第12話 選択、そして


今ならわかる。


視界いっぱいの炎と身体に食い込んでくる何か。爆発に巻き込まれたのだ。

爆薬に埋め込まれた金属片が自分の身体を穿ち、炎が舐める。

痛みがひどくて、息をすれば咽喉を焼かれ、呼吸がままならない。


かつて自分が遭遇した経験をこんな形で知るとは思わなかった。

かすれてざらついた音が聞こえてくる。

これが自分の呼吸。すると今までは止まっていたのだろうか。


【再起動完了】


センサーリンクのボディチェックが始まった。

思えば再起動ということは一度システムダウンしたということで。


【身体機能、危険水準まで低下中。以下の障害が疑われます。最優先で状況の改善が必要です。呼吸障害、血圧低下、血液損失】


目を覚ませ、早く覚ましてくれ。血が流れ出て行く、血圧が下がっていく。

これ以上眠っていたら、この寒さが骨まで沁みて死んでしまう。

なんとか瞼を持ちあげた。

光源がほとんどない暗い空間が広がっている。


初めてだ。夢の続きを始めて見る!


身体の下のぐにゃぐにゃしたものに手をついて力をこめると、ずるりと滑った。

かすかな音がして、目のセンサーが暗所対応で視界を切り替える。

ただ真っ暗だった視界は開けた。

うっすらと光がもれる両開きの扉を背にした、暗く狭い空間だったことがわかる。


四方の壁も天井までも二メートルほど。無機質で何もない空間だった。

身体の下へ目をやると、自分の横には誰かが不自然な姿勢で横たえられていた。視界が対応しても、男か女かすらわからない。

あたりを見回すと、自分が何の上に居るのかがやっと見えてきた。

倒れた誰かの上に自分は転がされている。否、その下にも誰かがいるようだ。

誰もがぴくりとも動かない。上にいるのに、呼吸すら感じ取れないほど静かで。

そこにいた全員が血にまみれ、事切れていた。


死に物狂いで扉を殴りつける。

もう血圧だとか血が足りないとかは頭から吹き飛んでいた。

三発殴ったら拳が握れなくなった。肩からぶつかると扉が軋んで少し開く。

その時急制動がかかって、扉の前から後ろの壁に思い切りぶつかった。積み上げられた死体もずるりと滑ってきて、壁との間に挟まれかける。

半狂乱で死体の間から抜けだすと、少しずれた扉の合わせ目で金属音がした。誰かが開けようとしている――開け放たれたと同時に身を投げ出した。

男が何かを構えているのが一瞬見えたが、構わず体当たりして転がり出る。朦朧とする意識と萎えそうになる足を叱咤し跳ね起きて駆けだした。

どこともしれない道を、明るいところを探して。


「起きろナナシ」


誰かの声が聞こえる。

振り返っても誰もいない。遠くで白い何かが動いている。頬を何かがかすめた。

背中から強い衝撃を受けてつんのめる。追って鈍い痛みがやってきて、撃たれたのだと気がついた。皮下装甲のせいで強い痛みを感じないのだろうか。


「撃つぞこの野郎!」


耳のすぐ近くでがきんと音がする。

恐怖が限界を超えて、ナナシは叫びながら目を覚ました。



 高上の指定した待ちあわせの場所へ行く前に、一行は再びエレオノーラの部屋に集まることになった。自室の要塞で一人を満喫したエレオノーラであるが、基本的に食品をレンジで温めるぐらいしかできないため朝食はまだだったらしい。

