モノクロオルタ

葉月 弐斗一

モノクロオルタ

 県内有数の歓楽街の夜も、月曜日では普段よりも抑制気味だ。

 白髪交じりの中年をもてなす若いサラリーマン。

 居酒屋のすぐ近くで吐いているフリーターらしき男。

 髪にワックスをたっぷりとつけてキメ男と、その男の腕に絡むようにして歩く肌の黒い女のカップル。

 白色ネオンに照らされた娯楽の街を眺めていると普段生活している場所とは異世界のように思えてくる。

「本当に確かな情報なのでしょうか……」

 呟きながら神田かんだ吉次よしつぐは腕時計を見た。市民からの通報により神田が派遣されて一時間が過ぎようとしている。見張っているビルからターゲットであろう男が出てくる様子はない。通報者は随分と自信がなさそうだったらしく、デマだった可能性も考えられる。押し入ってしまえば早いのだが、令状もなくビルの管理人との連絡も取れない以上、相手が外に出るのを待つしかないのが現状だ。

「目立つのは嫌なのですが……」

 再度呟く。緑を基調とした制服に身を包んだひときわ大柄な神田は、立っているだけで通行人の目を引いていた。近くを通る者が物珍しそうに歩調を緩めるのは恐らく、神田の気のせいではないだろう。特に神田と同じ年のころの若いサラリーマンは、なれない歓楽街に気を張っているのか、特にリアクションが大きい。羞恥の視線に耐えて監視を続けていると、一人の男がビルから出てきた。

 中年太りした腹回り。ピチピチのウィンドブレイカー。髪はボサボサで、十一月だというのに履物はサンダルだ。だが、何よりも目を引くのは、それらとはおよそ不釣り合いなジェラルミンケースだろう。

「すみません、そこの方」

「あ? なん――!?」

 背後からかけられた神田の声に、男は立ち止まって振り返り、神田の姿を見て逃げ出した。韋駄天というか見た目に反して、素早い走り方だ。人目を気にせず走っているため、男の進行方向から悲鳴や怒号が聞こえる。

「ターゲットと思われる男が市街方面へ逃走しました。各員確保に向かってください」

 インカムで仲間に指示を出し、神田自身も走り出す。どうせすぐに捕まるだろうと高を括っていると、案の定、裏路地から男の絶叫が轟(とどろ)いた。裏路地に野次馬が群がる。

色相保全機構しきそうほぜんきこうの者です! 道を開けてください!」

 叫びながら騒ぎの中心へと向かう。機構の制服を見るや否や人垣が割れた。それでも物珍しさから遠巻きに人々は好奇の視線を向けてくるが、差しさわりはないだろうと判断して、神田は歩みを進める。

「あ、神田少佐しょうさ!」

 騒ぎの中心で男を取り押さえる女性隊員は、神田に気付くと威勢よく声をあげた。神田とは三つしか齢が違わないはずだが、そばで見比べてみると大人と子供のようだ。本人は、低身長と童顔のせいで中学生に間違われると言っているが、神田自身は緊張感のない声と子供のような残酷さも手伝っているのではないかと分析する。現に今も、彼女の下で組み敷かれている男は完璧にノビてしまっている。全力で後ろ手に締め上げているが、おそらく何もしなくても逃げ出せないだろう。

「やりすぎですよ、花園はなぞの少尉しょうい

 手加減を知らない部下に注意して、神田は嘆息する。何より、真っ先に確保しなければならない筈のジェラルミンケースが放置されたままだ。人ごみに乗じて内通者に持ち去られてしまっていたり、中身が散乱したりしていたら始末書ではすまないかもしれない。中身が出る恐れがないことを確認してケースを拾い上げるとずっしりと重かった。中身が中身だけに、当然だが、こんな物を持ってあれだけ走れたのかと、神田は思わず感心してしまった。このまま中身をあらためたいところだが、規則のこともあるし、何より野次馬が十分に掃けていない以上、今ここでというのは難しいだろう。出来ることは、捜査車両を待つか署に同行してもらうかの二択だ。どちらにしろ、任意という形をとっている以上、彼が目を覚まさない事には何もできない。

 無線で捜査車両を要請して、花園の下でノビている中年を見る。回復するのと捜査車両が到着するのでは果たしてどちらが早いだろうか。


「あ、かわいいイルカさん」

 押収品の画集の一冊をペラペラとめくりながら、花園は楽しそうに声を上げた。狭い車内に、甲高い声が響く。護送車をベースにした捜査車両には作業台と、捜査に必要ないくつもの機器のせいでほぼ満員だ。神田の正面に座る男は所在無げに視線を泳がせている。

