶべきことなんだな、という一種の「悟りの境地」に達しました。


だから私がもし「面白い」とか「やる気が出てきた」と思って動き出した時、その時はもしかすると本当の「乱世」の到来なのかもしれません。



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