「はい、スクランブルエッグとポテトサラダだよ。パンもいるかい?」

「貰えると助かるわ、買うのを忘れていたの」

花鈴手作りの朝食をキエロから渡されてエレオノーラが歓声をあげた。コーヒーを淹れながら花鈴が苦笑する。

一番遅い朝食をエレオノーラが摂っている間に、入室してから一言も口をきかないナナシに代わって史狼が話し始めた。以前見たと言う夢の続きの話だ。

それはどう聞いても、彼が花鈴の運転する車の前に飛び出すまでの出来事だった。

「その死体の人達、同僚だったのかい?」

キエロの問いにナナシは思わず咽喉を鳴らした。

死体を確認するような気持ちの余裕などなかった。冷たく固い感触が手に伝わってきて、そのことに途方もない絶望を感じた覚えだけがある。

「……仲間だと、反射的に思った。誰がだれとか名前は出てこないが」

「あのグールの施設であれこれ記録は取ってきてくれたけれど、あなたの仲間の決定的な証拠がないのがつらいわ」

胡椒と塩で味付けされた半熟卵をフォークで口へ運びながら、エレオノーラが同情的に眉を寄せた。

状況から考えて、あのグールたちの腹に収まってしまったのは間違いない。死者たちは所属する社どころか、家族の元へ帰ることすら叶わなかったのだ。

「おれとしては、目を覚ましたら目の前に銃口があったのも怖かったんだが」

精一杯の嫌味をこめてナナシが主張したが、生憎と申し訳なさそうにしたのは花鈴だけだった。

「ご、ごめんなさい。史狼、うなされてたんだから銃はちょっと」

「絶叫したんだぞこいつ」

みごとな仏頂面で史狼が煙草をふかす。同室の男があげた朝方の絶叫は相当にストレスだったのだろう、彼が女性陣の前で喫うのを見たのはこれが初めてだ。

決定的に食事に向かない話題の中で悠然と朝食を終えたエレオノーラは、コーヒーを一口飲んで話を続けた。

「これで確定的だわ。多分あの、矢間? 彼が担当した案件で捕まった人はあの飼育施設へ送られて、跡形もなく処理されてきたのね」

「それも奴にとって都合の悪い、死体を処理しないとまずい案件だけだろう。じゃなきゃリスキー過ぎる」

煙草の煙を吐き出した史狼がエレオノーラの読みに補足する。

「思いっきり違法案件だし、それは史狼のツテに情報を売ればいいんじゃない?」

「それが妥当でしょうね」

まさかのキエロの言葉にエレオノーラが同調し、話が別件へ進んだのに驚いてナナシは思わず口を挟んだ。

「待ってくれ、あんな……惨い施設を見過ごすつもりなのか?」

人が人の形をしたものに貪り食われている。それが死体であったとしても、ナナシにはとても耐えられない事実だった。

社会の枠の外にいる彼らにとって、あれは受け入れられるものだったのか。

思い詰めた表情のナナシを一瞥した史狼が、端的に結論を口にした。

「あの胸糞悪い業者と、北海警備の矢間とやらは叩き潰す」

「ほ、ほんとか」

「ボクたちみたいなもんに社会正義だとか大義名分なんて縁も用もないけど、さすがにあれは見過ごせないよ」

「あそこで行われているのはまさに人体実験だわ。死者の冒涜の上に、死に至る病に罹患した人々に治療も施さず、あまつさえ利用してお金を儲けているなんて外道というものよ」

普段は斜に構えた態度に見えるキエロやエレオノーラの口調が憤然としている。彼女たちにとっても許し難いのだと思うと、ナナシは心の底からほっとした。

「ただ、私たちの優先事項はナナシさんの身の安全です。今日あなたの安全確保ができれば、私たちの報酬の一部として情報を売り、その上で警察に通報するということなんです」

「そうか……うん」

花鈴の補足にナナシはそれしか言えなかった。

 警察に通報すれば当然調査が入り、産業廃棄物処理場を偽装していたことも含めて罪に問われるだろう。グールと化した患者も然るべき医療機関へ収容される。

ふと気がついて、ナナシは一行を見廻した。

「いや、待てよ。おれの保護より先に通報した方がいいんじゃないか?」

「それで奴が逆ギレして警察振り切って、おまえと心中でもする気になったらどうするつもりだ。俺はそんなの相手にするのは御免だぞ」

煙草の吸い殻を灰皿に押しつけて史狼が唸った。追い詰められた人間の行動は読みにくくなる。相手のペースで事が運んでいると思わせた方がいい。

昨夜も矢間が死体をあの業者へ送ったということは、まだ取引を続ける意思があるということであり、ナナシの口を塞げる自信があるはずだ。

「おまえを安全な場所に放りこんだら社会的に奴の息の根を止めてやる。その前に目の前に現れたら物理的になるだけのことだ」

史狼の出した結論に、誰も異存はなかった。

 ナナシが落ちつくのを待って、エレオノーラが要塞の一角にある機器を操作した。いくつかある中でも一番大きなディスプレイに地図が表示される。

高上が指定してきた場所は厚別区にある六階建ての商業ビルで、地図はビルとその周辺を拡大表示してあった。西隣にそう広くない駐車場、東隣と、道路を挟んだ北側は別の商業ビルが建っている。