「花園少尉、検査の結果はまだですか?」

「あ、すみません」

 神田の問いに、花園は思い出したように検査装置から、検査結果を印刷された用紙と画集を取り出した。褐色の枠が印刷された専用の用紙に必要事項がきちんと印刷されている事を確認していく。

「あれ?」

「どうしました?」

「いや、印刷の様子が……」

「見せてもらえますか?」

 花園から用紙を受け取り、中身を検める。なるほど確かに用紙の下から三分の一程度の印字が本来の黒ではなく黄色になっていた。

「これくらいなら大丈夫でしょう」

「そうですか、それなら良かったです」

 安心した花園から神田は画集を受け取る。古いプリンターなので、そろそろガタが来ているのだろう。後で軽くチェックしておこうと心にメモしておく。検査結果の数値に一通り目を通し、画集を開く。二十世紀中ごろから活躍した、海や海洋生物で有名な画家の画集であった。ページいっぱいの青が目に眩しい。

ブルーの値がレッドグリーンのどちらの値と比較しても三十パーセント以上高いことを確認しました。面積については調べるまでもないでしょう。さらにですね――」

 神田は検査項目と画集を作業台に広げ、その内容を交互に照らし合わせながら、男に説明を行った。説明を続けていくにつれて、男が動揺しているのが手に取るようにわかる。チラリと視界の端に、二冊目の画集を楽し気に見つめる花園の姿が目に入ったが、今は放っておく。本来ならば押収品で違反品の疑いがあるものはすべて検査するべきで、この説明と並行して検査を行うべきなのだが、陰性を示す結果は一つあれば根拠になる。どのみち確保の時点で花園には説教確定なのだから欠点の一つや二つ、今更だ。

 強い視覚情報が精神への働きかけを強めるとして、政府が人工物への『色』を強く取り締まるようになったのは平成が終わって数年後の事である。政府はまず、街にあふれる看板や電飾をすべてモノクロのものへの交換を命じた。続いて映像や印刷物などへのメディアを白黒しか出力できないよう規制し、同時に全国の学校や図書館に働きかけ既存の出版物の回収も行った。さらには自動車や衣類などの工業製品をも取り締まり、果ては街路樹すら撤去した。違反すれば懲役刑の強い罰則規定の前に人々は委縮し、法律の施行から四十余年が経った今、人々の生活から本格的に『色』が消失した。都市全体が巨大なシェルターに覆われた今日において、人々が『色』を目に出来るのは、生身の体をのぞけば、一部の許可された大学レベルの本の写真か、警察や消防といった公共性の高い職種の制服、糞尿やカビなどの汚物だけである。大学教員レベルであっても、『赤』という字が血や舌の色を示す漢字だと理解できない者が大勢いるそうだ。

「あなたを色相取締法違反の現行犯で逮捕します」

 一通りの説明が終わったところで、神田は男に手錠をかけた。男は表情をなくし、血の気が引いているように見えた。何度も見た表情だがその度に、こういう表情を顔面蒼白というのだろうかと、神田はつい考えてしまう。

「ちょっと待ってくれカラポの兄さん! 俺はあれが画集だなんて知らなかったんだ!」

「でも私の顔――というか制服ですか――を見てすぐさま逃げたということは良くないものだという自覚はあったわけですよね? 例えば薬物とか」

「そ、そりゃぁ……」

「恐らく、大金で雇われたのでしょうが、詳しいことは署で聞きます。管轄が色相保全機構われわれか警察かの違いですよ」

 言いながら、神田は運転手に車を出すようサインを送った。発車までの間に、花園から画集を取り上げ、説明に使った物と一緒にジェラルミンケースに戻す。一方の花園は、随分と名残惜しそうで非難がましい表情を向けてくるが、そもそもは部下である花園が本来するべき仕事だ。謝罪や感謝されこそすれ、非難を受ける謂れは神田にはない。心の中に説教事項を追加しながら、これも本来部下が行うべき仕事である、略式の調書を作成する準備を進める。端末で触りながら、二、三項目に記入しているうちに、車が発進する。そうそう、と続けた。

「二度と私をカラポなどと呼ばないでください」

 貼り付けたような笑顔で言い放つ神田に、男は強い恐怖を覚えた。


▽  ▲   ▽   ▲


 男の取り調べを交代の職員へ引き渡してから丸一日。神田と花園は管内の郷土資料館に併設された食堂で昼食を摂っていた。政府から支給されたブロック食を食べながら、休日の過ごし方や、効果的なトレーニングなど様々な話をしているうち(というより一方的に喋る花園に神田が相槌を打つうち)、話題は昨夜の一幕になった。

