第二章4 大浴場

「――そろそろ行くか」


 何度も言うが現人神は一つの力しか使うことが出来ない。それはどれだけ願い祈った所で能力が増える訳が無いという事なのだ。

 いつまでも凹んでいても仕方ない。部屋を後にする事にする。

 部屋を後にして回廊に出て初めて気付いたがここはどうも病院ではないらしい。ならばどこぞの軍の施設か? とも考えたがどうやらそれも外れらしい。先程から回廊を西洋のお仕着せを纏った少女達がせっせと働いている姿が見受けられた。


 恐らく何処かの宿か何かだろう、そう当たりを付けアンナが待っているであろう食堂に向かう。

 すれ違い様に従業員や客達がこちらを一瞥しては視線を逸らし、固まったり、早歩きで通り抜けて行ったりと妙な反応を見せてくれる。薄手の着流しに軍靴を履いた包帯グルグル巻の男を見たら誰でもそう思うか。怪しさ爆発だもんなぁ、今の俺。


「深凪少尉……深凪悠雅少尉!!」

「お?」


 不意に名前を呼ばれた気がして振り返ってみると一人の軍人がこちらに走って来る姿が見えた。歳は若い。俺と同じかやや上くらいだろうか? 背格好は至って普通。そして、不自然なくらい素人臭い走り方。軍服を着ていなければ一般人にしか見えない。


「……、」


 そういえば俺が配属される神祇特別戦技科ってのは特務機関の下部組織だって言ってたか。つまり、俺の名を呼ぶあの男も特務機関である可能性が高い。

 影の英雄。日露戦争を勝利に導いた影の立役者。その片鱗をたった今垣間見ている気がする。


「探しましたよ、もう。いつの間にか部屋からいなくなってるんですもん……はぁはぁ」


 わざとらしく息を切らせる男は白い歯を見せて笑う。

 ……ああ、成程、こうして油断させて背後から拳銃で撃ち殺す訳か。

 密偵怖っ。


「現代に生きる忍たァ恐ろしい限りですね」

「現人神の貴方が言いますか」


 冗談を言える人間ではあるらしい。仕事人というよりかは正しく密偵といった感じだ。ほら、不自然なくらい一切歪みの無い笑顔を貼り付けている。


「私は【遊都征太ゆうとせいた】伍長であります。深凪少尉にお話が」


 少尉呼びって何かこそばゆいな。……あれ? ゆうと? 何か名前みたいな名字だな。


「少尉呼びにまだ慣れていないようですな」

「つい先日正規軍人になったもので」

「最初は仕方ありませんよ。いずれ慣れますとも」


 彼は貼り付けた笑顔でくつくつと漏らす。


「そうだといいんですがね、それで話とは?」

「実は東御大佐から言付けを預かっておりまして――っと、その前に」


 ぽんっと軍服と真っ白な外套、呪装軍刀四振りが手渡される。


「新しい軍服と呪装軍刀です」

「これは有り難い」


 流石に着流し一丁出歩くにはこの国の冬は温くない。早速後で着替えさせてもらおう。


「それと肝心の言付けですが、アンナ殿にお会いになられる前に湯浴みをしておけ、との事です」

「別に汚れてはいないと思うんだが……?」

「私見ですが、淑女レディの前に立つ人間として常識的な事かと。後、結構臭います」


 あ、思ったよりグサッと来た。そういう事をマジな顔で言われると傷つくってわからないのだろうか? ……そんなに臭うのか? 自分ではわからない。わからないからこそ不安になるというもの。風呂、入っとくか……。


 大佐によれば三日間寝ていたというのだ、風呂に入るのも悪くない。ただ心配事が一つ。現状の俺が湯船に使って悲鳴を上げないかどうか、だ。これに尽きる。精々情けない悲鳴を上げないよう努力させてもらおう。

 役目を果たした遊都伍長は「浴場は西館ですので」とだけ言い残すと笑顔で立ち去って行った。

 ああいう何を考えているのかわからない手合いは藤ノ宮だけでお腹いっぱいだってんだ。


 伍長に言われた通り西館に赴いた俺は男と書かれた紺色の暖簾のれんをくぐり抜けて、湯煙の園へといざ往かんとしていた。脱衣所に並ぶいくつもの籠の中には既に服が入っている物もある。つまり、先客がいるらしい。まだ明るいのに、温泉宿でもない宿の大浴場に入る物好きもいるものだ。他人から見たら俺もその物好き達と大差ないか、なんて思いつつ苦笑。


 さてさて、いざ浴場へ足を踏み入れる。白い湯気が立ち込め視界を淡く遮っている。大きな檜の浴槽に飛び込みたい気持ちを抑え、手拭いと石鹸で体を磨いていく。体を洗わずに湯船に入るなど言語道断なのである。

 頭を洗い、背中を手拭いで擦っていると誰か一人また新たな物好きが浴場にやって来た。そいつは聞いたことの無い何処かの国の言葉で何か喋りながら体も洗わずに湯船に入って行った。有り得ない輩だ、なんて思っていると男は直ぐに引き返してきて俺の隣にちょこんと座って体を洗い始めた。


 茶色い髪の毛と雑草畑みたいな髭を生やした大男だった。筋骨隆々とした鍛え抜かれた肉体は阿吽でお馴染みの金剛力士像を彷彿とさせるものがある。


「やぁ、済まない」


 反対側から声が掛かり、振り返ってみると柔らかな笑を浮かべる肌の浅黒い二十代くらいの男がいた。淀みのない日本語から察するに彼は生粋の日本人なのだろう。


「謝られるような事はされてないですよ?」

「いやいや、さっき体を洗わずに湯船に入った彼の事を凄い目で見ていただろう?」


 凄い目でってどんな目だ? と、問い返そうとする自分を無理矢理抑え込む。目付きが悪くて悪かったなぁっ!! 心中にて悪態吐くくらいならしてもいい筈だ。


「彼は見ての通り西洋人でね。こちらの文化には疎いんだ。許してくれ」


 別に許すも何も、そもそもからして怒ってなんかいない。ただ、有り得ないなぁという嫌悪感があっただけなのだが。優男と軽く会話を交わしている間に西洋人の男がいわおの様な体で立ち上がる。

 改めて思う。でかい。宗一よりも身長が高い人間と会うのは初めかも知れない。


「タイドー、これでいいだろうか?」

「ああ、グレートだグレゴリー」


 優男が返すとグレゴリーと呼ばれた男はそそくさ湯船に浸かりに戻った。


「いきなり声を掛けて悪かったね、それでは」


 男はグレゴリーの後を追うように湯船に入っていった。


『悠雅』


 すると左腕の紋様から小さな声が聞こえてくる。


『あの二人組には気を付けろ』


 やけに神妙な声音で忠言する天之尾羽張。俺の肉体と一体化しているせいかその感情が直接伝わってくる。……これは、怯えているのか? かなり警戒しているようだ。


「どうしたんだ急に? あの二人組何かあるのか?」

『詳しくはわからん。だが、得体の知れない何かを感じる。ただ、』


 天之尾羽張は一度そこで言葉を切って、


『――断言出来るのは奴等が‟人の皮を被った何か”という事だ』

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