「ビルの三階に、確かに遺伝情報を調査できる医療機関が入っているわ。名浜系列で主に系列社員の健康データ管理をしているようね」

「ビル自体が名浜のものなのかい?」

ビルの平面図を眺めるキエロが首を傾げた。

「ええ。でも『名浜メディカルセンター』以外は全て関係のない一般テナントね。女性向けを意識した店舗展開だわ。一度ゆっくり回りたいところね」

普通の商業地区であり、発砲でもあれば10分で武装警官が1ダースは急行してくる立地にある。あちらもこちらも、武力という意味では無理を押し通しにくい。

そしてナナシが社員かを確認したい、という高上の意向には嘘はなさそうだった。

「屋上はヘリの離着陸ができなくはないわ。ヘリは常駐していないけれど、警備用ドローンを二機配備していると記録にあるわね」

装備は重機関銃が2挺にグレネード、機関部を守る展開シールドで、保安用ドローンとしては一般的なものだ。

「警備会社は当然名浜警備保障だな。常駐警備員は何人いる?」

弾倉を抜いてベレッタの分解清掃を始めながら史狼が問いかけた。

「ええ。一階ホール横の警備員室に4名だけど、『名浜メディカルセンター』内にも別に4名いたわ。スタッフルームがやけに広いからカメラに侵入して確認したの」

「出入り口はビル正面玄関だけ?」

「そうよ。裏口はなし、他ビルに繋がる通路も回廊もなし。閉鎖空間ね」

花鈴の質問を最後に一行はしばらくの間沈黙した。様子を窺っていたナナシがそろそろと発言許可を求めて手をあげる。

「はい、ナナシくん。何か質問があるかしら?」

「そのメディカルセンター、三階全部占めているのか?」

いいえとエレオノーラは答えた。同フロアにデンタルクリニックと消化器内科があるが、どちらも個人経営で名浜とは縁もゆかりもないという。系列の強みか、名浜メディカルセンターはビル正面、通りに面したいい区画を有していた。

ここ数日史狼たちと転々としたような、廃ビルや得体のしれない建物ではない。

少し前まで自分もその中にいた、ごく普通の世界の一角だ。

しかし今となっては、その普通の世界にいても背中が気になる身の上だった。

「君たちはついてきてくれるのか?」

「だってついて行かなきゃボクら、タダ働きだよ」

肩をすくめてキエロが答える。それはそうだ、彼らはナナシが何らかの収入を得ない限り報酬を得られないわけで……本当に笑えない事態になってきている。

「あの、年金とか前借りできないか聞いてみるから」

「それもおまえが社員だったらの話だがな」

とりつく島がない史狼の言葉に思わず項垂れた。高上という人の話では自分は那智という人物である可能性がかなり高いと思うのだが、一行は誰もそこを額面通りに受け取っていないようだ。