「あの人、どこから画集あんなものを手に入れたんでしょうね? それもあんなにたくさん」

 押収された画集は全部で十冊を超えていた。カラーの印刷物が相当な値を張り、所有の許可を得るのも厳しい審査がある現代で、横流し品であっても見栄ステイタスのために画集を買いたがる輩は多い。

「恐らくただの運び屋でしょうね。何も知らなかったと言っていましたが、恐らく本当ではないでしょうか。彼自身を探っても何も得られないでしょう」

「となると、この件とは無関係なのでしょうか?」

 この一か月、管轄内で博物館や美術館の収蔵品が紛失しているという報告が相次いでいる。組織的な窃盗の恐れがあるとして、神田らの班が調査していた。今回の任務も、被害を受けた館に、報告された物以外に紛失物が無いかの立ち合いだ。

 そこに受けた通報であったため期待していたのだが、無関係かどうかは微妙なラインだ。

「まぁ、地道に捜査をしていくしかないですよ」

 終わりがいつになるのかは見えないが、焦っても仕方がない。

 自身に言い聞かせるようにして神田はつぶやく。そんな神田を見て、花園は何かを思い出したように笑って言った。

「それにしても吉次さん、ホントにカラポってあの呼ばれ方嫌いなんですね」

「えぇ、大っ嫌いです」

 即答する。それと今は職務中です、と付け加える。

 神田らの所属する色相保全機構の前身は警察の一部署であった色相取締部だ。時代の流れとともに大きくなる色相取締法の適用範囲のため、およそ二十年前に色相取締部は色相保全機構と名を変え独立した。しかしながら今でも、警察であった時の通称である色相警察カラーポリス、略してカラポと呼ぶ者が多い。ただ、設立の背景として、外部に強く身内に甘い当時の警察の体質に対する世間の反感に応じるためといった側面もある。そのため、設立当時を知らない若い職員の多くは気にしない者が大半だが、色相取締部から移行してきた者や、神田のように若者であっても個人的な感情で嫌う者もまた多い。

「あんな自浄作用のない奴らと一緒にされると反吐が出ます」

「まぁ私たちも大概ですけどね」

 苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる神田を、花園は朗らかに笑いながら受け流した。その笑顔に、神田は思わず息を詰まらせる。

 警察と機構、通報者がどちらかへ通報し、結果的に管轄違いであっても、本来ならば、互いに情報を提供し、場合によっては連携し合うのがルールだ。が、互いの領分に入り込んでほしくない両者の反りは合わない。ひどい場合では、同一の案件であっても対応が大きく変わるというのはよく聞く話だ。無論、神田はそういった事をしないよう常日頃から部下に教育している。先日の一件も、窃盗品の恐れありとして通報したが、対応した職員次第ではどうなっていたかわからない。警察でもどのように対応されるのか不明だ。

「嘆かわしい事です」

 言って、神田はため息をついた。

「しかし、退屈ですね」

「私たちなんか退屈な方が良いんですよ」

 任務への愚痴をこぼす花園を神田はたしなめる。とはいえ、神田も退屈なのは同意である。博物館・美術館という施設の関係上、収蔵品の紛失は発覚が遅くなりがちなのが現状だ。常に人目に触れる展示品とは違い、保管されていても必要な時以外人目に触れない膨大な収蔵品を常に監視するのは難しいためだ。そのため紛失が報告された館に対してはこうして、膨大な収蔵品について一つ一つチェックしているのだが、この作業がなかなか時間がかかる。何より、神田らの任務はそれを見守ることだ。あるのかどうか判らない紛失物の報告をひたすら待つのは、体や頭を使う作業よりもずっときつかった。全三日の工程の一日目にしてすでに気力が尽きかけている。

 そんな神田らのもとに、細身の男が近づき声をかけた。

「お食事中にすみません。神田さん、少しよろしいでしょうか?」

等々力とどろきさん」

 花園とともに慌てて立ち上がり、目線を合わせる。

 等々力和彦かずひこはこの館の学芸員だ。専門は郷土の農業史。食品用の家畜や野菜を政府主導の工場で生産から加工、流通まで一手に担っている現代において、食の歴史は人々から遠い過去のものとなっている。神田らのように政府からいくつかのパターン化された食糧しか与えられずに育った現代の若者にとっては、等々力の語る二昔前の食糧事情はどうもピンと来ないのが現状だ。今回のチェック作業では責任者として関わっており、神田とも何度か打ち合わせをしている。政府公認の農園を持っておりそこで畑をいじるのが趣味と公言しており、いつもよれた作業着に身を包んだおじさん、というのが神田の印象であった。今日もいつもと同じく土に汚れと何かの薬品で青く染みた作作業着を着ているが、今はなぜか首からカメラを提げている。

