-1-

萌絵side

あの、ほのか先輩が学校を休むようになって、一カ月がたった。


萌絵もえの脇でいつも静かに笑っていた、ほのか先輩が急にいなくなってから、一カ月がたった。



『萌絵ちゃん』

目を閉じると、頭の奥で、ほのか先輩が萌絵に笑いかけた。いつだろう。これはいつの事だろう。そう考えて、思い出した。去年の夏、去年の今頃、去年のコンクールの直前だ。

『一緒に頑張ろうね。ファイト。』

中学一年生の萌絵は制服を着て、楽器を持って立っている。コンクール前の舞台裏。萌絵たちの一個前の団体が萌絵の知らない曲を演奏をしている。舞台裏は照明が絞られていて薄暗い。せわしなく動く人。係員の人の押し殺した打ち合わせをする声。ほのか先輩の声に肩の力がすとんと抜ける。

『演奏中も萌絵ちゃんのこと見てるからね。頑張って。』

ほのか先輩がにっこりと萌絵に笑いかける。


この時の萌絵は吹奏楽部の一年生。担当楽器はクラリネット。ほのか先輩は萌絵と同じクラリネットを吹いている一個上の先輩。白いつるつるの肌、黒くて流れるような髪。にっこりと萌絵に笑いかけるその仕草。――萌絵の、憧れの先輩。


ほのか先輩がいるなら大丈夫。

なんだってできる。どこへだって行ける。



その次の瞬間、再び場面が暗転する。目の前が暗くなり、そして再び何かが目の前に現れる。



音楽室前のトイレ。中学二年生の萌絵が、トイレの中に入る。何も知らずに、ただトイレに入っていく。入ってすぐの手洗い場で、ほのか先輩が手を洗っている。

音楽室では他のみんなが片づけをしている声や物音が聞こえる。今は合奏のすぐ後だ。

電気の付けられてない、薄暗い夜のトイレ。差し込む音楽室からの光が、唯一の明かり。

何かがおかしい、と萌絵は思う。何だろう、この違和感。なにかが、おかしい。ここで萌絵はようやくそれに気が付く。

視界の端が黒い点々で埋め尽くされていく。小さな黒い点々が目の前に広がる。片付けをしているみんなの声が遠くなっていく。

ほのか先輩が振り返る。萌絵の方を振り返る。だけど黒の点々で顔のほとんどが覆い隠される。その中で、口だけが点々で隠されずにはっきりと見える。ほのか先輩の口が変な方向にゆがむ。


『萌絵ちゃんさえ、いなければいいのに。』



視界が黒い点々で塗りつぶされていく。目の前が急に真っ暗になる。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る