今回も助け船を出したのは苦笑した花鈴だった。

「気にしなくて大丈夫ですよ。私たち仕事柄、お金の顔を見るまでは安心できないタチというだけなんで。そういう生活というか、立場というか」

「でもそれって、行くってことでいいのね」

ディスプレイに表示していたデータを消しながら振り返ったエレオノーラに問われ、ナナシは頷いた。

「ああ、行こうと思う。追いかけ回されるのはうんざりだ」

それだけはきっぱりとナナシは答えた。

昨夜は急な自分を知っているという者の出現でパニックだった。

遺伝子診断をしてくれるなら願ってもない。社員だと立証されれば記憶喪失の治療も期待できるし、生活も安心できる。北海警備からも保護して貰えるだろう。

同期だという高上が自分を那智だと思うと言ったぐらいなのだ。

ナナシの返事を受けてソファから立ち上がった花鈴が、全員からコーヒーのカップを回収しながら首を傾げた。

「決まりね。市街に行くんなら運転していい?」

「ごめんなさい、花鈴。交通量の多い所へ貴女の運転で行ったら事故を起こしてしまうわ、私に任せてちょうだい。史狼、バンを玄関へ回すわね」

「あー残念。でも交通量多いのはちょっと不安だから、お願いね」

声をあげて笑った花鈴がカップを洗い始める。エレオノーラがキエロを伴って部屋を出た。花鈴がカップを洗って水切り籠へあげ、ナナシに声をかけた。

「すみません、部屋からジャケットとってきますね」

「ああ、わかった」

彼女に続いて部屋を出ようとしたナナシは、史狼がまだソファに座っていることに気がついた。いつも女性陣に先だって動いている彼が珍しいことだ。

手には分解掃除を終えて元通りに組みたてられたベレッタがある。

「どうかしたのか?」

恐る恐る声をかけると、彼はじろりと見返した。

「おまえが探す『答え』がもうどこにもない、としたらどうする」

「え?」

「おまえは今のおまえとして生きるしかないかもしれん。覚悟だけは固めておけ」

事によったら史狼が今までで一番、真摯に対してくれているのかもしれない。だがその言っている意味が、ナナシには今一つ呑みこめなかった。

自分には戸籍があり、『答え』がないなどありえない。調べれば出てくるはずだ。

うまく返事ができずにいると、史狼は立ち上がって部屋を出て行った。廊下から花鈴がナナシを探す声が聞こえてくる。

言いようのない不安を感じながら、部屋を出て彼らを追った。


 午後2時。時間ぴったりに指定のビルのホールに入ると、高上がいた。

人を委縮させるような強面の男が女性向けテナントの多いビルに仁王立ちしていると、それはもう周囲から浮いている。一分の隙もないスーツ姿で、しかも百八十センチ以上は確実だろう長身のせいもある。史狼より少し高いだろうか。明らかに女性客から避けられていた。

ナナシに気付くと、無表情のまま口を開く。

「よく来てくれた。そちらが世話になっていた人たちか」

彼とナナシの間に立ち、無遠慮なほど高上に近づいて史狼が仏頂面で言い放った。

「無償で世話をしたお人好しとその仲間だ」

「それは手間をかけた。当社の社員だと証明できたら充分な礼をしよう。勿論、そうでなければ相応の対応をとらせて貰うが」

「流石に一流企業は上からだ。野良犬には用がないらしい」

威圧感ではいい勝負の両者が火花を散らし始める。

市の外縁部と違い、市街地は警察の巡回による警戒が厳重になっている。普段どおりの出で立ちなら銃刀法違反で逮捕される為、さすがに史狼も刀とイングラムを背負ったボックスに収めているが、ベレッタはいつも通りコートの下だ。

対する高上のスーツのジャケットも、明らかに銃と思われる膨らみが見て取れる。

慌ててナナシが割って入るはめになった。

「待ってくれ、おれの検査をするんだろ。こんなところで騒ぎはどっちも困るじゃないか」

慌てた様子のナナシを見て、高上はちょっと驚いたような顔をした。

「……そうだな、案内しよう。エレベーターは奥だ」

気を取り直したように咳払いをして歩きだす。舌打ちをした史狼と困り顔のナナシが続き、その後ろに花鈴やエレオノーラ、キエロが続いていった。

彼らだけを収容してエレベーターの扉が閉まってから、高上が考え考え切りだす。

「君は那智に見えるのだが、それにしては……」

「……頼りないとか、そういうことだろうか。おれも正直そう思ってるんだ」

「記憶は何年ぶんぐらいないんだ」

ナナシは顔をしかめた。

何もかもがぼやけた世界にいるようで、一般社会常識ぐらいはあっても具体的には何一つ思い出せない。彼が失望するだろうなとは思ったが、正直に伝えた。

「記憶を失った夜、彼らに助けられる直前の一瞬の記憶しかない」

「そうか」

少なくとも表面上は高上は感情を見せず、そうとだけ答えた。

 エレベーターの三階のランプが点いて止まる。軽快なチャイムが鳴って扉が開くと、メディカルセンターの入口はエレベーターホールに面していてすぐに見えた。プライバシーを意識してか引き戸型のスモークガラスドアだ。

