第二章2 叱咤
「その少女に感謝しておけよ悠雅。私達が諦めて匙を投げようとした所にやってきて「自分が治す」と言って三日三晩、お前の体を治療し続けていたのだからな。恐れ入ったよ、外つ国であんな力を使うなんてな」
俺の体が完治しているということは詰まりそういう事で、今大佐殿があんな力と言ったということは少なくとも大佐殿の目の前でそれを使ったという事に他ならない。
「こいつは恩人だ。機関には連れて行かせはしないぞ」
「私にそのつもりは無くても他の誰かがそうしてしまうかもしれないぞ? どこで誰が見ているかも分からないのだ」
大佐殿は苦笑を浮かべて、付け加える様に、
「軍も一枚岩ではないのだからな」
そうだろうな。同じ国の人間と言えど意志を統率する事なんざ不可能だ。そうでなきゃこの世界はもうちょい平和な筈だ。
「さて、アンナ殿。この度は私の部下を救い頂き真に感謝する。が、貴女の置かれている立場は現段階かなり危ういものとなっているがその辺は理解しているか?」
「もちろんよ」
「よろしい。その力をわざわざ手放すのは余りにも惜しいが、命懸けで貴女を守り通した部下の思いを汲んで貴女の事は必ず国に返そう――」
「帰らないわよ」
間髪入れずに提案を拒否するアンナ。
「
「バカ言ってんじゃねえよ」
俺としても帰って欲しい所だが彼女は思いの外強情らしい。
大佐殿はと言うと何やら楽しげに薄ら笑いを浮かべている。愛らしい顔が台無しになるくらいの薄ら笑いを。
「まぁ強制するつもりは無い。貴女には恩がある、どうしようもなくなったら私の元を尋ねるといい」
「ええ、どうしようもなくなったら力ずくでも会いに行かせてもらうわ、東御大佐さん」
何やら腹に一物どこか二、三物抱えていそうな笑顔で会話が繰り広げられている。胃がキリキリするので正直やめて頂きたい所だ。
「そうだ、アンナ殿。食堂に簡単だが食事を準備させた。食べて行くと良い。それとも先にシャワーの方がいいかな?」
「そうね、大分汚くなってしまったしシャワーから頂こうかしら」
「ならば部屋の外に控えている私の部下に案内してもらってくれ」
「ええ、ありがとう。それじゃあ悠雅、また後で」
アンナの背中を見送り、一人残った大佐殿と向き合う。
「世話を掛けた。面目無い」
「良いさ、この程度は些事だ」
「それなら些事ついでにもう一つ聞きたい事がある」
「あの赤黒い皇都は何か、か?」
どうやらこちらの知りたいことは粗方把握しているらしい。わかってるなら話は早い。
「あれはなんだ?」
「――
「は?」
「あれの名前だよ。あれは古来よりこの日本という国を苦しめて来た災厄の根源なんだ」
災厄の根源? なんだそれは? よくわからずに首を傾げると大佐殿は微笑して、
「この国は諸外国と比べ天災が多い。地震、津波、台風。年中何かしらの災害に見舞われ続けている。そういったものを裏で引き起こしているのが逢魔ヶ刻の魔性達なのだ」
大佐殿は滔々と語る。
逢魔ヶ刻と呼ばれる魔界に住まう魔性達は時折、現実世界に穴を開け、災害という形を以って
「じゃあ俺達があそこに落ちたのはその顕界に巻き込まれたって事か?」
「それは少し違うのだが、まぁこの話の続きはまたいずれしよう。いい加減こちらの話もしたいしな」
彼女は
「まず私が辞令を渡した日から既に三日が経過している。その間にお前以外の三名は入隊と入寮を終え、訓練に入っているが、元々優秀な者達だ。今日を境に本部隊の訓練に合流してもらうつもりだ」
「成程、出鼻から置いてきぼりを喰らったって訳か」
「その通りだ。まぁお前の場合既に直に体験している事だから直ぐに終わる筈だよ」
体験している? その妙な言い回しに疑問しつつ大佐殿の話を傾聴する。
「我々の任務の内容は改めて後日説明させてもらう。続いてお前の今後についてだ」
「直ぐに入隊するんじゃないのか?」
