合理主義
悪くいえばただの面倒臭がりなんですが、私を合理主義者と評する性格診断サイトも存在します(出典元がそれかよというツッコミはなしで)。
かつて自分は、鉄棒の逆上がりとか、棒登りとか、自転車に乗る事とか、プール泳げるようになる事とか、自分が「無駄」だと判断したことはやらないスタンスを貫いてきました。なぜなら「将来使わないから」。今であれば、「特に感動しない写真はフォルダから消す」が主な無駄嫌い行動かな?これはみんなもやるのかもしれないけど。
「大人とは何か」の件で話した点にリンクするものがあるかもしれませんが、親に対する態度とか、支援とかにおいても”大人である事”を求められる私なんですけど、私は常々無駄を省くことを言っていて、たとえば料理が大変であれば「スライサーとか、ジューサーとか、そういうものでかなり手間が省けるよ」と言ったり、「しんどいときはカップラーメンでいいよ」と言ってきました。草刈りをしてくれ、大変だと言われた時には、「除草剤をまけばいいじゃない」的なことを言ってました。で、散々無視されてました。これが、中学生くらいの時の話だったかな。で、どうなったかというとそれから何年も経った今は親が自分で「除草剤をまきたいんだが」とか、「スライサー買ったけど便利だわ」とか言いだして、実際にそうしてるんですよね。結局俺が言った事をやって、それで楽をしてる。やせ我慢なんかせずに、どんどん便利グッズは使っていっていいと思うんですけどね。
ただ、若干後悔があるのは自転車。乗れない事はないんですがふらふらしちゃって乗りこなす事ができない。「使わないからいい」といってろくに練習してなかったからですね。でもバイクに乗りたいかもって思ったときに結構自転車うまく乗れないのは障壁となります。ウーン、無駄嫌いも玉に瑕。
自分を合理主義者と呼んでいいのかはおいといて、歴史上の人物にもそういうのが何人かいて、有能であればどんなものでも使う武田信玄さんとか、死ぬ間際まで時間を無駄に使わずに助言ともいえる遺言を残した大村益次郎さんとかには、うわあすごい人だなぁと思うんですね。今後の私は、「無駄なものは省く」と同時に「無駄でないものはどんどん使っていく」という姿勢も必要なのだろうな、などと常日頃。
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