論破する能力より大事な物
さて今回は「論破に生きた男」エッフのためになる豆知識シリーズです。
「論破」、つまり相手を言いくるめたり、論理的に話して相手を封じ込めてしまう技術というのは、もって生まれたものといいますか、誰にでもできる芸当ではありません。私は子どもの頃から弁が立つ人間で、数々の相手を論破してきました。だからこそわかることというのがあります。それは、論破は最善手ではない、ということです。
「沈黙は金、雄弁は銀」
ということわざはよく言ったもので、黙っていた方が得をするケースというのも実際にあります。例えば縦社会が強い場所では、論理・理性で相手を制するよりもことわざ通り黙っていたり、「媚びを売る」という感情的な手法を用いて上司に取り入り、そこで頭角を現すことの方が実際得になる、ということはないでしょうか?ごまをするのも一つの技術です。「仲良くなってから物申す」という手法を取った方が、長期的に見ると相手とも良好な関係が築けるし、味方に取り込むこともできるしとその場で相手を論破してしまうよりいい場合もあります。
論破は論理で相手を「破る」ので、相手を敵に回す可能性がとても高い。だから、信頼度があってもなくてもリスクの高い戦術なんですね。と、ここにきて「論破しないほうがいい事の方が多い」という主張をしてみたわけですが、お前はどうなんだと。エッフ、お前は論破に生きているじゃないかと思われるかもしれません。確かにそうです。かつて先生を、同級生を、上司を、幾度となく完璧な論理武装で破ってきました。なぜ、「戦略的に非合理的」とわかっているのにお前は論破するんだ、その理由は簡単、「媚びを売るのが嫌だから」ですね。別にそれをしなきゃ生きていけないわけでもないし、嫌いなことを無理にしたくないから、というのをずっと貫いている結果が今のこの有様です。
自分で書いていて、恐ろしく不器用な人間だな、と思います。どこの世界でも「もっとうまくやれる」という絵図は大体描けているけどそれをしないんですよね。そこだけは一本筋通っています。だから、大体の人間に嫌われているか、「話してて面白くないから」っていう感じでこっちから距離を取ってるかして、基本人とかかわらない生活を送っています。歴史を勉強していると、時々私みたいな人間が「やらかしてる」んですが、それを見るのもまた一興、百年後は私が笑われているかもしれませんね。みなさんの周りにもそんな不器用な方がいるかもしれません。むかつくと思いますが、どうか温かい目で見守ってあげてください・・・。
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