第二章22 聖遺物の担い手

「――そうか、やるか、少年」

「あんたが引かないならやるしかない。あんたからどうやったって逃げれる気がしないんだ」

「そうかね? 君のそれは貴国の聖遺物だろう? そう簡単に負けを認めては聖遺物保持者レリックホルダーの名が泣くのではないかな?」


 男は天之尾羽張を向けられているにも関わらず全く余裕を崩さない。代わりに顔色を変えたのは後ろのアンナの方だった。


「悠雅……貴方いつの間に聖遺物保持者レリックホルダーになんて……」

「血が足りねえんだ。横文字やめろや……」


 なんだその? れりっくなんたら? ってのは? やめてくれ。ただでさえ血が足らなくて意識にもやがかかってるってのに思考になんざ血を流せない。

 言葉を発する事すら億劫になりつつあるというのに、これでは剣先がブレてしまう。


「そんな状態でよく私と戦う気になったものだ。君は一体自分が何を守っているのかわかっているのか?」

「露助がぐちゃぐちゃ喧しいんだよ。黙って槍を握れよ」

「……本当に知らないで戦っているのか」


 男は、驚愕の色を隠せななかったらしく、目を見開いてアンナを見つめている。その視線から逃げるように彼女は俯いた。


「彼は我々がロシア軍の手の者と知って尚、貴女を守ろうとしている。その意味がどんな意味を持つかも知らないで。御身よ、貴女は御自身が戦火の火種になりかねないとわかっておられるのか?」

「…………、」


 アンナは何も言い返さなかった。ずっと考えていたこいつの立場――その答えにどんどん近づいている気がした。

 とは言え、それ以前に別の感情が俺を突き動かす。


「こいつは俺の恩人なんだよ。俺がこいつを守るのはその恩に報いたいからだ。だから、こいつをあんまり泣かさないでくれよ」


 立ち向かう。アンナの手を振り切って。天之尾羽張を振り上げる。勝ち目なんか無い。逃げる算段もない。ただ、アンナが納得すること無く、望みを果たせ無い結果で終わるのは嫌だった。こいつはまだ、挑戦権すら握っていないのだから。


 渾身の力を込めて天之尾羽張を袈裟に振り下ろす。しかし、僅か体を逸らすだけで回避してみせた。恐るべき胆力、そして洞察力だ。最低限の行為だけで望む結果を算出しやがった。


 俺は舌を巻きながら天之尾羽張を振り下ろした遠心力を利用して一度回転、そこから思い切り、薙ぎ払う。一瞬、空気が撓み圧縮された空気が衝撃波を生む。ベリベリと石造りの床の表面が引き剥がされるが男はまるでそよ風を受けているみたいに涼しい顔をしている。実に腹の立つ男だ。


「ぐっ……くっそぉ……!!」


 足元に転がる頭蓋ほどある瓦礫を思い切り蹴り飛ばす。弾丸の如き速度で瓦礫は鋭い風切り音を伴って男の顔面に向かって飛来する。それを畳み掛けるように追撃を叩き込む。しかし、やはりと言うべきか、男はどうあっても格上だ。瓦礫を手で払いのけ、手にした槍で天之尾羽張の斬撃を受け止めてみせた。


「おいおい……」


 出すまいと思ったがそれでも思わず声に出してしまった。それほどの衝撃があった。

 液体はともかく固体で切断の祈りが阻まれるのは余り生きた心地がしない。それは俺の全霊が通用しないという事でもあるから。しかしどういうことだ? 何故切れない。液体以外でこの祈りを阻んだ前例を思い返す。

 一つは逢魔ヶ刻で遭遇した大鬼。そして、もう一つはアンナとの鍔迫り合いだ。


 天之尾羽張を通して出力しているのだ。恐らく参考になるのは前者ではなく後者。そういえば、奴の槍は神器だと言っていた。つまり、何らかの祈りを放出して俺の切断の祈りを遮っているのだろう。

 一体どんな祈りを使ってやがる……?