一行が近づくとドアの前にお辞儀をする女性のARが現れた。扉にデジタルサイネージが仕込んであるらしい。半透明でなければそこに人がいるとしか思えないほどの質感を保った映像だった。

『高上様、お忙しい中御来訪ありがとうございます。他にお客様が五名様ですね』

「ああ。一般客だ、今日一日の入外出を許可してくれ」

『かしこまりました』

女性のARが消え、ロックが外れる音がしてドアが開く。映像と声紋承認だけで高上を判別したはずはない、どこかに仕掛けたカメラで網膜スキャンもしたはずだ。キエロが珍しく素直な驚きの声をあげた。

「ふわー。さすがに企業の投影型UIヒューマンアイコンはお金の掛け方が違うね」

「お褒めいただいて恐縮だ。正直なところ、君のような年齢の非合法活動者アウトソーサーに会うと私のような無感動な会社員でも心が痛む」

「ご親切だね。でもボクはなんにも困ってないから、お気遣いなく頼むよ」

平然と切り返すキエロを見下ろして、高上は一瞬声を詰まらせた。

 変異人種ニュー・レイスに対して認知が進んでいる昨今、キエロの目に多少衆目が集まることはあっても、迫害や攻撃をするには至らなくなっている。この口調からするに、過度の同情は彼女を否定することになるだろう。事実彼女はこのビルに入る時も、瞳を隠さずに堂々と入ってきたのだから。

口をつぐんだ高上は、入ってすぐの採血スペースにいた白衣の男女を紹介した。

「彼らは鑑定技師だ。こちらの椅子にかけてくれ。『付き添い』の方々は控室に」

「え、彼らは同席しないのか?」

一旦は指示された椅子にかけたナナシが思わず立ちあがった。

採血しようとしていた白衣の技師が驚いて高上へ目で助けを求める。思わぬ反応に目を瞬き、高上はナナシに寄ると声をひそめた。

「那智、彼らは部外者だぞ。それにおまえも何か……変わったな」

どきりとしたナナシは息が止まった。

 それはそうだろう。死に瀕し、記憶を失い、以前と同じでいられるわけがない。

 それでも、自分を知っていたという人物に『変わった』と言われるのは衝撃だった。苦労して色々な言葉を呑みこみ、今言わねばならないことを絞り出す。

「……彼らがここまで助けてくれた。おれはまだ一円も払っていないのにだ。おれを殺すつもりならいくらでも機会はあったし、彼らも北海警備に襲われている」

「那智」

「あなたがおれを心配してくれるんなら、彼らを信用してくれ。おれにとってはあなたも今日初めて会った人で、『彼らよりもあなたのことを知らない』んだ」

反射的に高上が眉を吊り上げた。強面だけに怒りにも見える形相を見て、途端にナナシの心が折れかける。

それでもなんとか目を逸らさずにいると、窓際の史狼が面倒そうに声をあげた。

「俺たちはそいつの護衛だ。武装も解かんぞ」

高上が黙ったままで一行を振り返る。はっきりと敵意を醸す彼を史狼は平然と見返し、ナナシを顎で指して続けた。

「殺されでもしたらとんだタダ働きになる」

「貴方にとっては、那智さんでないならどうでもいいのかもしれないけれどね」

「……那智でないにしろ、彼が当社の社員だと立証されれば、業務遂行中に事故に遭ったことになる。当社はそんな社員を見捨てたりしない」

皮肉をこめたエレオノーラの指摘を高上はいなした。那智であるか否か関係ないのはそちらだろう、と思うが、それは口にしない。

「事故って言えば事故なのかな。労災にはできないんだし」

うんうん頷くキエロが痛いところをついた。当然ながら公式に企業に工作員は存在せず、危険な業務もあるはずがないので、労災に指定しようもない。

「そもそも非合法活動だから、事故というのも難があるけどね」

フォローのつもりで花鈴が容赦なく地雷を踏んで、高上がむっつりと押し黙った。確かに合法的ではない手段を選んでいる段階で、危険を想定して行動するべきではある。空気を読まないまま花鈴がもう一言付け加えた。

