「無」の境地

昔は、やれ自分は〇〇のような人物だとか言って自分語りをしていましたが、今となってはもはやそういう機会も少なくなりました。

崩壊している家庭環境、過去のトラウマ、どちらかといえばマイナスな事の多かった「諸事」を潜り抜けた先に私に備わったのは、「無の境地」ともいうべき状態です。


もちろん、エッセイで書いているように身近なバイト先の出来事などでは、持前の短気さが前面に現れて怒ったり恐れを感じたりということもありますが、例えば大災害その他、誰かの死や事件などにも「そのようなこともあろう」といった、悟りの境地みたいな目線で見る自分がいるのですね。すべてはなるようになる、自分はベストを尽くしたと感じることができればそれでよい、と満足することができるようになったといいますか。無の境地の正体は、22歳の私が言うのもなんですが


「妥協と満足(納得)」


なのだろうと推測しています。全員が良い立ち回りができるはずはなく、失敗して当然なので職場でもうまくいかないことはある。だから、ベストを尽くしたうえでルールで守られた範囲より外の動きは取らずに帰る。簡単に言えば割り切り、ですね。これができるようになりつつある今、なんとなく無敵になってきているような気がしています。いかなる敵が襲い掛かってきても動じないような、恐るべき器量が育ってきているような気がします。全て「気がする」だけなんですけどね。そんな私が一番怖いのは、「通り魔」「暴走車」みたいな突然理性なく襲い掛かってくる存在だったりするわけですが、いずれはこれも受け入れられるようになるでしょう。


本で読んだことの受け売りですが、国や金、或いは社会というものは全て「虚構」にすぎません。自分たちがその存在を、価値を認めることで初めて在ることのできるもので、それらが痛みを感じることはありません。対して我々人間は痛みを感じ、悲しみを感じ、怒りを感じ、嬉しさを感じます。これは「現実」です。我々は虚構と現実の入り混じった世界で生きています。多くの人は、虚構に人生を捧げているかもしれません。私は目の前の人が喜ぶことができるか、自分が喜べるか、と人が感じることを指標にして生きている分、「現実」を生きている人間なんでしょう。・・・と、ちょっと哲学的なことを言ってしまいましたが、結論からいうと「元気に生きてます」ということでした。見返して、うわぁ面倒な男だ・・・と思わざるを得ませんでしたが、ちょっと今の思考整理をば・・・という感じの記事です。


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