本当においしいの? 赤のパスタ皿(現代ドラマ)(4800字)


 土曜日の昼、僕は先輩のアパートに向かって歩いていた。食費節約のために土日はいつも先輩と一緒に食事をしている。


 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「今日は何を食べさせてくれるのかな。変なモノじゃなきゃいいけど」


 不安が言葉になって出てしまった。いつもはそれなりに食材を買って行くのだが今日は手ぶらだ。昨日先輩からこんなことを言われたからだ。


「おまえの食器を百均の安物に変身させてしまったお詫びだ。明日の昼は何も持ってくるな。食事の準備もしなくていい。俺がすっごいご馳走を作っておいてやる。腹を空かせて来るがよい。はっはっは」


 どう考えても嫌な予感しかしない。先日の鱒寿司の例もあるし、もしもの時のためにアンパンでも買って行こうかと思ったが、「何も持ってくるな」と釘を刺されてしまっている。何か持って行ったらきっと機嫌を悪くするだろう。


「この前のお詫びだって言っているし、きっと大丈夫なはずさ」


 と自分で自分を納得させて手ぶらで向かうことにしたのだった。


 ――ピンポーン

「おう、来たな。さあ思う存分食え」


 先輩に出迎えられてアパートの部屋に入った僕は棒立ちになった。テーブルに置かれている料理はパスタである。


「なっ、どうしてパスタなんですか。一カ月かけてようやく五キロのパスタを始末したのに。まさか業務スーパーでまた五キロ買ってきたんじゃないでしょうね」

「うむ、そうしたかったのだが賞味期限寸前のパスタは売られていなかった。これは三百グラム百円の普通のパスタである」


 それを聞いてちょっとだけ胸を撫でおろした。なぜちょっとだけかと言うと棒立ちになった理由がまだあるからだ。盛られている皿が赤いのである。言うまでもなくそれは先週まで白かった僕の皿だ。


「で、この赤い皿は何ですか。まさかまた変な塗料を開発したんじゃないでしょうね」

「そのまさかだ。いいカンしているではないか。褒めてやろう」


 こんなことで褒められても全然嬉しくない。やはり「何も持ってくるな」という先輩の言葉は無視してアンパンを買っていくべきだった。しかも前回と違ってすでにパスタは赤い皿に盛られている。食べ物を粗末にできない性格の僕としてはどうあっても食わねばならない。


「今回は間違いなく割れない塗料なんでしょうね。いや、それよりも本当に人畜無害なんでしょうね。食べる前に胃腸薬を飲んでおいたほうがいいかな」

「おいおい、いつまで割れない陶器にこだわっているのだ。今回の塗料はそんな目的のために開発したのではない。これは自動調味料塗料である」


 また変なことを言い出したぞ。研究熱心なのはいいけれど他人を巻き込むのはやめてほしいなあ。


「何ですか、その自動調味料とか言うのは」

「おまえ、ずっと前に塩と砂糖を間違えたことがあっただろう」


 ああ、そう言えばアパートで一緒に食事をするようになった最初の頃、そんなことがあったっけ。


「ありましたね」

「あの時は俺もおまえもマズい料理を無理に食べて気持ち悪くなったよなあ」

「でもあれは先輩が悪いんですよ。『塩』と書いた容器に砂糖を入れていたんですから。僕じゃなくても間違えますよ」

「どっちが悪いとか悪くないとか、そんな話をしているんじゃない!」


 もう、都合が悪くなるとすぐ大きな声を出すんだから。先輩の悪い癖だ。


「味付けは料理にとっての命。少しでもミスをすればせっかくの素材も台無しになる。そこで俺は考えたのだ。わざわざ人間が料理に味を付けなくても、料理を盛られたらその素材を判別し自動的に味を付ける容器ができないものかと」