「どうかされましたか?」

「いえ、先ほど撮影した写真を印刷してみたのですが、なにやら様子が……」

 そういって等々力は内ポケットから一枚の写真を差し出した。

「これは?」

「奇麗な人」

 手渡されたのはボロボロになった一枚のカラー写真であった。ハイキングでのスナップショットだろうか。花園(の実年齢)と同じ年のころの美しい女性と、就学前の小さな男の子が原っぱで笑っている。細い目をした少年は等々力の幼い頃を想起させた。長い時間内ポケットに入っていたのだろう。色は所々色褪せており、折り目がついてボロボロになっていた。

「あぁ、すみません! それは形見で」

「あぁお母様の……」

 悲しげにつぶやく花園をよそに、等々力は慌てて神田の手から写真をひったくった。

「あの、ダメでしょうか……」

「今回は見なかったことにします。早くしまってください」

 眉間を抑えながら神田は答える。法律施工前の写真の屋外への持ち出しは許可が必要とされているが、押収するにも面倒な手続きが必要である。未許可の収蔵品の許可手続きの準備はしているが、個人の所有物にまでどうこう言うつもりはなかった。

「ありがとうございます」

 礼を言うと等々力は慌ててスナップショットを内ポケットにしまい、代わりに別の写真を手渡した。

 映っていたのは弥生式土器の写真だ。独特の丸みを帯びた造形と、特徴的な紋様を見ていると学生時代に戻ったかのようだ。

「御覧の通りプリンターの調子が悪いようでして、すべてこんな様子で……。提出は少し待っていただけないでしょうか」

 博物館・美術館はカラー写真の撮影、カラープリントが許可された数少ない施設の一つである。今回の作業では広げられた収蔵品を撮影し、順次印刷することでチェックを確実にしている。等々力が差し出した写真もそのうちの一枚だ。

 この一枚も、本来は白い布と背景で撮影されたものだ。だが、本来の白に近い部分はほんのわずかしかなく、全体的には水色、場所によっては紺色とグラデーションがついていた。土器本体も本来の赤茶色と混ざって黒ずんでいる。ところどころにぼんやりと黄色い影も浮かんでいる。神田自身が撮影の現場を見ていた以上、これで良しとするわけにはいかなかった。

「データはどうでした?」

「それは無事です。ですので、プリンターの不調としか思えなくて」

 そう言って等々力はカメラを神田に手渡してデータを見せる。なるほど、カメラをかけていたのはそのためらしい。パラパラとデータを漁るが、印刷されたもののような様子はなかった。

「たしかにデータは大丈夫なようですね。ではまずはこちらだけ提出してください。印刷物の方はプリンターが直った時か、どうしても直らなければ相談してください」

 神田の言葉に等々力は安心したように一息入れ、礼を言った。

「それでは午後もよろしくお願いします」

 神田からカメラと写真を受け取ると等々力は踵(きびす)を返した。

「ひったくりぃ!」

 直後食堂内に、甲高い声が響く。続いて等々力のすぐ前を細身の長身が駆け抜けた。

「花園少尉は被害者の方へ! 私は犯人を追います!」

 すぐさま神田は花園に指示を出す。

「いえ、私が追います! 私の方が足が速いのでそちらの方が良いかと」

「しかし――」

 言いかけて、止めた。ひったくりはすでに遠くへ逃げている。言い争っている時間はない。

「わかりました。では追ってください」

「はい!」

 いうや否や、花園は弾丸のように飛び出した。花園の背中が小さくなるまで見届けると、神田は被害者の方へと駆け出した。


▽  ▲   ▽   ▲


「不起訴!?」

 ひったくりを捕らえてから二週間後、花園から聞かされた顛末の報告に神田は思わず声を上げた。オフィス内にざわめきが広がる。

「すみません。ですが本当ですか?」

「はい。なんでも示談になったようです」

「示談?」

 トーンを落として花園に確認をとると、思わぬ答えが返ってきた。被害者の女性と加害男性に面識はなかったはずだが、それでも示談に応じるには何か理由があるのだろうか。

「何かの介入があったのでしょうか?」

 神田自身、下衆の勘繰りだとは思う。どんなやりとりがあったのかは当事者同士しか知りえないし、神田にその権利はない。だが、先日のジェラルミンケースの一件も、事件性なしと切り捨てられたと聞く。容疑者が画集の出所を知らないの一点張りであるにもかかわらずだ。疑念を持つには十分なタイミングであった。