「ですから私たちを警戒する警備員を呼んで下さっても結構です。皆さんがナナシさんを仲間として扱うのなら、私たちは何もせずにいますので」

「そうしよう。我々が同じ目的の元にいると俺も信じたい」

押し殺した声で応じた高上が、室内のカメラに向かって手を振った。スタッフルームから六人の警備員が現れると、ナナシに一人、一行には五人がついて露骨な警戒態勢をとる。

成り行きをびくびくしながら見ていた男性技師が、震える声を絞りだした。

「……では、採血しますね」

頷いて袖をまくったナナシが腕を差し出すと無痛針が血管に入る。目をそらしている間に必要なだけの血が抜かれ、ほっと息をついた時だった。

轟音をあげてビルが揺れ、ガラス器具がいくつか床に落ちて割れる。

建物のそこここから人々の悲鳴があがった。


 揺れは一度では終わらなかった。激しい発砲音が聞こえてくる。あちこちでガラスが割れる音が響いて、メディカルセンターの通りに面した強化ガラスにすらひびが入った。非常事態を知らせるサイレンが鳴り響く。

女性技師が「地震……?!」と悲鳴をあげたが、荒事に慣れた者たちにはそうでないことがすぐにわかった。

「上で爆発だな。事故か、そうじゃないならドローンは何をしていた?」

高上の詰問に警備員が屋上警備室へ通信を送る。が、応答はない。警備員の様子を見た史狼は背から下ろした収納ボックスのロックを解いた。

「キエロ、戦闘ヘリでもいるんじゃないだろうな」

問われた彼女の前には、どこかのビルのフェンスに止まったカラスの幻があった。落ちつかなげに羽をたたんでは広げを繰り返している。

「屋上に爆弾を積んだドローンが突っ込んできたそうだよ。その後に所属不明のドローン二機が襲撃してきて、ここのドローンが応戦中みたいだね。屋上の警備員は警備室に無線が繋がらないって話してるよ」

「はっきりしたな、無線妨害ジャミングだ。これは名浜グループか、おまえか、ナナシのいずれかへの攻撃だ。工作員が侵入してくるぞ」

史狼の指摘が終わるか終わらないかの間に、モニターを見ていた警備員が叫んだ。

「班長、一階エントランスに所属不明の武装集団です! 警備員2名が被弾!」

「なに……!」

監視映像のモニターにとびつくと、エントランスには白煙が立ち込めていた。催涙弾か何かを使ったのだろう。逃げ惑う人々には目もくれず、防護マスクをつけた武装集団がエレベーターへ向かうのが見える。

「非常階段は何か所ある」

イングラムM11とマガジンを取り出した史狼の問いに、高上は淀みなく答えた。

「エレベーターホールの奥に一か所だけだ。火災報知機が反応すれば階段側からはロックされ、建物内部からしか出られない。入るには扉を破壊してくるはずだ」

 つまり敵が上がってくるルートは2つ。下もしくは上から二基のエレベーターを使ってくるか、非常階段から入ってくるか。警察の介入まで最大十五分とみて、その間保たせなければならない。

襲撃された側であれば警察の対応も寛大であるし、名浜グループである以上、非常対応として銃器による反撃は大目に見られるだろう。

スタッフルームへ入った高上はコルトのM4A1を手に戻ってきた。チェストリグを装着し、予備のマガジンをポケットに突っ込みながら警備員を振り返る。

「警察への通報を定期的に試行しろ。警備員は今何人いる?」

「このフロアに六名、階下に四名です。しかし推定ですが、階下は既に……」

恐らく死んでいる。モニターで見た限り、相手は十人以上はいるように見えた。屋上の人員はドローンに対応するので精いっぱいだろう。

エレベーターが一階で止まっている。上がってくる準備をしているはずだ。

高上は硬直している検査技師二人を叱咤した。

「何をしている! 検査を続行しろ、ビルの補助発電に切り替わるまで諦めるな」

「は、はい!」

あわてて機器に飛びついた二人の作業台の前にバリケードを組むよう、高上は警備員の一人に命じた。

「那智、彼らと一緒にいろ。記憶がないのでは危険だ。バリから顔を出すな」

「わ、わかった。でもこれは一体……」

どこの襲撃なんだ。ナナシの疑問には、スタッフルームに入り込んで機器をいじり始めたエレオノーラが答えた。通信妨害されていても出来ることはある。

「十中八九、北海警備よ。市外へ釣りだしておいたつもりだったけれど、貴方がここに来る情報を拾ったのでしょう。今なら貴方ばかりか、次の代表である高上さんも暗殺できるチャンスというわけね……高上さん、システムをお借りするわ」