「――それだけの怪我負いながら大した地力。そして、大した気力だ。驚嘆に値する。私の部下にも見習わせたい所だ」


 薄く笑んだ男は白い歯を見せて俺を讃えてみせた。傍から見れば煽ってるようにしか見えないが。実際、煽っているのだろう。様子を見れば余裕綽々といった感じだ。


「へらへらと笑ってんじゃねえよ……おちょくってんのかよ。だったら、とっとと国帰れよ」

「君が彼女を大人しく返してくれれば大人しく退くさ」


 そこで国に帰るという言葉が出ない辺り腹に逸物抱えていそうだ。


「――もう少し君と戯れていたいが、そろそろ、終わらせるとしよう」


 視界の中から男の姿が失せる。先の水の呪術師が行って見せたような小手先の手品なんかじゃない。純粋な速力のみで俺の意識外から抜け出した。仮に俺が万全の状態であっても目で追えるかわからない程の速力。


 次いで、頭上から衝撃があった。組み敷かれるまま俺は上野駅の構内に縫い付けられた。あの槍で。心臓を。

 悲鳴が聞こえる。が、何を言っているのかわからない。


 ……なんで、こんな事になってるんだっけ? 俺には果たさなきゃいけない約束があるのに。なんで出会ったばかりの人間の為に血反吐を吐いているんだろうか?


 思い起こされるのはあの美しい光。


 恩義。

 報い。

 借り。


 返さねば。救われた俺がしなければならない事。命を救われたのなら命を救え。


 連れて行かせてなるものか。


 俺は男の軍服の裾を握り込んだ。アンナと男が何かを喋っている。アンナはボロボロと涙を流している。男は困ったようにこちらを見ている。だが、何を喋っているかはわからない。

 クソ、泣かせるなと言った手前、俺が泣かせてどうするのだ。


「逃げろ……」


 そう言ったつもりだった。ちゃんと伝わっただろうか? アンナはただ泣き崩れるだけ。何やってんだよ。逃げろって言ってんのに。やっぱり伝わってなかったのか?


 零れ落ちる血液をぼやけた視界で眺めて、そうして、そうしながらか細い吐息を落とす。酷く、寒い。それでも動かねば、アンナは望みを果たせないだろう。


 小刻みに震える腕で、突き刺さった槍を引き抜く。

 こぉんと音立てて槍が足元に転がる。血液がドバドバと流れ出し、夥しい量の血液が赤い池を作った。冗談抜きで失血死しそうだ。気を抜くと意識が落ちる。


「―――――――、」


 男が何か言っている。それもまた、戦意や殺意あるものでは無く、困惑したような顔で。男の腕がこちらに伸びてくる。敵意は無い。何をするつもりだ?


 ゆっくりとした緩慢な動き。しかし俺にはその腕をよける、払い除けるといったその程度の行動すら移せない。

 とん、と体を押された。別段力なぞ込められてない。添える程度の力だと思う。それでも、俺の体は面白い様に倒れた。


 もう動かなかった。全身が鉄の塊か何かのように重い。


 何気なく見上げた夜空は月と星がまばゆく瞬く。意識が薄れていく。


 辛い。辛いなぁ。志し半ばで頽れるなんて。


 意識を手放しそうになる直前、橙色の星が一際瞬くのが見えた。見覚えのある、暖かくて力強い光。光は一直線にこちらに向かって落下してくる。

 舞い降りた光の中に黒い軍服が見えた。頼り甲斐のある大きな背中だった。

 俺はいつだってこの大きな背中に己の背中を預けてきた。

 手厳しくて、口喧しい癖して、俺みたいな中途半端な奴といつもつるんでいた男。こいつはきっと、俺が今の今まで何をやっていたか知ったら烈火のごとく怒るだろう。出来ることならこいつに気付かれる前にアンナを国に返したい所だったが、今だけはこの幸運感謝しよう。


「――何をやってるんだ、悠雅」


 刺すほどの冷気を炎が吹き飛ばす。


「頼む……そいつを……」


 こいつがいれば安心だ。


「アンナを、頼むよ……宗一」


 薄れゆく意識の中、どこまでも輝く炎が瞼を焼くのを感じた。


「……ああ、わかった。お前は休んでいろ」

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