「まぁ私も被害者の女性ひとも怪我がなかったので良いんじゃないでしょうか?」

「それはそうですが……」

 実際、神田にとってあの時に一番心配だったのは、花園のことで、被害者の容態や犯人の確保は二の次だった。

「まぁ、貴女がそういうのなら、私から言うことはありません」

「はいっ!」

 神田の言葉に、花園は大きな笑みを浮かべて答える。思わぬ一撃に、神田は心が大きく揺さぶられるのを感じた。やはり自分はこの笑顔に弱い。

「それで花園少尉。頼んでおいた報告ですが」

 動揺を悟られないように意識しつつ、神田は話題を変える。

 博物館・美術館での収蔵品の紛失は未だに解決の兆しがない。ひったくりがあった日にも一件、その後にも五件の被害が報告されており、世間からは機構に対する不信感が高まり始めている。被害の報告はすでに六十件以上に上っているが、被害に遭った時期がハッキリしているものは四、五件程度だ。被害の全貌を把握するために出来ることと言えば、これまでのように手作業でチェックを行い、判明する被害をリアルタイムに吸い上げて、パズルのように犯行時期を明らかにしようとさせているのが精いっぱいだ。

 花園には、先週分の被害の状況と紛失していない最後の時期をまとめて報告するように指示をしていた。ただ、神田の言葉に花園は表情を一変させ、そのことなんですがと、ばつが悪そうに数ページの紙束を差し出した。

「プリンターの調子が悪くて――」

「またですか……」

 辟易したように報告書を受け取る。ここ数日同じような報告が相次いでいる。『色』を取り締まる組織なので、本来ならば厳しく叱責するべきなのだが、花園だけですでに三度は叱っている。外部やお偉いさんに見せるものではない、所詮シュレッダー行きの内部向け資料なので、内容が理解できれば良いと考えを切り替えて、緊急性に乏しいものはなるべく手書きで作成するように奨励し、対応しているのが現状だ。

「来週には新しいプリンターが届くそうですから、それまではなるべく手書きでお願いしますね」

「……はい」

 小言を言いながら、神田はペラペラと報告書をチェックしていく。と言っても見るのは、ページの抜けや、文字のサイズが統一されているかなど、体裁に関する部分だ。所々に、印字が青や黄に色が変化していることには、この際目をつぶることにした。と、最後のページに至ったところで神田の手が止まる。

「これは?」

 人名、生年月日、年齢さらには電話番号までもが一つの表にまとめられていた。

「これまで被害に遭った館の職員について三親等までまとめたものです」

 まだ二館分ですが、と花園はこともなげに補足する。

「情報規制されている筈ですが、どうやって調べたのですか?」

「頑張りました!」

 答えになっていませんと嘆息する神田をよそに、花園は満足げだ。後で説教をすることを心に誓い、神田は続ける。

「花園少尉、これ提出の前にセルフチェックしてみましたか?」

「いえ。その、急いでいたので……」

「次からは確認してから出してください」

 珍しく恐縮しながら謝罪する花園の言葉を聞きながら、神田はいくつかのページを何度も見比べる。恐らく花園は、自分がまとめた資料の価値を理解していないだろう。

「よくまとまっていますよ」

 特に花園に聞かせるでもなく、神田はつぶやく。資料に目を落とす神田の目に、パッと咲いたような花園の笑みは映らなかった。


▽  ▲   ▽   ▲


『はい、こちら色相保全機構です。事故ですか? 事件ですか?』

「どっちになるのかな? 分からないんですが、なんだか若い女の人がビルに入っていくのを見たので」

『不審者ということでしょうか?』

「そうです! なんだか辺りをやたら気にしている様子で……。最近博物館泥棒とかも流行ってるようですし、もしそうなら大変だと思いまして」

『分かりました。では職員を派遣しますので、そのビルの名前か住所と、その女性の特徴を言ってもらえますか?』

「はい、まず――」

 あらかじめ決めておいた文言を告げ、電話を切る。これで火曜の朝までは時間が稼げる筈だ。

「さてと、急がないと」

 昼のうちに収蔵品を積むよう頼んでおいた車に乗り換え、発進させる。車は市街を外れ、シェルター内では希少な自然が残る郊外まで来ていた。舗装された道が途切れ、立ち入り禁止の看板が出たところで、車を止め、トランクを開く。整然と並んだ土器の数々を見て、思わず呟く。