「本来ならそうしたいところなんだがな、お前、体を動かせるのか?」
問われ、体に力を入れると、
「――イギィッ!!?」
自分でも聞いた事が無いような呻き声をあげてしまった。なんだこれは? 痛い? 馬鹿な、病み上がりとはいえ完治している筈なのに。全身が痛い。より正確に言うなら動かそうとする部分がある尋常じゃなく痛い。
「やはりな」
吐息一つ零し、顔を僅かにしかめる。
「ショゴスの残骸と毒を摘出する際、神経系を通して電気で残骸と毒を焼いたと聞いてる。大分無茶な治療の仕方をしてくれたものだよ本当に。普通の現人神だったらそれが死因になってる所だ」
想像以上に強引な治療法だった。意識無くて逆に良かった、何て思ってしまう程度には。
「もう少し休ませて置く必要がありそうだな」
「ま、待ってくれ!! 我慢すれば動けない事は無いはずだ!!」
慌てて布団を跳ね除け、立ち上がってみせた。全身に激痛が走っているがこんなものは我慢すればいい。我慢するのは得意だ。
「馬鹿者、痩せ我慢しながら任務に当たられてもこちらが迷惑なんだよ」
「だが……」
「少しは自愛したまえよ。お前は自分の体を軽んじ過ぎだ。頑丈なのはこちらも把握しているが、そのままではいつか破綻するぞ」
言われて、今までの自分を振り返る。
頑丈な肉体、それと驚異的な再生力。それらに任せた強引な戦闘は外側から見たら危なっかしく、歪なものに見えるのだろう。
いつだったか、俺の戦う姿を見て、
「お前の体の事だ、二日もあれば完全復帰できるだろう。その間に彼女と話しておきたまえ。……何が起きるかわからない時勢だからな」
縁起の悪い事を口走りながら大佐殿は椅子からひょいと飛び降りて「二日後、ここに来たまえ」そう言って走り書きを渡すと部屋を後にしてしまった。
一体何が書かれているのやら、確認してみれば住所と思しき数字の羅列と彩花寮という単語だった。
どうやらずいぶん遠い場所にあるらしい。
「奥多摩か……」
川と湖と木々が美しい、東京都内にありながら雄大な大自然を残す場所だ。寮はその湖畔にあるようで少し楽しみになるのだった。
こんこんと戸を叩く音。今度は誰だろうか? 何て呑気に考えていると引き戸が開け放たれた。
「――なんだ、起きていたのか。起きていたなら返事くらいせんか、馬鹿者」
やって来たのは俺の目標。到達点。白い
「ジジイ……」
「話の顛末は東御大佐から聞いた。それで、お前、私に言いたい事があるな? 言え」
怒気が目に見えてわかるほどに立ち上らせる爺さんは腕を組んで椅子に座り、いつもは閉じている目を細めながらに開けている。爺さんが本気で怒っている時の癖だ。
「迷惑掛けて……ごめんなさい」
ゴリッ、鈍い音がした。爺さんが俺の頭に鉄拳を飛ばしたからだ。
「白人相手に剣を振るって申し訳無い」
またしても、鉄拳が飛ぶ。
「そうじゃないだろう!! 何故私を狙いに来た人間とお前が戦ってるんだ!! もし私を殺せる程の手練だったらどうするつもりだったんだ!!」
「……ごめんなさい」
再び鉄拳が落ちる。神経系が焼ききれてるのも相俟って悶絶する程の激痛だが、それを見せれば爺さんはきっと遠慮してしまうだろう。
俺は爺さんの話を、怒りを、甘んじて受け止めなければならない。
「私が聞きたいのは謝罪なんかじゃないんだよ。そうじゃないんだよ悠雅。私は何でお前が戦ったのかが聞きたいんだ……」
「……爺さんを守ろうと思った。家族がいなくなるのが堪らなく嫌だった」
「お前は私より弱いのを自覚しているのにもか?」
首を縦に降るとまた鉄拳が降ってきた。でも、今度は痛くない。優しい鉄拳だった。そしてそのまま、小さな子供をあやす様に撫でつけて、
「馬鹿者……」
小さく怒った。
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