シーンB

■シーンB


 静かな海に、櫂が水を掻く音が響く。

 長さ五メートルほどしかない小さな船の、一方の端にヒロキが座り、もう一方の端に船長が立っている。


 船長の櫂で船は進んでいく。

「私について訊きたいことがあれば、なんでも訊いて結構ですよ。この船に関することでも」

 船長がヒロキに言った。

「じゃあ……」ヒロキは少し考えて、疑問を投げかけた。「死んだ人は、この船に乗ることになるんですか?」

「はい」船長が船を漕ぎながら答える。「亡くなった方を天国の港までお連れするのが、私の役目です。『航海』というのはまあ、気分ですよ、気分。特に、あなたのような人を乗せるときは、ですね」

「俺のような人?」

「おっと失礼。質問の答えから少し逸れてしまいました」

 船長は薄く笑った表情を崩さないまま、悪びれる様子もなく言葉を続けた。

「この船には、あなたのように自殺した方だけではなく、病気で亡くなった方、事故で亡くなった方なども来ます。そして私は、この船に乗る人のことは、たいてい知っています」

「ああ、それでさっき、俺の名前を……」

 船長は頷き、さらに続ける。

「あとはたとえば、あなたは就職活動がうまくいっていなかった、とか、ハルカさんという恋人がいた、とかですかね」

「そんなことまで?」

 驚くヒロキの反応を楽しむように、船長は言葉を並べていく。

「ハルカさんとは高校時代からの付き合いで、あなたとは別の大学に通っていましたが、キャンパスが近いこともあって、進学してからもよく会っていた。さらに……」

 船長が櫂を漕ぐ手を止め、言葉を切った。

「?」

 ヒロキが疑問に思った次の瞬間、船長が櫂で水面をたたいた。

 水しぶきが上がる。水滴が飛んでくるのを、ヒロキは手で防いだ。

 同時に、たたかれた水面がゆらゆらと不自然に波紋を描いているのに気がついた。

「こちらの水面に映っているのは、あなたで間違いないですね?」

「……え?」ヒロキは水面を覗き込んだ。灰色の海のしぶきを上げた部分だけが、ぼんやりと色を変えていた。「ほんとだ、俺だ」

 さらに水面を見ていると、だんだんとはっきりした映像が浮かび上がってきた。

「あと、……ハルカ?」

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