SAIKAIの条件

RAY

The Conditions for SAIKAI

第1話 HEAVY RAIN


「本日も東海道新幹線をご利用いただきまことにありがとうございます。ご乗車のお客さまにお知らせがございます」


 耳触りの良いチャイムの音に続き、車内に堅苦しいアナウンスが流れる。

 違和感を覚えたのは、それが女性による自動音声ではなく男性の肉声だったから。しゃべっているのは、おそらく、この列車の車掌。

 二人掛けの窓際の席でノートパソコンのキーボードを叩いていた 南雲なぐも 沙織さおりは、手を止めてペットボトルの冷たいお茶を口にする。


「当列車は、現在、新富士駅と静岡駅の間を走行しています。当区間は、昨日から激しい雨が降り続いており、ただ今、沿線に設置された雨量計の数値――連続雨量及び時間雨量が基準値を超える状況となりました。ついては、降雨量が基準値を下回り安全が確保されるまでの間、運転を見合わせることといたします。お急ぎのところ大変ご迷惑をお掛けしますが、何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。繰り返しお知らせします――」


 車内放送に呼応するかのように、新幹線は、少しずつ速度を落としていく。

 ペットボトルをパソコンの隣に置くと、沙織は、小さく溜息をついて座席に身を沈めた。


「冗談じゃないよ。勘弁して」


 数分後、列車は動きを止める。窓ガラスを打つ雨の音が車内に響く。

 沙織は、恨めしそうな顔で窓の外を眺める。黒目がちの大きな瞳に、一面に広がる茶畑と等間隔に並ぶ、霜防止の風車ファンが映った。

 景色がぼやけて見えるのは、シャワーのような雨が降り注いでいるから。空を覆う、分厚い、灰色の雲に切れ間はなく、雨が止む気配は全く感じられない。

 時刻は、昼の十二時を少し回ったところ。にもかかわらず、日が暮れる前のような情景が広がっている。


 シャギーの入った、ストレートボブの前髪を無造作に掻き上げると、沙織は、隣の席に置いたショルダーバッグから携帯電話を取り出した。


「お疲れ様です。南雲です。今、新幹線の中ですが、アクシデントが起きました」


 沙織は、声が漏れないよう、携帯電話の通話口を右手で押さえながら上司に状況を報告する。口調こそ冷静だったが、その顔には不安と憂鬱ゆううつが入り混じったような、複雑な表情が浮かんでいた。


★★


 沙織は都内のコンサルティング会社で働く、二十九歳の経営コンサルタント。最近、係長に昇格し会社からは貴重な戦力として期待されている。とは言いながら、社員二十名足らずの小さな会社であり、沙織より年下の社員は数える程しかいない。

 大学では企業戦略を専攻し学んだことを実践で生かしたいと考え、この業界を就職先に選んだ。しかし、名が通った会社からは内定を得ることができず、不本意ながら今の会社に収まった。

 規模が小さいうえに設立から十年余りと歴史が浅いことから、クライアントは、地元の中小企業ばかり。定期的に経営のアドバイスを行うコンサルタント契約を締結することで食いつないでいるのが実態だ。

 どんな仕事も嫌な顔一つせず精力的にこなしてきた沙織だったが、入社から七年余りが経ち、物足りなさを感じていた。「大企業の経営を左右するような仕事をしてみたい」。口にこそ出さなかったが、そんな思いが心の奥でくすぶっていた。


 もしかしたら、そんな心の声が神様に届いたのかもしれない。

 沙織が向かっているのは、東証一部上場企業であるメイシン精機の名古屋本社。同社が企画した「組織活性化に関する競合プレゼンテーション」に参加するため。プレゼンへの参加依頼があったのは全部で七社。沙織の会社以外はそれなりの実績がある有名どころばかりで、場違いな印象はぬぐえない。


 なぜ、メイシン精機のような企業が弱小コンサルタントに声を掛けたのか。

 それは、沙織が担当している、千葉県のある小さな部品メーカーの社長・権藤雄三ごんどうゆうぞうの口利きがあったから。


 権藤は、以前メイシン精機に籍を置き、将来を嘱望された技術者。家業を継ぐはずだった兄が不慮の事故で亡くなり、急遽きゅうきょお鉢が回ってきたことで、惜しまれながら同社を去った経緯いきさつがある。ただ、昔のよしみから、権藤の会社とメイシン精機は、今もつながりがあり取引きが行われている。

 白髪しらが交じりのオールバックの髪に、左右が繋がりそうな太い眉とギョロッとした大きな目。年は五十代半ばながら、ウィットに富んだ物言いとガッシリした筋骨隆々の身体から若さと力強さがみなぎっている。「草野球の四番バッター」というのも嘘ではなさそうで、ナイスミドルといった形容が的を射ている。


 権藤は、沙織の顔を見るや否や、挨拶もそこそこに荒っぽい言葉で突っ込みを入れてくる。傍から見れば、親に叱られている子供のようにも映るが、それは、権藤が沙織のことを高く評価している証拠。「沙織ちゃん、うちの会社に来ない? 俺の片腕として。給料は安いけどよ」。本気とも冗談とも取れる、誘い文句を投げ掛けられたのは、一度や二度ではない。