「そんな容器、作れたんですか」

「いや、作れなかった」


 そりゃそうだろう。どう考えても無理な話だ。莫大な費用をかければできるかもしれないが、それなら普通に人間が味を付けたほうが安価で正確である。


「しかし俺は諦めなかった。そもそも人間の味覚は実に曖昧だ。甘い饅頭を食べた後にミカンを食べると酸っぱく感じるだろう。逆にどんな酸っぱいものでも甘く感じさせるミラクルフルーツという果物もある。黄色いカレーを紫色にしただけで食欲が失せたり、ぐちゃぐちゃな盛り付けだとそれだけでマズく感じる。視覚もまた味覚に多大な影響を与えているのだ。そこで俺は考えた。赤い皿にパスタを盛れば人はトマトを連想し無味のパスタでもトマトソース味を感じるようになるのではないかと。つまり実際に味を付けるのではなく無味を有味であると脳に勘違いさせればよいのだ。俺は研究した。夜も寝ないで昼寝して三度のメシを四度のメシにして研究に没頭した。そしてついに自動調味料塗料を完成させたのだ。舌から伸びる鼓索神経は脳へ行く途中で顔面神経と合流する。舌の神経は他の神経の影響を受けやすい状態にあると言える。この性質を利用したのだ。この塗料から発する特殊な光が網膜に入射すると視神経は異常信号を発生して顔面神経に影響を与え、舌が感じた味覚情報は改変されて本来感知されていない味を脳に伝えるのだ。どうだ、凄いだろう」

「ええ、はい。凄いですね」


 最後のほうはなんだかよくわからなかったので適当に答えておいた。前回の塗料も失敗だったとはいえ凄かったので、きっと今回も凄いのだろう程度の認識である。


「そしてついに夢の塗料は完成した。皿に盛られているのは素パスタだが、この塗料によって五つ星レストラン顔負けのトマトパスタ味に変貌しているはずだ」

「はあ、そうなんですか」

「そうなのだ。さあ食え!」


 先輩がフォークを差し出した。渋々受け取ってパスタを絡ませる。口に入れる。


「うぐっ!」

「どうだ、頬っぺたが落ちそうなくらいウマイだろう」


 マズくはなかった。しかしウマくもなかった。確かに味は付いていたがそれはトマトソースの味ではなかったからだ。


「先輩、これ、イチゴの味がするんですけど」

「イチゴだと。そんなはずはない。おまえのイメージが足りないのだ。トマトだ。トマトをイメージしろ」

「トマトトマトトマト……」


 とつぶやきながら食べてもやはりイチゴ、それもイチゴミルクの甘ったるい味である。とてもパスタには合わない。


「駄目です。トマト味は降臨してくれません」

「馬鹿な。俺にも食わせろ」


 先輩はフォークにパスタを絡ませると自分の口に放り込んだ。両目が空をさ迷っている。


「……おっかしいな。どうしてイチゴなんだ」

「おっかしいな、じゃないですよ。また失敗じゃないですか。どうせ実験とかもしていないんでしょ」

「もちろんしていない。おまえに最初のトマトパスタを味わってほしかったからな」

「別の皿を貸してください。塩でもかけて食べます」

「あいにく俺の皿には俺のパスタが盛られている。もちろん俺のはケチャップで味付けした普通のパスタだ。塗料が失敗して素パスタを食べるようなことになるのは嫌だからな」


 どこまでも自分勝手な先輩だ。まあ今に始まったことではないので別段驚きもしないが。


「仕方がない。別の皿を貸してやろう」


 そう言って先輩が台所から持って来たのは発泡スチロールの容器だった。


「これカップ焼きそばの空き容器じゃないですか。捨ててくださいって言ったのに、どうしてまだ取ってあるんですか」

「こびりついた青ノリの風味がたまらんのだ」


 先輩のゲテモノ趣味は永遠に治りそうにない。もちろんそんな青ノリ容器で食べるのは真っ平御免だ。


「もういいですよ。我慢して食べます」


 とりあえず塩をかけてみる。マズイ。イチゴミルクの甘さが引き立ってしまった。涙目になりながらパスタを口に放り込む。唯一の救いは量が少ないことだ。普段の五分の一ほどしかない。これならなんとか完食できそうだ。