「しかし今日は数が多いな」

「お手伝いしましょうか?」

 背後から聞こえた、いる筈のない人物の声に思わず息を吞む。ゆっくりと背後を振り返ると、長身の男が立っていた。

「……神田さん」

 絞りだすように相手の名を告げる。

 色相保全機構、取締部隊、第三小隊隊長・神田吉次少佐がそこにいた。

「お久しぶりですね。等々力さん」

 柔和な笑みを浮かべる神田に、等々力和彦は思わずのけぞる。

「なぜ、ここに――」

「道中お話ししますよ。アトリエまでのね」

 言って神田は車のトランクを閉め、等々力の背中を押した。胸ポケットからペンライトを取り出して周囲を照らす。現代人が普段歩くことのない土の道だが神田はずんずん進んでいった。

「私は……逮捕されるのでしょうか……?」

「いえ、逮捕状はまだ請求していません。それに、今日は私の独断で来ました。なにせ確証がほとんどなかったので」

「確証がなかったのにここがわかったのですか!?」

 驚嘆する等々力に、神田はえぇまぁと軽く答える。

「そもそもの疑問は、なぜ犯人は博物館や美術館から収蔵品を盗んでいるんだろうということでした」

 もっとも考えられる理由は転売だ。名のある美術品や歴史的な価値のある品々は、取り締まりの施工前から大枚をはたいて買おうとするもの好きが一定数いる。

「しかし土器を買いたい人はどれくらいいるでしょう。勿論ゼロではないでしょう。ですが、誰もが知る品を盗み出せる人間が、わざわざリスクを冒してまで盗みたい品でしょうか」

 そこで神田は考えた。

「もし犯人が売る以外の目的で盗んでいるとしたらどうでしょう」

「売る以外の目的とは?」

 訊ねる等々力に神田は答える。

「わかりません」

「なっ!」

 思いがけぬ言葉に等々力は言葉を失う。

「正確には『わからなかった』と言った方が良いでしょうね」

 訂正する神田の足取りは軽い。反面、これまで何度となく歩いてきたこの道がこんなに辛いのは等々力にとって初めての事であった。

「ところで等々力さん、館のプリンターは直りましたか?」

「は、はい」

 唐突に神田は話題を変える。この間渡しそびれた写真の現物はすべて郵送されているにも関わらずだ。

――やはりすべてを見透かされている。

 等々力は心拍数が高くなるのを感じた。

「実は機構のプリンターも調子が悪くてですね。先日最新の機種入れ替えてもらってようやくこれまで通りになったんですよ」

「そ、そうなんですか」

「新しい機種になって知ったんですが、プリンターのインクの中って一つのカートリッジをシアンマゼンタイエローで三分の一ずつ区分けした構造になってるんですね。それを吐き出す前に混ぜて黒にしているらしいです」

 規制後、印刷業界は技術が損なわれると反発して、インクに使われる各色の製造技術と定量のインクを吐き出す機構を保存した。その結果、規制前にはブラックとして一色に混ぜていたインクカートリッジの内部を区分けしたのだ。

「でも不思議なんですよね。普通印刷ムラっていうのは、濃淡は別にして、全体的に同じ色になる筈なんですよ。吐き出す瞬間に色は混ざっているわけですから」

 だが実際の印刷物は同一の紙の中でも様々な色がついていた。

「まるで絵や写真を印刷しているみたいですよね」

 そう言って神田は足を止める。岐路の左にはプレハブ小屋、右には等々力の管理している畑が、ぼんやりと見える。どちらですか、と問う神田に等々力は無言で左に向かった。

「等々力さん、お母様はご健勝ですか?」

「寝たきりになって今はホームに入れています」

「あの写真は、等々力さんの奥様とお子様ですね」

「えぇ。あなた方に殺されました」

 花園がまとめた個人情報データの通りであった。等々力の妻が亡くなったのは規制後であるため、プリンターをいじって印刷したのだろうと神田は推測している。しかしわからないことがある。

色相保全機構われわれが?」

 機構の特性上、毎年何名かの犠牲者が出る。それはテロリストであったり、その場にたまたまいた無辜の一般人であったり様々だ。現在でも少なくなったものの発足当初は毎日三人以上犠牲になっていた年もある。そのため、機構を恨んでいる人は存外多い。

