三杯の茶(昔話)(3600字)

 まだこの世が戦国の動乱の真っ最中だったときのことです。

 ある日それなりに地位も名誉も金もある武将が家来を引き連れて野遊びに出掛けました。青空の下で汗びっしょりになって遊んでいるうちに、武将はすっかり喉が渇いてしまいました。


「あー、喉がカラカラじゃ。何か飲みたいのう」

「では握り飯でも召し上がりますか」

「アホか。そんなもの食ったら余計喉が渇くわ」


 野遊びに出掛けるなら飲料水くらいあらかじめ用意しておくべきなのですが、この武将もその家来もそこまで気の回る性格ではなかったので、お昼の握り飯やおやつの焼き握り飯は用意していても、水やお茶や果汁たっぷりの果物などはまったく用意していませんでした。


「あ~、喉が渇く、喉が渇く、このままでは干乾びて死んでしまう」

「これは困った。さてどうしたものか……やや、あそこに寺があるぞ」


 困った時の神頼み、ならぬ仏頼みとばかりに武将と家来は寺へ押し掛けました。


「頼もう、頼もう」

「何か御用ですか」


 出てきたのは小坊主です。運の悪いことに和尚は法要に出掛け、兄弟子は托鉢に出掛け、寺男は具合が悪くていとまいをしていたので寺には小坊主ひとりしかいませんでした。


「実はかくかくしかじか」

「それは大変ですね。あそこに手水舎がありますから好きなだけ飲んでとっとと帰ってください」


 小坊主のぞんざいな物言いにさすがの家来たちも少々立腹してしまいました。


「これこれ、卑しくもこちらのお方は城持ち領主であるぞ。手水を飲めとは無礼ではないか。せめて茶の一杯くらい出すのが領民としての礼儀であろう」


(ちっ、面倒なやつらだな)


 小坊主は胸の中で舌打ちしました。実はこの小坊主、武将とか領主とか和尚とか高慢ちきな村娘とか、とにかく威張り散らしているやつらが大嫌いだったのです。


「ではそこの城持ち領主さん、本堂へどうぞ」

「えっ、わしひとりだけ? 喉が渇いているのはわしだけではないぞ。茶は家来全員に出してくれ」


(ちっ、調子に乗りやがって)


 とまたも舌打ちする小坊主。忌々しく思いながら武将と家来数十人を本堂へ案内しました。


「おーい、お茶はまだかー、まだかー」


 本堂へ上がった武将は叫び続けています。叫べばますます喉が渇くのにやめようとしません。


「もうしばらくお待ちください」

「早くせぬかー、こののろまー、喉が渇いて死んでしまうー」


(ならさっさと死ねよ)


 と胸の中で毒づきながら湯を沸かす小坊主。しかし数十人分の湯となるとなかなか沸きません。


「早く飲ませろー、グズグズするなー」

「ムカッ! ええい面倒だ」


 度重なる罵倒で頭にきた小坊主。まだぬるま湯の状態であるにもかかわらずヤカンに茶葉をぶち込むと、ドンブリを添えて武将に突き出しました。


「このドンブリで回し飲みしてください」

「おおっ、待ちかねたぞ」


 ドンブリに茶を注ぐやグビグビと喉へ流し込む武将。三杯ほど飲んで満足したのか隣の家来へヤカンとドンブリを渡しました。


「こ、これは」


 一口飲んで驚く家来。お茶の香りも味も色もほとんどありません。ただのぬるま湯です。


(まさかこんなものを出してくるとは。上様は平然としておられるが腹わたが煮えくり返るほど怒っておられるに違いない)


 お茶とは名ばかりのぬるま湯を飲んだ家来は全員恐れおののきました。武将はとても怒りっぽいのです。小坊主に対して叱責が浴びせられるのは時間の問題だと誰もが思いました。

 しかしそれは違っていました。


「あー、これでは足りぬな。おい、もう一杯くれ」


 と意外にもお代わりの催促をしてきたのです。


(ちっ、ドンブリに三杯も飲んでまだ足りねえのかよ)


「それからさっきのはちょっとぬるかった。もう少し熱いのを頼む」


(おまえが急かすから沸かせられなかったんだよ。熱いのが欲しいのなら辛抱して待てよ)


 胸の中で悪態をつく小坊主。もちろん表面上はきっちりと取り繕います。


「かしこまりました」


 そして空になったヤカンに水を注ぎ始めたのですが、ここであることに気づきました。


(そうだ。水の量を少なくすれば早く湯になるじゃん)