「はあ~、マズかった」

「おっ、食い終わったか。では次のメニューだ」


 僕の隣でウマそうなケチャップパスタを食べていた先輩が食パンを取り出した。食べ終わった赤い皿にのせる。


「何ですか、その食パン」

「口直しだ。食パンならイチゴ味でも美味しく食べられるだろう。まるでショートケーキを味わっているような気分になれるはずだ。さあ食え」


 なるほど、これは名案だ。先輩にしては頭が回るではないか。さっそく赤い皿の食パンをちぎって口に放り込む。


「うぐっ!」

「ははは、ウマすぎて言葉にならないか」


 マズかった。途轍もなくマズかった。生臭くて気持ちが悪くなる。


「これ、マグロの刺身みたいな味がするんですけど」

「馬鹿。どうして赤身の魚肉なんか連想するんだ。イチゴだ。イチゴを連想しろ」

「イチゴイチゴイチゴ……」


 とつぶやきながら食べてもやはりマグロ味の食パンである。先輩も食パンをちぎって食べているが同じようだ。「おっかしいなあ」とつぶやいたまま視線が宙を漂っている。


「いいですよもう。しょう油をかけて食べますから」


 マズさをこらえつつ何とか完食する。すっかり喉が渇いてしまった。


「先輩、お茶、もらえませんか」

「おう、その一言を待っていたんだ」


 僕の隣でイチゴジャムを塗ったトーストを食べていた先輩が湯呑をテーブルに置いた。目を疑った。湯呑が赤く塗られている。


「ゆ、湯呑まで赤くしたんですか!」

「そうだ。前回と同じくおまえの食器には全て塗料を塗らせてもらった。ああ、心配せずともよい。食器に合わせた料理もきちんと用意してある」


 もはや怒る気力すらない。赤い皿が出てきた時点でもしやと思っていたが、やはり予想は当たっていたか。


「これ、お茶ですか。白湯みたいに見えますけど」

「そうだ、白湯だ。ああ、案ずるな。赤い塗料が塗られた湯呑に入れられた白湯はもはや白湯ではない。おそらくホットワインの味がするはずだ。さあ飲め」

「はあ」


 はっきり言って飲みたくはない。台所へ行って蛇口から直接水を飲みたいところではある。しかしどんな味になっているのかという興味もある。思いきって口に含む。


「げほっ!」

「ははは。むせるほどウマいか」

「か、辛い! これトウガラシの味がしますよ」

「トウガラシ? 馬鹿なそんなはずはない」


 先輩も赤い湯呑の白湯を飲む。豪快にむせた後、「おっかしいなあ」と言いながら遠い虚空を見つめている。


「もうやめましょうよ。舌と胃がおかしくなりそうです」

「そうはいかん。おまえのためにたくさんの料理を準備したんだからな。全て食べてもらう」


 そうして先輩は台所へ行くと、たくさんの赤い容器を盆にのせて戻ってきた。


「さあ豪華なランチタイムを盛大に楽しもうではないか」


 * * *


 次の土曜日、僕は新調された食器群を前にしてそれなりに満足していた。


「先週はどうなることかと思ったけど、結果良ければ全て良しだな」


 結局、赤く塗られた僕の食器は全て廃棄された。まともな味付けになった料理がひとつもなかったからだ。ドンブリに盛られた素ラーメンは担々麺にならずにスイカ味のヌードルになり、茶碗に盛られた白飯はチキンライスにならずにアセロラライスになり、小鉢に盛られた白菜はキムチにならずに鉄さび味の漬物になってしまった。これでは満足に食事もできないので先輩はまたも百均で新しい食器を買い揃えてくれたのだ。


「その後、詳しく分析してみたところ、どうやらあの塗料から発する光は、盛られた料理に一番相応しくない味へ味覚情報を変換することが判明した。そのためどれもこれもマズくなってしまったようだ」

「でも味覚を変える光を発する塗料って凄いんじゃないですか。他の使い道があるような気がするんですけど」

「馬鹿者! 素の料理をさらにマズくする光などこの世に存在していいはずがない。あれは悪魔のアイテムだ。よって資料は全て廃棄した。頭の中からも消した。同じ塗料は二度と作れぬ」

「はあ~」


 ため息が出てしまった。天才なのか馬鹿なのか、先輩は本当によくわからない。

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