「好きにしろ。だが本社のシステムに手を出したらただではおかない!」

もはや拒否する意味はなく、高上は釘だけはさすことにした。検査技師とナナシ、エレオノーラの護衛には警備員を1人しか割けない。彼女がオペレータとしてビル内の『目』になってくれた方が有利に働く。

 警察がすぐ駆けつけるのは相手も承知の上、それでもここで押し切ることを選んだのだろう。恐らく手段を選んでは来ない。凌ごうとするよりは殲滅する心構えで迎え撃つべきだ。

それは高上だけでなく、史狼も同じ見解だった。

「花鈴。エレベーターホールは俺とこいつらで始末する。おまえは非常階段に回って入ってくる奴を担当しろ。こっちが済んだら加勢する」

「わかった。気をつけてね」

遮光レンズの眼鏡を外してエレオノーラに預けた花鈴の瞳の碧光を見て初めて、高上は彼女が魔素の従者バレットだと悟った。眼鏡で隠しているのは相手の油断を誘うためなのだろう。

「非常階段はどっちですか?」

「あの奥だ」

さっき全員で上がってきたエレベーターの右手奥へ続く通路を警備員に示され、花鈴が駆けだした。その背を追いながらキエロが史狼へ事後報告を投げつける。

「ボクは花鈴の支援に行くよ」

「おい、子供は!」

「気を付けろ。死んでも葬式は出さんぞ」

高上を無視してエレベーターホールの柱の影に陣取った史狼が応えた。もとより許可を求めたわけではないキエロは花鈴の後を追って駆けていき、激昂した高上が声を荒げる。

「貴様それでも……!」

「どけ、まとめて撃つぞ!!」

チンと音がして、向かって左のエレベーターの扉が開いた。

防護マスクを付けた工作員が顔を出した瞬間、ぎりぎり高上をかすめて史狼がイングラムの引鉄を引く。催涙弾を撃とうとした工作員は、毎分1,200発にもなる銃弾の雨を浴びてエレベーターの中へ叩き返された。

他にエレベーターには二人はいる。もう一基のエレベーターも上がってくるところだが、非常階段からも相当な数がくると見るべきだろう。

フルオートで弾を撃ちこみながら、高上は応射している警備員へ声を張り上げた。

「二名は非常階段でバレットの援護! 魔法使いの安全確保も忘れるな!」

「了解!」

すぐに二人が移動を始めた。エレベーターは乗員六名、重量制限もあって銃や装備品を身に付けた工作員が一度に大量には上がってこれない。ここは史狼を含めた五人で抑えられるはずだ。

 エレベーターから頭だろうが肩だろうが銃だろうが、何かが出るたびに史狼が弾をばらまいた。最初に顔を出した工作員が倒れたきり動かないところを見るとまともに食らったのだろう。同じエレベーターにいる他の者が引きずって回収し、史狼に応射した。

そこを狙って高上の部下が逆方向からフルオートで弾を撃ち込み沈黙させる。

もう一基のエレベーターが階についたことを示すランプが灯り、軽快な音が鳴って扉が開く――と同時に激しい銃声がホールに響き渡った。同時に二丁のMP5が顔を出し、盲撃ちでホールに弾丸がばらまかれる。

柱の影に引っ込んだ史狼がマガジンを交換しながら獰猛な笑い声をあげた。

「パーティが盛り上がってきたな!」

「何を言ってるんだおまえは?!」

応射しながら律義に高上がツッコみ、柱の陰にいる史狼を狙おうと顔を出した工作員にヘッドショットを決めた。

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