おかけになってお待ちください
「おかけになってお待ちください」
そう言われて後ろを振り返ると、床の一部がプランターになっており、色とりどりの花が咲いている。脇にはジョウロがおいてある。。おかしいな、病院の待合室には普通椅子があるものではないかな。そう思いながらも、ジョウロを手に取り、花に水を掛ける。
じょーじょーじょー、じょーじょーじょー
元気に育て、じょーじょーじょー
歯の定期健診に来たのだ。二ヶ月にいっぺん。確か前来た時は普通に椅子が置いてあって、おかけになってお待ちくださいと言われたら、椅子におかけになっていた記憶があるのだが。何があったか知らないが、方向転換したらしい。待っている時間は花に水をおかけさせることにしたらしい。そんなことを考えながら水を掛ける。
じょーじょーじょー、じょーじょーじょー、元気に育て、じょーじょーじょー
脇を見ると少し離れたところに角刈りの中年男性が座っている。花を踏んづけ、体育座りで座っている。ああ、あれじゃあお尻に土がついちゃうよ。可哀想、可哀想。そんなことを考えながら水を掛ける。
じょーじょーじょー、じょーじょーじょー、元気に育て、じょーじょーじょー
たかしさーん
「よっこらせ。」
角刈り中年男性が呼ばれたらしい。重い腰をあげるとお尻には土がついている。
ぱさっぱさっぱさっぱさっ
「もう、お尻に土がついちゃったじゃん。」
男はそう言ってお尻を手で叩いている。そういえば小学校の頃、僕もああやってお尻を叩いていたな。そんなことを考えながら水を掛ける。
じょーじょーじょー、じょーじょーじょー、元気に育て、じょーじょーじょー
男が診察室に入ってからしばらく経つが、まだ呼ばれない。私はずっと花に水をかけていた。元気に、元気にたくましく、誠実に、よく考え、夢に向かって走り続ける、そんな花になっておくれ。そんなことを考えながらずっと水をあげていた。
ガチャーン!!
ドアの開く音がした。後ろを振り向くと医師とみられるメガネをかけた男性が、口を尖らせてこっちにずけずけ歩いてくる。
ずけずけずけずけ
バッシーーーーン!!
私の頬を叩く。
「そんなに水をかけたら腐ってしまうじゃないですかー!!」
「すみませんでした。」
私はそう言って、彼に水をかけました。
じょーじょーじょー、じょーじょーじょー
「なぜですか。なぜ私に水を掛けるのですか。」
彼は動揺しているようだった。目の焦点が定まっていない。
「それは、あなたが河童だからです。」
最も、この時点で彼が河童であると確信していた訳ではなかった。しかし、さっき頬を叩かれた際、頭にお皿が見えたのだ。私は彼より背が高かったから頭頂部を見ることができたのだ。
うぅ、うぅ
彼は泣き出した。
「ありがとう、ありがとう。丁度お皿が乾いてて、それはもう死んでしまうかと思っていました。あなたのおかげで生きながらえることができる。ありがとう、ありがとう。」
「気にしないで下さい。困った時はお互い様でしょう。」
そう言って私は彼の頭に水をかけ続けた。
じょーじょーじょー、じょーじょーじょー
「ありがとう、もう大丈夫。また診察に行ってくるよ。」
どうやら満足したよう。彼は落ち着いて診察室へ帰って行った。私も満足した。がしかし、河童の歯医者。河童の歯医者なんて普通じゃない。なんで河童が歯医者をしてるんだ。怖い怖い怖い。診察、受けたくない。
私は急に怖くなったので逃げた。すたこらさっさ、すたこらさっさ。必死に、汗だくになって逃げた。ああ、もしかしたら追いかけて来ているかもしれない。怖くなって後ろを振り向くと、河童は追いかけて来てはいなかったが、玄関で手を振っていた、ありかっぱ、ありかっぱ、言いながら。それはもう、大便直後のような穏やかな表情だった。それに、さっきはありがとうと言っていたのに、今ではありかっぱと言っている。もしかしたらこの短時間に河童として成熟し、ありかっぱレベルに達したのかもしれない。そんなことを考えながら、私は逃げた。すたこらさっさ、すたこらさっさ。
それから何度か振り返ると、同じように河童は手を振っていた。ありかっぱ、ありかっぱと、言いながら。その様子はまるで、私が上京するのを見送る父であった。私はエモーショナルな気分になり、涙を流しながら走った。何度振り向いても、河童がありかっぱと手を振っていた。うるうる、うるうる。
私は帰宅し、真っ先に父へ手紙を書いた。
育ててくれて、ありかっぱ、育ててくれて、ありかっぱ
完
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