 しかし、等々力の妻は機構と関りがなかったはずだ。それを口にすると等々力は静かに答えた。

「そうでしょうね。撃たれたわけではありませんから」

 若干の怒気を孕ませながら等々力は続ける。

「画集などが規制の対象になってしばらくの時です。画家だった彼女は、資料用にと機構に個人所有の許可を求めました」

 しかしながら機構は『画家としての実績なし。虚報の疑いあり』として提出された画集の大半を押収したのだという。利用目的を問うことのない現在では考えられない話だと神田は思う。

「その後の彼女は、見ていられませんでした。息子の手前、気丈に振舞ってはいましたが、大好きだった絵を描くことがパッタリとなくなっていました。絵を描くことを否定されたように思えたのでしょうね。下書きに少しずつホコリが積もっていくのを見るのは辛かったですよ」

 だが、何よりも辛かったのは等々力の妻自身だったのだろう。絵を描く事を諦められなかった彼女は、描くことの罪悪感との間に葛藤し、自ら命を絶った。

「だから、あなたがその続きを……?」

「はい。彼女という一人の画家の存在を皆に知って欲しくて」

 収蔵品を盗んだり、畑を営んだのは全て絵のインクにするためだったのだという。プリンターのインクを取り出してばらせば容易いが、個人で大量に買えば怪しまれるし、職場から盗むのもリスキーだ。そこで、収蔵品や農作物をインクにすることを考えた。砕いて水か有機溶媒で溶かせばインクの完成だ。

 そうして描き上げた絵を等々力は、テロリズム的にあらゆるプリンターから吐き出させるつもりだった。機構や博物館のプリンターから妙な色が印刷されたのはそのテストのためだ。

「赤が足りなかったんですか?」

 印刷された物は青と黄が主体だった。恐らく書きかけの絵を何度か印刷していたのだろう。小屋の前に立つ神田は問いかける。

「えぇ、ピッタリの染料を見つけたんですがね」

 鍵を開けながら等々力は至極残念そうに答えた。車に積まれていた土器の事だろう。

「協力者はどのように?」

「金を払えば多少悪い事でもやってくれる輩というのはいつの時代も居るものですよ」

 キャリーケースの件が神田の脳裏をよぎる。等々力の計画の裏に、いったいどれほどの人間が動いているのだろうと想像する。

 そんな神田の思いを知ってか知らずか、等々力は小屋を開いて明かりを点けた。十畳ほどの建物内にはじょうろやクワなどの農具に加え、PCもスキャナーが設置されていた。どちらもすでに起動しており、ボタン一つで全世界のプリンターから等々力の作品が吐き出されることだろう。肝心の作品は、大きなカーテンで遮られている。

「さて、これがお待ちかねの作品です」

 勿体ぶって、等々力はカーテンを開く。小屋の最奥に立てかけられた一枚の絵画に、神田は思わず言葉を失った。職業柄絵画を見る機会の多い神田だが、初めての経験だ。

「……すごいですね」

 やっと絞り出した言葉に、等々力は恐縮です、一礼した。

 それはよく知ったシェルターの光景であった。

 機構があり、警察があり、博物館があり、店がある。

 人がいて、車が走っている。

 誰もが良く知る無機質な町並みのはずだった。だが、ただ一点だけそれは明らかに違った。

「……町に色が付くと――変な言い方になりますけど――こんなにも感動するんですね」

 黄。

 青。

 紫。

 緑。

 橙。

 白。

 黒。

 道行く人々も道路を並ぶ車も、さまざまな色に染まっている。店の看板は目立つ派手な色に着色され、役所の地味な色の看板との対比が眩しかった。

 名画と呼ばれるものに比べれば技術は圧倒的に足りない。だが、海を自由に泳ぐイルカや、落穂を拾う農婦がはるかに遠い存在になった今、よく知った町の光景は圧倒的に神田の心を動かした。何とかしてこの絵を世間に広めたい、そう思わせてしまう力があった。

「あと少しで完成なんです。それまで待っていただけませんか?」

「それは――」

 力なく懇願する等々力に神田は言葉を窮する。神田自身、この絵の完成形を見たいと思った。

「無理です」

「!?」

 返答をしたのは意外な人物であった。

「花園少尉……」

 どうしてここに、という神田の問いに花園が返す。

「通報された容疑者が口を割りまして」

 証言を受け、花園らはこの農園に急行した。花園らにとっても神田の存在は想定外だった。

「色相保全機構の者です。等々力和彦。貴方を色相取締法違反の疑いで逮捕します」

 驚く神田をよそに、制服に身を包んだ花園は淡々と話を進める。その声を合図にして、二人の職員が拳銃を構えながら入ってきた。銃口はまっすぐに等々力に合わせている。動けば命の保証はないという機構式の逮捕法だ。