 そこで先ほどの半分の量の水をヤカンに入れて沸かし始めました。


「おーい、まだかー、お代わりまだかー」


 武将の催促が始まりました。今度はきちんと熱湯になるまで沸かし続けようと思ったのですが、あまりにも武将がうるさいので小坊主はまたもキレてしまいました。


「ええい面倒だ」


 さっきよりはマシですがまだまだぬるま湯です。それでも構わず茶葉をヤカンにぶち込む小坊主。今回は量が少ないのでドンブリではなく茶碗を添えて出しました。


「どうぞ」

「おう来たか。グビグビ」


 二杯飲んで隣の家来に回す武将。家来は恐る恐る口にしました。今度はなんとなくお茶っぽくなっていますが、それでもクソまずいぬるま湯に変わりありません。


(一度ならず二度までもこのようなものを出すとは。今度こそ上様の雷が落ちるのは必定)


 回し飲みした家来たちは誰もがそう思いました。しかしその予想はまたも外れました。


「んー、まだ物足りぬのう。おい、もう一杯くれ」


 なんとまたもお代わりです。小坊主も家来もあきれてしまいました。


(どんだけ飲むんだ。こいつ牛か)


 どうやら熱いお茶が出るまでは満足できないようです。そこで今度はヤカンにほんのちょっとだけ水を入れて沸かし始めました。本当にほんのちょっとだけだったので催促が来る前に熱々のお湯になりました。


「どうぞ」


 ヤカンに添えたのは盃です。それくらい小さな器でないと全員が飲めないからです。


「ふーふー、おおこれは熱い茶だ。ごくごく」


 今度は一杯飲んだだけで隣の家来に回す武将。ようやくまともなお茶が出てきたので家来も安心しましたが如何せん量が少なすぎます。


(しかも酒器で茶を飲ませるとはなんたる非常識。ここまで無礼を働いたとなると、もはや小坊主の命はあるまい)


 誰もがそう思いました。そして武将はそう思わせる行動に出ました。


「これ小坊主、そこに直れっ!」

「あ、はい」


(来た!)


 ついに武将の断罪が始まるようです。家来全員身を固くして事の成り行きを見守ることにしました。


「おまえは最初に大量のぬるい茶を出した。次にやや熱めの茶を普通の茶碗で出した。最後に熱々の茶を盃で出した。何ゆえにそのような振る舞いをしたのだ。申してみよ」

「ええっと、それは」


 さすがの小坊主も即答はできませんでした。正直に「おまえが急かすからだよ」と答えれば首が飛ぶでしょう。さりとてうまい言い訳も思いつきません。しばらく考えた末にこう答えましょう。


「わたしの口からは言えません。察してください」

「ほほう」


 家来たちは身を固くしました。たかが小坊主風情に「理由はおまえが考えろ」と言われて怒らないはずがありません。今度こそ小坊主の命はない、誰もがそう思いました。しかしそうはなりませんでした。


「ははは。わしを試そうと言うのか。ならば答えてやろう。わしは喉がカラカラだった。茶を出されれば間違いなく一気飲みしてしまう。もしそれが熱々の茶ならば喉は大やけどだ。それを防ぐためにおまえは最初ぬるい茶を出したのだ。そうであろう」

「はい。その通りでございます」


(え~!)


 家来全員があきれ果てました。「どうして自分からそんなこと言っちゃうかなあ」「上様って性善説の信奉者だったっけ」「あの小坊主、絶対にそんなこと思ってないはず」などなど、様々な思いが家来たちの胸中に浮かんでは消えていきました。


「そして二杯目は渇きも収まって一気飲みの心配がなくなったので少し熱めの茶。最後は茶の味を楽しんでもらうために熱々の茶を出した。そうであろう」

「まったくその通りでございます。さすがは城持ち領主様。神の如き慧眼には恐れ入るばかりでございます」

「わっはっは。おまえもなかなかの小坊主ではないか。こんな寺に置いておくのは惜しい。わしの家来になれ」

「えー!」


 今度は家来一同声を出して驚きました。まさか武将がこれほどのお人好しだったとは微塵も思っていなかったのです。


「上様、たかが茶の出し方くらいで人の器量をはかるのは如何なものかと思われます」

「いやいや茶のように有り触れた日常茶飯事なればこそ、その者の真の器がわかるのだ。これは決定だ。口を差し挟むのは許さぬ」

「ははっ!」


 こうして小坊主は寺を出て武士になりました。もともと頭が良かったのでぐんぐん出世し城持ち領主にまでのし上がったのですが、その強運も引き抜いてくれた武将が生きている間だけのこと。武将亡き後は全然ぱっとせず、亡くなった武将に代わってのし上がった実力ナンバーワンの武将に戦いを挑むも味方してくれる者は少なく、また味方してくれた者も真面目に戦わなかったり寝返ったりしたので惨敗し、その結果無残にも首を斬られてしまいました。でも城持ち領主になって結構いい目を見られたので、小坊主のまま終わる一生よりも良かったんじゃないかなあと思います。

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