 今回メイシン精機から声が掛かったことを考えれば、権藤が本気であったことに疑いの余地はない。「沙織ちゃんにプレゼンをやらせるなら、御社おたくをプレゼンターに推薦するけど、どうだい?」。メイシン精機から依頼が来る前、権藤から沙織の上司にそんな打診があった。

 沙織の会社にとっては、降って湧いたようなビッグチャンス。仮にプレゼン結果がNGであったとしても「あのメイシン精機に指名された」という事実は、今後、営業を行っていくうえで大きなアドバンテージとなる。社長は、権藤の提案を二つ返事で了承し、社内はこれまで無かったような盛り上がりを見せた。


 突然、まな板の鯉となった沙織にプレッシャーがないと言えば嘘になる。ただ、プレッシャー以上に高揚感があり、胸の奥から湧き上がってくる気持ちを抑えることができなかった。大企業に打って出る機会をもらえたことをとてもうれしく思った。ここ数年、くすぶっていた思いに答えが出せそうな気がした。


 見た目は、清楚なお嬢様といった、大人しい雰囲気が漂う沙織であるが、話をすると印象がガラリと変わる。アラサーの女子とは思えない落ち着きぶりと、前進あるのみといった気概が感じられる。大舞台でも物おじすることのない、いわゆる「いけいけタイプ」で、プレゼンターは沙織にとって打ってつけの役回りだった。


 こうして、六月某日、沙織は、単身で名古屋へ赴くこととなった。


★★★


「――わかった。先方に事情を話してどこまで配慮してもらえるかだね」


 課長の白河しらかわの声から緊張が伝わって来る。沙織の脳裏に、眉間に皺を寄せて、困惑した表情を浮かべる上司の顔が浮かんだ。


「プレゼンの持ち時間は、二時二十分から三時まで……。新幹線の運転が再開されたとして、先方のところまでどれぐらいかかりそう?」


 一瞬間が空いて、白河が言葉を選びながら慎重に尋ねる。


「半分近くまで来ているので、名古屋駅までは約一時間といったところです。駅からは十五分ぐらいですから、走れば一時間ちょっとで行けます」


「新幹線が一時五分までに動けば問題ないわけだね……。今が十二時十五分。一時間後の天気図から雨雲はほとんど消えている。でも、雨が止んだ後、線路の点検が入るだろうからすぐには動かないだろうね。先方が何時まで待ってくれるかだけど、あまり無理を言うわけにもいかないし……」


 白川は、思い悩んだ様子で独り言のように呟く。

 沙織には白河の考えが理解できた。

 自分たちは、単なる受注候補に過ぎず、発注者であるメイシン精機に意見を言える立場にはない。ただ、会社としてはプレゼンへの参加が至上命題であって、時間に遅れたとしても何とか参加を認めてもらう必要がある。先方の心証を悪くするのは命取りだけに、その言い方が難しい。


「課長、ちょっといいですか?」


 沙織がはっきりとした口調で言う。


「『後日改めてプレゼンをさせて欲しい』といった提案をした場合、それは、我社うちを特別扱いすることになります。仮に我社うちのプランが採用されたとしても、後々しこりが残ります。『出来レースだったんじゃないか?』などと悪い噂が立てば、イメージはガタ落ちで権藤社長の顔に泥を塗ることにもなります。それに、プレゼンには先方の役員も出席しますから、そんな提案をすること自体マイナスだと思います」


 沙織の話を白川は黙って聞いている。


「プレゼンは七社が行う予定で、我社うちは六番目です。最後の組が終わる時間は三時四十分。その時間までに到着することをプレゼンの参加条件として認めてもらうというのはどうでしょうか? 先方も『天候による新幹線の運転見合わせは不可抗力』といった認識を持っていると思います。そうであれば、プレゼン終了時間が四十分延長される程度は許容範囲だと考えるのではないでしょうか? 逆に、意気込みを評価してくれるかもしれません」


「わかった。社長に話してその線で説明してみる。結果は後で連絡するよ」


 白河は、二つ返事で了承して電話を切った。アッサリしているようだが、これはいつものこと。白河は沙織に絶大な信頼を置いている。しかも、今は一分一秒を争う状況でもある。


 沙織は、電話を切ると小さく息を吐きながら再び窓の外に目をやる。

 外の様子は、ほとんど変わっていない。十分しか経っていないのだから当たり前と言えば当たり前。ただ、意気込みはさっきの何倍も強いものとなっていた。「絶対にやってやる」。そんな気持ちでマウスをダブルクリックした沙織は、プレゼン資料のチェックを始めた。


 十五分が経った頃、白河から電話が掛かってきた。

 メイシン精機の担当者に申し入れたところ「三時四十分までに到着すればプレゼンを許可する」といった回答を得られたとのこと。思惑通りの結果に、沙織は、安堵の胸を撫で下ろす。

 しかし、雨は一向に弱まる様子はなく、運を天に任せるといった状況は何も変わってはいなかった。



 つづく

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