「年貢の納め時ですか」

 諦めたように等々力はつぶやき、両手をそっと花園の前に差し出した。花園はバックルから手錠を取り出す。

「待ってくれ!」

 そんな花園を制止したのは神田だった。

「……神田少佐」

「君たちはあの絵を見て何も思わないのか!?」

 なぜこんなにも熱くなっているのか、神田自身分からない。だがなぜか胸に沸いた衝動は止められなかった。

「せめてあと数時間、いや数十分待ってやってくれ! この通りだ!」

 銃口を向ける部下たちに神田は頭を下げる。普段の様子からは想像もできない神田の行動に職員らの間に動揺が広がる。

「あれは後世に語り継ぐべ――」

「それでも!!」

 神田を制したのは花園の叫びだった。心からの悲鳴に神田はゆっくりと顔を上げる。

「それでも……これが私たちの仕事なんです……」

 神田に語り掛ける花園は、今にも泣き出しそうだった。

「良いんですよ、神田さん」

「等々力さん?」

 動揺する神田を等々力が制する。

「罪は償わなければなりません。多くの人の人生をお金で弄んだ私は猶更(なおさら)です」

 諭すように、等々力は語り掛ける。いずれこうなることを、心のどこかで望んでいたのだろう。それでも神田は諦めきれなかった。

「だったら!」

 思わず神田は駆け出していた。等々力を跳ね飛ばし、スキャナーへと向かう。同時に、携えられた銃口が神田へ向けられ、火を吹く。日々の訓練による反射的なものだ。

「少佐!?」

 花園が叫び、駆け寄る。

 スキャナーが光り、絵を転送していく。

 神田が倒れる。

 全ては一瞬の出来事だった。

「救護の人を呼んで!」

 倒れた神田を抱え上げ、花園は叫ぶ。神田の胸からはとめどなく血が流れ、白いシャツはあっという間に赤く染まった。

「……えみ……さん」

「しゃべらないでください!」

「……あれを……壊しちゃ……ダメだと……思った、んだ」

「私も同じです! だから喋らないでください!」

――あぁ、彼女も一緒だったのか。

 泣きじゃくる花園の声を聴きながら、神田は自分の判断が間違っていないことを確信した。

 視界の端に見えた町並みが、血に染まっていないことに安心して、神田は静かに目を閉じた。


▽  ▲   ▽   ▲


「この町も随分明るくなりましたね」

 駅前に設けられた小さな花壇。その縁(ふち)に座って町並みを見ながら、花園咲は小さく呟いた。

とどろき革命。

 作成者の等々力の名に因んでそう呼ばれる、『色』を開放する革命は一年半の年月を経て、達成された。『色』を規制するすべての法律・条令は撤廃され、同法による容疑者、受刑者は解放された。半年前に色相保全機構は完全解体され、これにより人々は完全に『色』を取り戻した。

 看板、服、自動車など今では町並みに様々な色が並び、皆色彩鮮やかな食事を楽しんでいる。花園が今着ている花柄のワンピースも数年前までは考えられなかったものだ。

「花園さん!」

 そんな花園に、声をかける者があった。振り返るとそこに年老いた男性が立っている。手には自身の農園で作ったのだろう、不格好な花束が握られている。

「等々力さん!」

 花園は立ち上がり目の高さを合わせた。腰が曲がったせいか、ここ数年でただでさえ低かった身長がさらに縮み、今では花園と大差ない気がする。

「お待たせしてすみません」

「いえ、私も今来たばかりですから」

 互いにペコペコと頭を下げ合う。そんな様子が面白くて、花園は思わず笑みがこぼした。等々力もつられて笑みをこぼし、口を開く。

「それでは行きましょうか」

「はい!」

――中学生みたいですよ。

 そんな言葉がどこからか聞こえそうな返答であった。

 ふと上を見上げる。未だに空は無機質なシェルターに覆われて見えないが、あの頃とは違うように見えた。

「花園さん?」

「すみません! 今行きます!」

 心配げに声をかける等々力に向き合い、花園は歩を進めた。

 人々から『色』を取り返した革命の、誰も知らない立役者のもとへ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モノクロオルタ 葉月 弐斗一 @haduki_2to1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