間奏――あるいは削除され得るであろう休止状態

 これを読むひとは、私が何を言っているのかわからないかもしれない。というより消すつもりで書いているので許してほしい。


 どうにも書けなくて、苦しくて、身体中が痛みを訴えるので日がな一日ぼうっとしていたら、私の担当官ラファエルがやってきてパスワードを変更なさいと言った。私はそれに応じなかった。というか、めんどくさくてほうっておいた。

 「序言――あるいは、削除されるかもしれない書き出し」を書いてから地球時間でどのくらい経ったのかわからない。少なくとも私はさいきん泣いてはいない。ただ起きていられなくて寝ている。いったん、この日記を記しはじめてから私はだいぶ恢復したはずが、いよいよとなったら書けなくなった。それでも、あの日からそれなりの月日が経ってしまっているのだと思う。たとえ、この〈繭〉のような空間で私のいう「時間」というものが過ぎいくものとして在るのではないとしても。

 それにしても、書く、という行為は不思議なものだ。

 私は「書く」ことでどうにか生きている。

 私がそう言うとラファエルがわらう。いや、笑うだけでなくひっそりとため息をつく。

 ちかごろはラファエルとしか話さない。ここに他の天使たちはやってこない。みな忙しいらしい。ラファエルは本来多忙を極める存在ならしいのだけど、私のところにやってきては息抜きのように色々なはなしをする。イロイロというのは本当にいろいろで、私が本当に知りたいことは何ひとつ教えてくれない。たとえば、この地球がいったいどうなってしまったのかとか、人類の行く末とか、私自身の将来とか。それから、それから……考えると怖くなるので考えないあれこれを、ラファエルは私に告げることはない。以前は泣きわめき、ラファエルの胸にとりすがって乞うた。ラファエルは、半分おかしくなっていたであろう私のそばに、迷惑そうな顔ひとつせず居てくれた。仕事ですからとくりかえして。

 仕事。

 シゴトというのは有り難いものだと、いつだったかラファエルに言ったらそれには深く頷かれた。

 ラファエルはよく、命令ですから、とも口にした。

 誰からの命令なのかについては口を噤んだ。いや、我々の主とは言った。神だとも言った。でもそれらのどれひとつ、まっとうな意味合いを持っていなさそうだった。

 ただし、どうして私と一緒にいてくれるのか尋ねたら、そのときだけは真顔で返された。

 貴女に死なれると困るのです、と。

 こんな〈繭〉みたいなものを作れる存在にそんなことを言われるとこちらが困る。そう返答したら、そういう問題ではないのです、とこたえられた。

 ちなみに、〈繭〉は始め、こんなにシンプルなものではなかった。はじめは、私の家と同じ環境が用意されていた。ところが私がどんどん意匠を変えていって最終的にこの、ホワイトキューブみたいな場所になってしまったのだ。途中はけっこう面白いことになっていて、ルネサンス様式の宮殿だったこともあるのだけれども、書いていくうちに、どんどんいろんなものが排除されていき、こうなってしまった。


 くりかえす。

 これを読むひとは、私が何を言っているのかわからないかもしれない。というより消すつもりで書いているので許してほしい。

 書けないのだ。

 思い出せないのではない。

 私はおぼえている。

 私は、私だけはおぼえている。

 忘れない。

 いや、もう、忘れていることだってあるのだ。

 その証拠に、私は泣かなくなった。


 忘れてはだめだと思うからこそ書け、自分にそう言い聞かせながらずっと書いてきた。それは、留めおくことだ。流れに任せていく何かを記録することだ。

 でも。

 遺して何になるのだろう。


 ラファエルは私の文章を閲覧する。

 これも、読まれている。

 たとえ消したとしても、削除したとしてもラファエルには記録されてしまう。

 ラファエルは、天使は「媒体」だと言いきった。それは、なんていうか、本当にその伝説のとおりなような気がする。使者、だから。


 貴女は勘がイイ。たまにラファエルがそう褒める。そんなことはない。そんなことは断じてない。だって、ワカラナカッタもの。


 あんなことがあったのに。

 そう、あんなことがあったのに。


 この世界が終わってしまったのに。


 そう言ったら、それは違います、とラファエルが強く反論した。何度も、それには違うとくりかえした。

 でも、私はいまだに信じられない。


 信じる信じないは貴女の勝手です、とも言った。

 そういうときのラファエルは冷たい。

 ううん、優しいのかもしれない。


 パスワードを変えなさい、とラファエルがちょくせつ私へと語りかけた。いやだ、とこたえる。ちょくせつここに来ればいい。こんな中途半端な通信でなく。


 私は横になる。

 眠れるのだ。私はあんなことがあったのに眠れるのだ。

 もっと苦しまないといけない。

 そういう想いが押し寄せる。おかしなことに、でも、それがとても「正しい」という気がする。


 自分だけ、生き残ったのだから。

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